名波浩「ジョホールバルでの試合は人生を左右する」

名波浩「ジョホールバルでの試合は人生を左右する」

  • 日刊スポーツ
  • 更新日:2017/11/14
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ジョホールバルの歓喜について語る磐田名波監督

サッカー日本代表が悲願のW杯初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」から16日で20年となる。98年フランスW杯アジア最終予選、アジア第3代表を懸けたイランとのプレーオフ。岡野雅行のゴールデンゴールに日本列島が歓喜に揺れた。背番号「10」を背負い、現在は磐田監督を務める名波浩(44)ら当時の選手たちは何を思い、今どう感じているのか。今も語り継がれる激闘を振り返る。(敬称略)

偶然にも名波は数年前、この一戦を見返していた。「選手に(ボール)タッチ数の話をしていたこともあって、息子が『パパはどうだったの?』となって、数えてみようと。自慢しながら家族に見せる試合はこれですよねと話していたし、先々10年ぐらいプレーしてもやっぱり1番だった。初めて見た息子も感動してたよ」。

97年11月16日。イランとのアジア第3代表決定戦。日本は、延長後半13分に岡野の劇的なゴールでW杯初出場を決めた。直前の同11分。カウンター攻撃に対して全力で帰陣していた名波は、ピッチ中央でその時を迎えた。「前のプレーでガソリンを使い切っていたから、俺は『もう前行けない』って傍観者だったね」。延長戦前の円陣ではPK戦も頭をよぎった。「一番苦手。外せば非国民と思われるだろうし、『岡野は絶対に蹴らないよな』『ヒデ(中田英寿)は蹴る』とか、1人でキッカー5人をカウントしてた。決まった瞬間はすごいうれしいよりも安堵(あんど)感が先だったね」。118分間の激闘から解放された瞬間だった。

道のりは厳しかった。アジア最終予選第4戦カザフスタン戦後に、成績不振で加茂周監督が解任。負ければピッチ外で容赦なく罵声を浴びた。「今ほど情報社会ではなかったから。いきなり肩をつかまれて『あの試合はなんだ』と言われた時もあった」。厳しい論調の報道も増える中、新聞やテレビには目を通さなかった。「自分たちまで下を向かないように一切、目にしなかった。お笑いやドラマ『ひとつ屋根の下』『愛という名のもとに』のVHSを持っていって、自分の部屋でみんなで見てたね」。

本大会では3戦全敗。世界との差を痛感したが、日本はここからW杯ロシア大会まで6大会連続で出場している。直後に中田がイタリアへ移籍。99年には名波自身も海を渡るなど、欧州移籍にも拍車が掛かった。「W杯がより身近になり、子どもたちはもちろん、選手たちもW杯を目指す大きなきっかけになったと思う。個人的にも、世界というステージに出ていきたいと思えた試合だった」。

20年後。44歳になった現在、過去3度のリーグ優勝を誇る磐田復活に全力を注ぐ。「1つ言えるのは、あのジョホールバルでの試合は人生を左右するものだった。あれ以上に苦しく厳しいゲームはない。あの試合があったからこそ動揺はしない。『あそこに比べたら』とすぐに思える」。立場が変わった今も、あの瞬間は確かに胸に刻まれている。【前田和哉】

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