バレリーナ、テック起業家になる。在宅フィットネス「ミラー」が映す未来

バレリーナ、テック起業家になる。在宅フィットネス「ミラー」が映す未来

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2020/11/20
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米国で爆発的にヒットしている鏡型のデバイスを使ったフィットネスサービス「ミラー」。6月にルルレモンが5億ドルで買収し、話題をさらった。わずか2年の急成長をひもとく。

ニューヨークが新型コロナウイルスの感染拡大によりロックダウンに入る直前の3月13日。デジタルフィットネス事業を手がけるスタートアップ「ミラー」の創業者、ブリン・パットナム(36)は、オフィスを閉鎖し、約100人の従業員を帰宅させた。

元バレリーナのパットナムは現在、同じく起業家である夫のローウェルとアパートメントにこもっている。夫婦は交代しながら、在宅ワークと育児をこなしている。唯一の息抜きはワークアウトだ。パットナムは自社が開発した、インタラクティブディスプレイになっている大型の鏡を2台自宅に持ち帰り、1台は寝室に、もう1台はゲストルームに置いた。

そのころ、エクササイズ用のバイクを使った在宅フィットネスサービスを展開するニューヨーク発ベンチャー「ペロトン」は、株式時価総額130億ドル超を記録。コロナ時代に最も勢いのあるフィットネス企業となっていた。だが、そこに個人企業のミラーが、ペロトンにない唯一の強みを武器に、肉迫している。

ミラーは、コンパクトなのだ。横56cm×縦132cm、厚さ3.6cmのディスプレイは、見た目も機能も普通の鏡と変わらない。ところがいったん電源を入れると、レッスンをするインストラクターと鏡に映った自分の姿が同時に見える。また、画面の端のほうには、自分の運動データが表示され、運動目標の達成具合を追うこともできる。

ユーザーはまずディスプレイ本体を1495ドルで購入。さらに月額39ドルの利用料で、有酸素運動やバーレッスン、筋力トレーニング、ヨガなど、多彩な運動プログラムをライブストリーミングで視聴できる。

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初期出資者の一人であるスパーク・キャピタルのジェネラル・パートナー、ケヴィン・トーは言う。

「鏡にスクリーン機能を入れてワークアウトのプラットフォームにしようとは、誰も考えつかなかった。今から考えるとわかりきったことにも思えますが、当時は違いました」

国際ヘルスラケットスポーツクラブ協会によると、従来型のジムやフィットネスクラブ事業の市場規模は約1000億ドルに上るという。ペロトンが初のインターネット接続型フィットネスバイクを発売してから5年後の2018年9月に、パットナムはミラーを発売した。

彼女は当初から、徐々にではあるが、いずれ確実に、自宅でのトレーニングが主流になっていくと予見していた。ここにきて多くの人が自宅待機を強いられ、在宅フィットネスのニーズが高まっている。おかげで彼女の事業は絶好調だ。米フォーブスが、将来の企業価値が10億ドル以上になると期待されるスタートアップ25社を選ぶ「ネクストビリオネア」にも名を連ねる。

「まだ4月なのに、クリスマスシーズンが来たみたい(に売れている)」とパットナムは言った。

パットナムも会社も、具体的な数字の公表はかたくなに拒んでいるが、予測では、19年の売上高は4500万ドル、今年は1億ドルを超える見込みで、そのことはパットナムも認めている。ミラーへの注目度が明らかに高まるなか、今では彼女自身も、来年の早い時期に会社が黒字化するだろうと述べている。

ミラーは昨年10月に実施した直近の資金調達で3400万ドルを獲得し、企業評価額は3億ドル弱となった。単独創業者であるパットナムの保有資産額は最低でも8000万ドル(今年6月29日にヨガブランドのルルレモンが買収を発表した後は1億3000ドル超)と見られる。

だが、彼女の挑戦はさらに続く。次の目標は、ミラーをコロナ禍での一時的な流行では終わらせず、新たな日常のなかに定着させていくことだ。

バレリーナ、テック起業家になる

ブリン・ジネット・パットナムは、弁護士の父と専業主婦の母という両親のもと、マンハッタンの高級住宅街アッパーイーストサイドで育つ。3歳のときにダンスを習い始め、7歳でバレエの名門校に入学。ニューヨーク・シティ・バレエ団での初舞台は「ニューヨーク・タイムズ」紙に写真入りで取り上げられた。

踊り手のなかには踊り一筋の人もいれば、ほかのことにも興味を持つ人もいる。パットナムは後者だった。

「父には、実生活で役立つ技術を身につけるといいと進言されていました」

そこで彼女はハーバード大学に進み、ロシア文学とロシア文化を学んだ。

卒業後、公演ツアーがないときはニューヨークで、バレエやシェイプアップエクササイズのレッスンを受け持った。当時は特定のトレーニングに特化した、ブティックスタジオといわれる小規模型ジムが急増しており、手っ取り早く生活費を稼ぐことができたのだ。

バレリーナを引退したのは10年前。今度は自分のブティックスタジオをオープンさせようと考えた。

当時手元にあった貯金は1万5000ドル程度。彼女はマンハッタンを散策しながら未公開物件を探してまわり、10年にブティックスタジオ「リファインメソッド」をオープンした。

ただ、そのレンタルスペースは、標準的なフィットネス設備を置くには広さが足りなかった。そこで彼女は夫の協力のもと、急場しのぎの解決策を編み出した。

夫は新興フィンテック企業Quovo(のちにプレイドが買収)の共同創業者にして、ボストンの名門一族の出で、ヨットを趣味にしていた。2人がつくったのはヨットの滑車とエクササイズバンドをいくつも組み合わせた装置。壁付け式のトレーニングマシンとして使うことができ、45cm四方ほどのスペースがあれば筋力トレーニングができる。彼女に言わせれば「まるでSM部屋」だったという。

リファインメソッドが利用者に好評だったことから、パットナムはスタジオを小規模チェーン化した。だが、16年の妊娠初期のときに重いつわりに悩まされるようになると、ジムでのワークアウトに魅力を感じなくなった。

当時はペロトンが急成長していたが、自宅にフィットネスバイクを置きたくなかったし、試しに使ってみたペロトンのコンテンツも彼女の好みではなかった。その後、スタジオを改装して鏡の数を増やしたことが、常連客から非常に好意的に受け止められたとき、彼女にひらめきの瞬間が訪れた。

「これまでずっと頭にあったいろいろなテクノロジーを、全部鏡に入れればいい。そう思ったんです」

パットナムは安物のタブレットを使い、試作品を自宅のキッチンで作り上げた。それは1枚の鏡と、自作PCマニアがよく使う安価な小型コンピュータ「ラズベリーパイ」からなるものだった。

試作品が改良され資金調達が可能になったころ、彼女は妊娠7カ月に入っていた。

「何人もの起業家からこう言われました。『ここまでやったのはすごいと思うけれど、否定的な反応しか返ってこないと思うよ。投資家は単独創業者を支援したくないものだし、ましてやそれが女性で妊娠7カ月となれば、なおさらね』と」

だが、彼女は待ちたくなかった。レラー・ヒッポーから創業資金の出資に関する合意を取りつけた16年11月15日は、息子が生まれた日だった。

技術者ではないからできたこと

パットナムは数人のチームを組み、彼女の自宅のキッチンテーブルで事業計画を立てた。エンジニアをスタッフに加えてシェアオフィスに待機させ、製品のテストに関しては、パットナムが試作品を早い段階でリファインのスタジオに持っていき、常連客の意見を聞いた。

パットナムは、自分に技術面の専門知識がないことがかえってよかったのだと言う。おかげで、完璧な製品をつくり上げようとする代わりに、顧客から見て気になる問題点の解決に注力できたからだ。彼女が重視したのは、ミラーの奥行きを2.5cm以下に抑えること、枠なしの鏡のような見た目にすること、鏡に送られてくる映像と鏡に映る利用者の姿がバランスよく見えるようにすることだった。

「使う人にとっては、鏡は壁掛けタイプなので裏側がどうなっているかなんてどうでもいいし、鏡の重さが30kgから20kgに変わっても気にしない。そこは譲りませんでした。だから会社として、事業の開始時期やコスト、品質面で、的確な判断を下せたのです」

2年間の設計期間を経て、パットナムは18年9月に製品のミラーを発売した。

発売から3カ月後、パットナムは義両親の家でクリスマスを過ごしていた。パットナムがその日のことを回想する。

「別の部屋から、いとこの叫び声が聞こえたんです。シンガーソングライターのアリシア・キーズが、家族にミラーをプレゼントされたときの様子をインスタグラムに投稿したって!」

程なく、女優のリース・ウィザースプーンやグウィネス・パルトロウら有名人が、次々にユーザーとなる。パットナムは彼らの名前を使って、ミラーがセレブのお墨付きを得たことをアピールした。

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左から、女優のサラ・フォスター、ケイト・ベッキンセール、パットナム(Getty Images)

「事業が軌道に乗ったのは、セレブ界の独特のつながりのおかげでした。発売直後の注文リストには有名人の名前がズラリと並んでいて、驚いたものです」

フィットネスと華やかな世界、そしてテクノロジーの融合は、偶然にもパットナムにとって完璧な組み合わせだった。消費者に直接販売を行う(D2C)スタートアップが真っ先にやることといえば、フェイスブックやインスタグラムで対象顧客層向けに広告を配信し自社のファンをつくることだが、代わりにパットナムはインフルエンサーと契約を結んで街角に広告を出した。

「私たちが手がけるのは単なる製品ではなく、新しい概念。それは最初のころから意識していました。このブランドが、より一層映える場所で売り込んでいく必要があると」

1982年にジェーン・フォンダが初のエクササイズビデオを発売して以来、自宅でのフィットネスとジムでのフィットネスの流行が交互にやってきては、せめぎ合う状態が続いていた。今回の在宅フィットネスブームでは、テクノロジーの進歩により、個人に特化したメニューや、その人のトレーニング成果の追跡手段を提供できるようになった。

ベンチャーキャピタリストのジェド・カッツ(ペロトンに私財を投じたが、ミラーには投資していない)は言う。

「この流れは定着するでしょう。一時的なブームでは終わらないと思います。中毒性があって便利で、サービス内容もかなりよくなっていますから」

目指すのは、白雪姫の「魔法の鏡」

5月には、世界に700店舗を展開する「ゴールドジム」の運営会社が、連邦破産法11条の適応を申請して経営破綻した。

株式公開企業であるタウンスポーツの場合、企業評価額はわずか1200万ドル。現在2億ドル近い負債を抱えており、支払い期限が今年11月に迫る。全米に展開するスポーツジムチェーン「24アワーフィットネス」も6月、破産法の適用を申請した。

パットナムには不都合なことだが、同じように在宅オンラインエクササイズを展開する会社はほかにもある。しかし、パットナムにはトップの座を守るための策がある。それは、ミラーを自宅の「第三のスクリーン」にすること。「ミラーはiPhoneの後継者」と豪語する彼女の表情は真剣そのものだ。

トレーニングプログラムの次は、理学療法やリハビリ訓練への進出を考えている。将来的には、遠隔医療や各種治療、さまざまな対話型アプリケーションにも活用できると見る。白雪姫に出てくる女王の鏡のように、聞けばすぐに魔法のように答えてくれるというわけだ。

実際、彼女のもとには、さまざまな業界から提携のオファーが殺到している。「急成長中で、伸びしろがまだまだある会社にいても、舞い上がることなく申し出を断り続けること。起業以来そこに一番苦労していますが、同時に、一番大事なことを学んでもいるのです」

ブリン・パットナム◎1983年、ニューヨーク生まれ。ハーバード大学卒。バレリーナとして活躍後、26歳でブティックスタジオを開業。妊娠中に鏡型のデバイスを発案し、2018年にサービスを開始する。現在、ミラーCEO。

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