最期まで自分らしく生きてほしい。42歳医師が「死に際」に向き合う理由

最期まで自分らしく生きてほしい。42歳医師が「死に際」に向き合う理由

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2023/01/26

在宅医療などを手掛ける医療グループTEAM BLUE。そのリーダーであり医師の安井佑は、熱い心と少し変わった経歴を持つ。

高校2年時の父の急逝をきっかけに医者を目指し、東大医学部に進学。卒業後、医者3年目だった2007年に、軍事政権下のミャンマーに飛んだ。「人の生死にとことん向き合いたい」という想いからだった。ミャンマーでは、NPO法人ジャパンハートの一員として医療支援に尽くした。

2011年に東日本大震災が発生すると、帰国して被災地の医療支援に従事。それをきっかけに在宅医療の重要性に気づき、2013年に東京で在宅医療を提供する「やまと診療所」を設立した。そのスタッフ集団が「TEAM BLUE」だ。

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「おうちにかえろう。病院」 提供

そして2021年4月。東京・板橋に新しく開設したのが、在宅医療と連携した地域包括ケア病棟の「おうちにかえろう。病院」。この病院を通して、安井は何を目指しているのか。狙いや展望を聞いた。

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「おうちにかえろう。病院」の2つの役割

──「おうちにかえろう。病院」は、どのような病院ですか?

多くの人が理想とする「最期まで自宅で過ごす」を実現するための病院です。医療の発達により多くの人が「⾮・健康寿命」を⽣きるようになりましたが、我々は患者さんに「⾮・健康寿命」の期間も含めて、最期まで“⾃分らしく”⽣きていただくお手伝いをしたいと考えています。

この病院の役割は大きく分けて2つあります。ひとつは何かしらの病気があって急性期病院に入り、次の行き場を探す患者さんを受け入れること。

急性期病院から出てきたとき、患者さんの頭の中は8〜9割は「不安」で埋め尽くされています。自分ができなくなってしまったことに対する喪失感です。「もう右手が思うように動かない。これまでのように生活できない。どうしよう」と。その状態では主体的に「おうちに帰ろう。」とは思えないですよね。だからこそこの病院があります。

僕らが最も重要視しているのはコミュニケーションです。患者さん自身が現実を受け入れてポジティブになっていく過程をサポートするんです。例えば、「犬と散歩するのが私の楽しみだった」とか「時々遊びに来てくれる孫にお小遣いをあげるのが楽しみだった」とか、「近所のお友達と旅行に行くのが楽しみだった」とか、そういう話を引き出すところから始まります。

そうして「それって本当にできないんでしたっけ?」という問いに行き着いたときに、現状に合わせた状態で「できる」ということが分かれば、自宅に帰ろうという気持ちが立ち上がってきます。

--{白い壁と白い天井、そんな空間でちゃんと悩めるだろうか}--

こうしたコミュニケーションのために、病棟では、明るい壁と暗い壁をつくるなどして空間デザインの面でも“揺らぎ”を表現しました。沈みたい人がちゃんと静かにいられる空間があり、みんなと話せる明るい場所もある。

一般的に病院は、白い壁と白い天井に囲まれていることが多いですが、そんな空間で人間ってちゃんと悩めるだろうか、って思うんです。患者さんの心の変化に寄り添うことも、病院の役割だと考えています。

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そして、もうひとつの役割は、地域で生活している患者さんが一時避難できる場所としての機能です。自宅の介護者が倒れてしまったり、リフレッシュが必要になったりすることはあります。

例えばおばあちゃんを介護しているご家族が、「おばあちゃんが大好きだし家でずっと見ていきたいけれど、1〜2週間の休みが欲しい」といったときに入れる場所。あとは少しの容態変化があったときに頼れる場所、というイメージです。

地域に暮らす人たちを最期まで支え続ける病院になりたいですね。

──患者の受け入れはどのように行っていますか。

現在、外来はしていないので急性期病院からの紹介がメインです。あとは在宅医療を受けている(か、利用している)患者さんで、入院が必要な方がいらっしゃることもあります。

この建物は3病棟で120床つくれる設計ですが、現在はまだ1病棟が稼働していないので、受入れ可能なのは最大80床で、常に60人ほどが入院しています。「おうちにかえろう。病院」のような地域包括ケア病棟に入院できる日数は、規定により最大60日となっていますが、当院の患者さんの平均滞在日数は約30日。入れ替わりは比較的早いです。

原点にミャンマーでの医療経験

──「おうちにかえろう。」というコンセプトはどこから生まれたのでしょうか。

原点には、ジャパンハートでミャンマーにいたときに学んだ「死生観」があります。多くのミャンマー人にとって、人生が終わることは「絶望」ではありませんでした。もちろん死への恐れはあるでしょうが、「生まれた者は必ず死ぬ」ということを身に染みて分かっているからだと思います。

僕が医療支援をしていた2007年ごろのミャンマーは、平均寿命が50代と低く、若くして亡くなるケースも多々ありました。そんな中で印象に残っているのが、20歳の女の子の言葉でした。

--{死ぬ間際に少女が残した言葉が原点に}--

彼女は「自分はもうすぐ死ぬ」と悟ったとき、こう言いました。

「人生50年の人もいれば80年の人もいるけれど、今回私に与えられた“生”は20年だった。私はこれまでにどれだけ徳を積めたかな」

そして、命を救うことができなかった僕たち医療従事者にも感謝をしてくれました。彼女は「徳を積むことで来世は良い人生が送れたり、親や兄弟が幸せな人生を送れたりするだろうから、現世は良い人生だった」という風に考えていて、価値観の違いにカルチャーショックを受けました。

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日本の医療現場では、「この人を絶対に死なせてはいけない」とできる限りの延命治療をしているわけですが、場合によっては戦っている患者さんもご家族も医療者もつらいケースもある。ミャンマーでの経験を経て、つらい思いをして命を終えるのではなく、最期まで自分らしく生きることができたら、という想いが高まりました。

これが、「おうちにかえろう。病院」のコンセプトにつながっています。自分らしくいられる場所と考えたときに、病院より自宅であるだろうと、まず在宅医療を始めたという流れです。

地域の人にとっての「安心」になりたい

──開院から1年半。少しずつ着実に「おうちにかえる」を実現してきました。今後の展望を教えて下さい。

在宅医療や「おうちにかえろう。病院」など、様々な手段を組み合わせることで、患者さんが最期まで自分らしく暮らせるような状態をつくりたいというのが当面の目標です。

それを実現するために必要なのは、まだ浸透していない在宅医療をもっと知ってもらうこと。在宅医療と言えば「介護が大変なんでしょ」とネガティブな返答が来ることが多いのですが、その固定概念も壊したい。介護と一口に言っても様々な種類があり、サポートを受けることだってできます。

そのうえで、病院の周辺地域の方にとって安心できる存在になりたいですね。「歳をとったら在宅医療を受けられて、いざというときには『おうちにかえろう。病院』に入院できる。でもまた自宅に帰ってこられて、最期は穏やかに過ごせるんだろうな」と思ってもらえるように。

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さらに大きな視点で言うと、病院や医者の意識も変えていきたい。医療が発展した現代は、病気を治す時代ではなく「病気とともに生きる時代」になり、病院の役割も変化しています。これまで「急性期の治療がしたい」という医師が多く、200床以下の地域病院も急性期病院の延長線上にある「ミニ急性期」といった位置づけでしたが、これからの病院はもっと地域に目を向ける必要があると思います。

だからこそ、僕たちがつくった地域包括ケアのモデルが、全国に広がっていけば嬉しいです。すでに視察に来てくださる方は多いので、それぞれの地域に合った形で浸透していくといいなと思っています。

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