マンガ家矢口高雄が最後に憂えた「マンガ原画保存」

マンガ家矢口高雄が最後に憂えた「マンガ原画保存」

  • JBpress
  • 更新日:2021/02/21
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矢口高雄さん(2020年1月、東京都世田谷区の自宅庭にて)

大ヒット作『釣りキチ三平』で知られるマンガ家、矢口高雄氏。惜しくも昨年11月に亡くなったが、彼が最後まで気にかけていたのは、「マンガの原画をきちんと保存すべき」ということだった。矢口氏の評伝を執筆した藤澤志穂子氏が語る、矢口氏の思いとは。(JBpress)

「マンガの原画に相続税が課せられるかもしれない。そうしたらクールジャパンの原点が浮世絵のように散逸してしまう」

2020年11月に死去したマンガ家の矢口高雄氏から、最初にこの話を聞いたのは2017年の春先だった。矢口氏が晩年、運営に力を入れていた、秋田県の片田舎にある「横手市増田まんが美術館」での取材だった。

この美術館は今や「原画の殿堂」となっており、2020年末までには矢口氏の代表作である『釣りキチ三平』をはじめとする全作品、『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)、『YAWARA!』『20世紀少年』(浦沢直樹)、『子連れ狼』(小島剛夕)など、錚々たるマンガ家約180人の原画、約40万点が収蔵されている。日本はもとより世界でも類を見ないこの美術館とともに、矢口氏が晩年に取り組んだ意味とは何だったのか。

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長く読み継がれる『釣りキチ三平』

JR奥羽本線の、ローカル列車しか止まらない十文字駅から車で15分。バブル経済の名残を残すような重厚な2階建て建築の建物がある。これが横手市増田まんが美術館だ。「マンガを美術館に入るような芸術にしたい」と考えた矢口氏が、生まれ故郷の旧増田町(現在の秋田県横手市)に働きかけたことがきっかけで、1995年に生涯学習施設の一角としてオープンした。

開館最初の企画は、矢口氏が師と仰ぐ手塚治虫と2人の原画を展示する「二人展」だった。その後、旧増田町が2005年に町村合併で横手市に組み入れられるなどの事情で一時活動が停滞したが、2019年に「原画の殿堂」としてリニューアルオープンした。

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リニューアルオープンした増田まんが美術館(2019年5月1日)

ここで矢口氏の人生を振り返ってみたい。現在の横手市増田町狙半内(さるはんない)で貧しい農家の長男として生まれた。狙半内は奥羽山脈の山間にある狭隘な土地だ。家の手伝いをしながら手塚治虫に憧れてマンガを描き、釣りに興じる毎日ながら、学校では優等生を通し、苦学して高校に進学、地方銀行に就職した。いわば地方の「エリート」だった。

支店勤務中には知り会った女性と結婚し、娘2人に恵まれる。それでもマンガ家への夢を断ちがたく、30歳で脱サラして上京。なかなか芽が出ない中、自分の生きる道を、得意の釣りと農村を舞台に「自然と人とのつながり」を描くことに定める。

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『釣りキチ三平(1)Kindle版』矢口高雄、講談社

ほどなく「週刊少年マガジン」に連載された『釣りキチ三平』が大ヒットした。単行本の累計発行部数は3100万部にのぼり、アニメや実写映画が製作された。イタリアやアジアなど海外でも出版され、人気が高い。近年では秋田を舞台に描いた旧作「マタギ」「おらが村」が、約40年ぶりに山と溪谷社から復刻されて版を重ねている。

矢口氏が手塚治虫に学んだのは、物語性のあるストーリーマンガの手法だった。その後、銀行員になってから知った白土三平氏の作風が、その後の矢口作品を決定づける。『カムイ伝』など農村の階級社会を描いた白土氏の力強いタッチを自分のものとし、自然と人との対峙、地方の課題など、メッセージ性が強いものとなっていく。『釣りキチ三平』も単なる冒険譚ではなく、自然保護を訴える文脈が根底にある。こうした現代にもつながる普遍性を持つ内容が、長く読み継がれる理由であろう。

ただ、この10年ほどの矢口氏は体調を崩して筆を折り、マンガ家としては半ば引退状態にあった。

自分亡きあと、原画はどうなる?

10年前の東日本大震災の前後に、矢口氏の身辺に大きな変化があった。2012年に長女の由美さんが、長い闘病生活の後に死去。そして看病の最中に受けた検査で矢口氏に前立腺がんが見つかる。由美さんの四十九日を済ませて臨んだ手術は成功し、経過は良好だったが、気力と体力を失ってしまう。利き腕の右手で線を描くための軸として、踏ん張ってきた左の肘がたるんでしまい、長編マンガを描くことはもう無理だった。

矢口氏は由美さんに、原画と著作権の管理を委ねるつもりだった。それが叶わなくなり、隠遁生活を送る中で、次第に自分亡き後の原画の行方を気にかけるようになる。

頭をよぎったのは、親しかったマンガ家が死去した際の「揉めごと」だった。そのマンガ家には相当額の借金があり、そのカタに原画が差し押さえられそうになった、という。「必死で止めた」と矢口氏。その後、本人に関連する資料館を設立し、原画を収蔵することで事なきを得た。それが、増田まんが美術館を本格的な原画保存の拠点とする取り組みにつながっていった。

“マンガの原画”とはなにか

今やマンガはデジタルでの作画が主流となりつつある。だが矢口氏の『釣りキチ三平』をはじめ、往年の名作のほとんどは、複数のアシスタントが参加して家内制手工業のように制作された。原画は、雑誌や単行本に掲載された後に作者に戻されるが、ヒット作ほど量は膨大で、保管場所に困っているマンガ家は少なくない。

昨今の出版不況で、出版社側にも保管スペースの確保は望めない。紙は酸化して経年劣化する。「自宅の押し入れに突っ込んだまま」なのはまだいい方で、捨てた、ファンの集いで売った、ネットオークションに流出した、といった事例は枚挙にいとまがない。

そして近年、「クールジャパン」を象徴する文化としてマンガの地位が高まるにつれて、原画の価値が上がり、巨額の相続税が課せられる可能性が浮上してきた。

一つの根拠となるのが、手塚治虫の『鉄腕アトム』の原画の事例だ。2018年5月、パリのオークションで、約27万ユーロ(約3500万円)で落札された。1950年代半ばに雑誌に掲載された後、何らかの形で流出した1枚という。

当時は使用後の扱いも大らかだったらしい。「手塚はマンガを描く時、バサバサ切って、バタバタ貼って、また一コマ書き足して、なんてことをやっていた。原画は印刷の素材であって、使った後はいらないものだと思っていたふしもある。ファンだとかアシスタントが欲しいといえばあげていた。1枚の原画はマニアにとって価値があるかもしれないが、一つの作品にならなければ意味を成さないのではないか」。

元マネジャーで、手塚プロダクションの松谷孝征社長はそう振り返る。ちなみに1989年に死去した手塚の原画は、同社が埼玉県新座市に持つスタジオで厳重に保管されている。

とはいえ時代は移る。一人のマンガ家が膨大な枚数の原画を持ち続けるのは容易なことではない。青年誌での人気シリーズを持つあるベテランは、今はアトリエで保管する原画の寄贈先として、生まれ故郷の自治体に自分の名を冠した資料館を作るよう働きかけたほか、母校の図書館への打診も考えたが不調に終わった。「仮に相続税が課税されたら、金額は天文学的な数字になりかねない。家族に迷惑がかかる」と話す。相続税について財務省主税局は「売買の実例や関係者の意見を踏まえて判断する」との立場だ。ただし美術館などに寄贈すればその対象からは外れる。

「浮世絵のように散逸してしまうかも」

「放置しておけば、江戸時代の浮世絵が海外に流出したように、原画も散逸してしまう」。こう憂えて、原画の保存活動に乗り出したのが矢口氏だった。2015年、『釣りキチ三平』など自分の原画4万2000点を増田まんが美術館に寄贈した。さらに文化庁の支援も得て現物保管とデジタルデータ移行の2通りの保存活動が進められた。

まず原画の紙の酸化を防ぐため、1枚ずつ中性紙にくるみ、1話ずつ中性紙の封筒に入れ専用の箱に収める。デジタル化は専用機器を使い1200dpi(ドット/インチ)という高解像度でスキャンする。通常の印刷物の解像度は400dpi程度なので、その3倍という細かさだ。将来的に再版する際に活用することを考慮したのだ。

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原画が収蔵されている「マンガの蔵」(2020年10月撮影)

さらに矢口氏は、仲間のマンガ家の原画収蔵にも乗り出した。美術館の運営財団を設立し、矢口氏のほか、高橋よしひろ、倉田よしみ、きくち正太という4人の秋田県出身のマンガ家が私財を投じて参加した。

並行して横手市は、約2年間をかけ、約8億7500万円の費用で生涯学習施設を改装した。これによって建物の全てが美術館となり、2019年5月のリニューアルオープンにこぎつけた。延べ床面積は設立当初の10倍以上の3360平方メートルに拡大した。2020年末時点で、約180人のマンガ家の40万点の原画を所蔵しており、最大で70万点まで収蔵可能という。

原画を寄贈するマンガ家は増え、2020年にはさいとう・たかを氏、浦沢直樹氏、時事風刺漫画のやくみつる氏が所有原画の大半を寄贈した。数万枚を寄贈する「大規模収蔵作家」はこれで10人となった。同年には文化庁により国内唯一の原画相談窓口にも指定されている。

マンガやアニメの文化価値を高めるには

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『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(藤澤志穂子著、世界文化社)

筆者は全国紙の秋田支局長として2016年に現地に赴任、矢口氏と親交が生まれ、足掛け5年間を取材に費やした評伝『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)を2020年12月に上梓した。出版が矢口氏の逝去直後となってしまったのが悔やまれる。

生前よく矢口氏が話していたのが「国立マンガアーカイブのようなものができるなら、増田まんが美術館がその分館になりたい」ということだった。

かつて「国際メディア芸術総合センター」が自民党の麻生政権で設立が検討されたのだが、旧民主党政権で「国営マンガ喫茶か」などと批判されて、2009年にお蔵入りした。しかしこのセンターは、まだ芸術として確立していないマンガやアニメの文化的価値を見極め、継承し、世界に発信するという、きわめて真面目な構想に基づいていた。復活に向け「世論が醸成していくのを待ちたい」と関わった政治家の一人は言う。

マンガやアニメの制作は、今やデジタル化されていて、マンガの原画やアニメのセル画は「消えゆくアナログ文化」となっている。だが、だからといって価値がなくなっているわけではない。

手塚治虫の作品では2019年、個人収集家が手放したセル画、版画、鉛筆デッサンなど73点がオークションに出品され、全点が落札された。最高額はSFマンガ『新人類フウムーン』の表紙となった水彩画の原画で1500万円だった。アニメ『ジャングル大帝』のカット割りセル画9点は700万円、手塚のサイン入り『ブラックジャック』のイラストが300万円と、いずれも予想の2~5倍の値が付いたという。このオークションを報じた日本経済新聞は「マンガやアニメは市場価値が定まっていないが、市場拡大が期待できる」とのオークション会社の見立てを紹介した。

「マンガやアニメの市場価値を定める」ことが「クールジャパン」にとって喫緊の課題であり、それを担える組織の設置は急務である。矢口氏とともに日本漫画家協会など業界団体の要職にあった里中満智子氏は「アニメも増田で対応してほしい」と切望している。増田まんが美術館が一連の活動を担い、国立メディア総合芸術センター設立につながることを期待したい。

藤澤 志穂子

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