「人間は上がることと下がることを繰り返す生き物なんだと思う」 斎藤工×趣里が明かす「零落」を感じた瞬間

「人間は上がることと下がることを繰り返す生き物なんだと思う」 斎藤工×趣里が明かす「零落」を感じた瞬間

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  • 更新日:2023/03/19
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斎藤工(さいとう・たくみ、左):1981年、東京都出身。主な出演作に「シン・ウルトラマン」(2022年)、「イチケイのカラス」(23年)など。監督作「スイート・マイホーム」が23年9月公開予定/趣里(しゅり):1990年、東京都出身。代表作に「勝手にふるえてろ」(2017年)、「生きてるだけで、愛。」(18年)など。23年NHK連続テレビ小説「ブギウギ」ヒロインに決定している(撮影/植田真紗美)

映画「零落」で創作の苦しみにもがく漫画家を演じた斎藤工と、彼の心の拠り所となる風俗嬢を演じた趣里。クリエーターとして生きる二人にも「零落」のときはあるのだろうか。AERA 2023年3月20日号の記事を紹介する。

【映画「零落」の写真はこちら】*  *  *

――「零落」は「落ちぶれる」という意味だ。漫画の仕事に行き詰まり、自堕落な日々を過ごしている深澤(斎藤工)は、あるとき「猫のような目をした」風俗嬢のちふゆ(趣里)に出会う。浅野いにおの同名コミックを竹中直人監督が映画化した。

趣里:原作を読んだとき「もしかしたらちふゆって、現実には存在しないのかも?」と思ったんです。主人公の拠り所であり、猫みたいで、現実離れしていて浮遊感を感じさせる女の子。それが美しくもあり儚くもある。そんな印象を変えずに生身のキャラクターとして演じられればいいなと思ったんですが……。

斎藤:原作ファンとして「趣里さん=ちふゆ役は天才的すぎる! これは勝った!」と思っていましたが、実際、本当にちふゆでした。

趣里:ほんとですか? 良かった!

斎藤:いっぽうで僕はこの作品になにか「自分自身の苦いものが映ってしまっている」という気がして複雑な気持ちなんです。観てほしいけど、観てほしくない、みたいな(笑)。

趣里:深澤のような役は心身ともに削られるし、大変な作業だったと思います。

斎藤:漫画家が自己顕示欲や業に苦しむように、やっぱり僕にも俳優として少なからず自己顕示欲があるし、普段は外に見えない、オンオフのオフの部分を作品に出した感覚があるんですよね。でもそんななかで趣里さんの存在はそのまま「ちふゆ」だったというか。繊細でデリケートなシーンも多くて本来なら気を使われる側なのに、まるで太陽のように現場を照らしてくれていて助けられました。

■人の「腸」に興味がある

――共通の知人はいたものの、共演は初めてという二人。特に斎藤さんはかなりの“趣里ファン”だったと明かす。

斎藤:僕は映画「おとぎ話みたい」(2014年)からの大ファンで、お芝居も観させていただいていて、芯があるというか、「なんて地肩(じかた)が強いんだ!」って同じ表現者として感心しちゃうんですよね。菅田(将暉)さんとも「趣里さんはすごい」という話をしていたんですよ。

趣里:ええ! ありがとうございます。斎藤さんは大変な役柄にもかかわらず、現場ではすごくナチュラルでいてくださって、チャーミングな方でもあるなあと感じました。「零落」とプリントした腹巻きをみんなにプレゼントしてくださって「なぜ腹巻き? でも大事だよね、おなか!」って思いました。

斎藤:僕は人の「腸」に興味があるんです。性別とか見た目とかよりも「腸」の状態がその人を表していると思っていて。趣里さんはすごく綺麗な内臓をされていると思います。

趣里:えっ、わかるんですか?

斎藤:わかります、僕ぐらいになると(笑)。それに真冬の撮影だったのに夏の季節の設定だったから、趣里さんの衣装の布の少なさが心配で気になって。

趣里:あはは。たしかにずっと生足出していましたもんね。

斎藤:完成した作品を観ると趣里さんはちゃんとその季節の表情、佇まいをしているからすごい。僕は普通にカイロ貼って寒がっているおじさんの顔をしている。でもそれが苦悩の表情に見えていたらいいな、って。

■ぬいぐるみがなさそう

趣里:現場のみんなで集合写真を撮るときに、私が劇中に登場するぬいぐるみを持っていたら工さんに「家にぬいぐるみとかなさそうだよね」って言われたんですけど、覚えてますか?

斎藤:覚えてます。趣里さんって“魂年齢”が老成しているという印象なんですよね。人形とか人間とか、あらゆるものの「外側」と「中」を知っていて、もうそういうものの先にいっているんではないかと。

趣里:そんな深いことだったんですか!(笑)

斎藤:そういう「虚無感」みたいな面も竹中監督の演出の狙いにある気がして。趣里さんってディズニーランドでも耳とかつけないタイプでしょう?

趣里:……つけない。しかも、そんなに行かない(笑)。

斎藤:やっぱり。

趣里:行きたいと思う気持ちが出てくるときもあるんですけど、「イエーイ!」みたいなノリではなく「(こそっと)……行く?」みたいな。言われてみれば、ぬいぐるみとかキャラクターグッズも確かに家にほとんどないですね。ぬいぐるみだけじゃなく、家具などにも全くこだわりがなくて、昔に買った座椅子をずーっと使ってます。

斎藤:当たってた!

――重めのテーマながら、二人の快活で明るいトークに救われた対談。表現者として「零落」に陥る怖さを知っているからこそ、なのかもしれない。

趣里:私は「零落」な状態、めちゃくちゃあります。ずっとその連続というか。バレエで怪我をしてしまったことなどもありますけど、気持ちの面ではそれ以前から、特に思春期はつらいことが多かった。端から見たら大したことではないかもしれないけれど自分は苦しくてしょうがない、という時期があって。

斎藤:うんうん。

趣里:そういうときに割と我慢して自分の中だけで解決しようと思っちゃうタイプなんです。人に迷惑をかけたくない、と。思春期のときも、バレエをやめざるを得ないときも、お芝居をしてからも、そういうポイントごとに一筋の光のようなものを必死に探しながら、ちょっとずつ這い上がっている感じです。

■「上ると、下るんだ」

斎藤:人間は上がることと下がることを繰り返す生き物なんだと思うんです。僕がそれに気づいたのは小学校低学年のとき。電車通学をしていたのですが、下校時に漏らしちゃったんです。駅のトイレでパンツを洗って、家まで帰る間がまさに「零落」を感じた瞬間だった。行きは「雨で傘をさせてうれしい!」ってウキウキしていたのにこの落差。子ども心に「上ると、下るんだ」とはっきりわかった。

趣里:わかる気がします。子どものときって、すりむいたのに、また忘れてはしゃいで、すりむいて、の繰り返し。

斎藤:そう。そういうことが「零落」の予行練習だったのかなと思うんです。人間はそれで自然なんだ、と。映像制作の現場でも撮影が長くなるとクリエーティブに向かう光が多少なりとも摩耗して、零落していくことがある。自分が監督をする現場でもそういうことがあります。でもやっぱりその中ですくい上げてくれるのは「人」なんですよね。特に趣里さんのような俳優の存在が大きいんです。

趣里:私も最近、もう少し、人に助けを求めてもいいのかな、と思えるようになりました。結局振り返ってみれば周りに助けられているし、人が作り出したもの──映画や舞台などのエンターテインメントに助けられたこともたくさんある。この作品もそんなひとつになることができればと思っています。

(構成/フリーランス記者・中村千晶)

※AERA 2023年3月20日号

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