
【前回の記事を読む】政界の話の後に…もじもじしながら話した「どうしても打ち明けたかったこと」
第三章 宿舎での生活
晴男君は慈恵医大のインターン生であるが、岡田議員と柳沢議員は共に社会党の代議士同士である。二人の仲が良かった関係から柳沢議員が岡田議員に〈晴男君に是非、うちの幸恵を貰ってくれまいか〉と頼み込んだそうである。この話は議員懇親会の二次会で柳沢議員から岡田議員に話があったとのことである。
岡田議員は第一秘書の山本さんを信頼していたから、誰かにしゃべりたかったのか、心を許している山本さんについ、口を滑らしてしまったとの又聞きの話であった。山本さんも心許している雄太に話が伝わったという次第である。雄太であれば議員秘書同士から議員同士へと話が大きくなることはないと思案したようだ。岡田議員もこの話にまんざらでもない風に感じたのか晴男君に打診した。
幸恵さんはまだ女子美術大学の学生であった。晴男君はとにかく〈会ってみよう〉という話になり、今でいうお見合いという形でホテルのレストランで両家立ち会いのもとで行われた。お互いに好印象を得たようだった。ただし両家とも長男、長女であることが唯一の難点であった。しかしこの心配を乗り越えて縁談はトントン拍子に進み、婚約までこぎつけることとなった。話のあらすじはこのようだったと記憶している。
当時どういうわけか九段議員宿舎では、議員子女はこの女子美術大学出身者が多かった。雄太のあこがれの彼女、京極貴美子もこの女子美出身だから驚く。政治家の後継者の問題に関しては、工学部へ転部後、急速に親しくなっていく村井からきかされるが、今日は山本さんが嘯く。
「政界では今も昔もこの政治家同士の御子息、御息女の結婚が実に多いね!それと二世、三世の後継者も、手っ取り早い人生の成功物語だ。後継者が議員の子息ともなれば、後援会からの賛同が得られやすい。実際には後継者の実績もないにもかかわらず、後援会も父親と同じように活躍を期待してしまうから。
二世、三世の議員の多くは男性だね。少ないながらも、女性にもいるよ。なかにはオヤジを凌ぐ活躍する議員もいるが、オヤジの名声だけに頼る議員はやがては消えていく。それほど世間も甘くはないのが世の常だね。両家に御子息、御息女が生まれれば(特に男子)親父の後継者として、看板、地盤をいともたやすく手に入れられる。鞄は別にしてもね。
驚くなかれ、近年では、国会議員に限らず、地方議員にもこの手っ取り早いシステムを活用する輩(やから)がいるよ。特に近年では二世、三世の国会議員が増え、猫も杓子も二世、三世議員だ。統計を取ってみれば、全議員中に二世、三世議員の占める割合はいかほどか驚くような数字になるに違いないよ。特に自民党議員に多いのではないか。
世界の政界に目を転ずれば、一部の国でもこの世襲政治が猛威を奮っている。アメリカ、北朝鮮、中国などがそうだよ。ルーズベルト家が良い例だ。さすがに民主主義国の多いヨーロッパでは少ないようだね」
「へえ」
と雄太は感心した。山本さんは〈どうだぁ青山君、面白い話だろ〉と言わんばかりに、はや顔色が桜色に変色した彫の深い顔を手で上から下へとなぞった。実は僕と柳沢仲秋議員の女性秘書である有馬恵子とが懇ろになっていることを山本さんは知らない。この晴男氏には雄太も何度か会っている。
というのは晴男氏も九段議員宿舎に住んでいた。雄太とは別棟ではあるが、一号棟、二号棟へは外部へ出ることなく繋がっており、廊下を通って行き来ができるようになっていた。三号棟と四号棟は一、二号棟よりは部屋の面積が広い。雄太は一号棟、晴男氏は二号棟に居を構えていたから、山本さんが上京のときは山本さんが同居する晴男氏と挨拶しないわけにはいかない。雄太がぞっこんの京極貴美子の部屋もこの岡田議員の部屋と同じ廊下に面していた。
山本さんが上京してくるのは月に二、三日程度だが、上京の折は晴男氏の部屋にご厄介になることとなる。上京時には山本さんとは必ず雄太の一○一号室での飲み会となる。議員自身が寝泊まりし、国会活動に励んでいる議員も多いが、御子息、御息女や秘書が同居して利用していることも散見される。宿舎は議員専用の食堂や浴室もあるが、これとは別に家族用の食堂や浴室もあり、雄太も毎日のように利用するから自然と議員子女や秘書との交遊も盛んとなる。
雄太の「親父さん」は社会党の衆議院議員であったので、自然に社会党議員の子女や秘書とも仲良くなることも多い。自民党の議員子女との交遊は少なかった。しかし宿舎から議員会館へ向かう定期バスは自民党や社会党の議員とは関係なく、様々な会派の議員が利用していた。戦後初めてとなる女性大臣の中山マサ厚生大臣もよく利用。議員会館へ向かうバス内では彼女が独断占拠の体で、さしもの男性議員も彼女の公言を拝聴せざるを得なかった。
この当時、中山大臣は飛ぶ鳥を落とす勢いであり、しかも現役の大臣で弁が立ったから、彼女の言動には逆らえない。議員宿舎と議員会館とのシャトルバスで、雄太も中山大臣と隣り合わせの席の時があった。その時には、あの大きいお尻の横で、雄太は身を縮こませて議員会館までの二十分もの間、バスが揺れる度に「ひゃー」と叫びたくなり、悲鳴をあげるほどに我慢を強いられた。
畔蒜 正雄