戦国時代「甲斐の虎」は信玄だけじゃなかった?武田家に「虎」「昌」「信」の入った武将が多い理由

戦国時代「甲斐の虎」は信玄だけじゃなかった?武田家に「虎」「昌」「信」の入った武将が多い理由

  • Japaaan
  • 更新日:2020/11/21
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かつて「甲斐の虎」と恐れられた戦国大名・武田信玄(たけだ しんげん)公を支えた「武田二十四将」。

その人気アイドル級!?「武田二十四将」武田信玄に仕え武勇を後世に轟かせた英雄豪傑たち

それぞれ強烈なキャラクターを持った名将たちですが、その名前を見ていくと、「虎」と「昌」の字を使っている武将が目立ちます。

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歌川芳艶「武田二十四将画像」

【名前に「虎」が入っている武将】秋山虎繁(あきやま とらしげ。別名:信友)甘利虎泰(あまり とらやす)小幡虎盛(おばた とらもり)原虎胤(はら とらたね)室住虎光(もろずみ とらみつ。別名:虎定)

【名前に「昌」の字が入っている武将】甘利昌忠(あまり まさただ)小幡昌盛(おばた まさもり)三枝昌貞(さいぐさ まささだ。別名:守友)真田昌輝(さなだ まさてる)真田昌幸(さなだ まさゆき)曽根昌世(そね まさただ)土屋昌次(つちや まさつぐ)内藤昌秀(ないとう まさひで)原昌胤(はら まさたね)山県昌景(やまがた まさかげ)

【名前に「虎」と「昌」の両方使われた武将】飯富虎昌(おぶ とらまさ)小山田虎満(おやまだ とらみつ。別名:昌辰)春日虎綱(かすが とらつな。別名:高坂昌信)曽根虎盛(そね とらもり。別名:昌清)

※武田二十四将のメンバーについては諸説あります。

集計すると「虎」の字が9名、「昌」の字が14名(それぞれダブりを含む)。もちろん二十四将だけが武田家ではないものの、主要な家臣の内これだけの割合で使っていると、単なる偶然ではない筈です。

これは一体、どういう事情があったのでしょうか。

主君の名前から一文字を賜る名誉

これは偏諱授与(へんきじゅよ)と言って、特に功績のあった家臣や目をかけている者の元服に際して、主君が自分の名前から一文字を与える(名前に組み込むことを許す)慣習によるものでした。

(※例:足利義「晴」⇒武田「晴」信、今川義「元」⇒松平「元」信など)

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信玄公に「晴」の字を与えた室町将軍・足利義晴。Wikipediaより。

与える文字は代々受け継がれてきた通字(つうじ。武田家なら信の字)でない方の文字(これが偏諱です)であることが多いものの、信玄(晴信)公の場合、自分の名前が一族の通字と足利将軍から賜った文字で構成されていたため、どちらもむやみには与えられません。

そこで自分の父であり、甲斐国を統一した武田信虎(のぶとら)の「虎」と、その礎となった曾祖父の武田信昌(のぶまさ)の「昌」を与えることで、家臣たちの奮励努力を促したのです。

ちなみに、祖父の武田信縄(のぶつな)は病弱で若くして亡くなっているためか人気は今一つだったようで、信玄公の代には「縄」を拝領した武将は見当たりません。

また、武田家の通字である「信」が与えられた例も少ないながら存在し、レアな分だけ、主君から寄せられた篤い信頼が察せられます。

【名前に「信」の字が入っている武将】※武田一族を除く。秋山信友(先ほど登場。虎繁)穴山信君(あなやま のぶただ)板垣信方(いたがき のぶかた)小山田信茂(おやまだ のぶしげ)真田信綱(さなだ のぶつな)馬場信春(ばば のぶはる。別名:信房)小幡信貞(おばた のぶさだ)

ところで、信虎は信玄公によって甲斐国から追放されており、普通ならそんな人物から名前の一文字を貰うなど、不名誉であるようにも感じます。

しかし、信虎が実際に強かったのは確かであり、また後世語られるような暴君ではなかったのでは?とする説もあり、追放には何か別の事情があったのかも知れません。

「甲斐の虎」たちを従え、武田家の勇名を天下に轟かせた信玄公。Wikipediaより。

「甲斐の虎」と恐れられた武田家の勇名は、単に信玄公一人ではなく、先代の信虎はじめ、こうした多くの「虎」たちによって轟かせられたと言えそうです。

※参考文献:
柴辻俊六ら編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年5月
豊田国夫『名前の禁忌習俗』講談社学術文庫、1988年10月

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