天皇皇后が、緊急事態宣言から半年後も「厳しい自粛」を続ける理由

天皇皇后が、緊急事態宣言から半年後も「厳しい自粛」を続ける理由

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/10/17
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「ステイホーム」を続ける天皇

昨年5月1日に新天皇が即位して、1年半が経とうとしています。

改元前の昨年3月に上梓した拙著『平成の終焉』において、私は「ポスト平成の皇室が平成と全く同じということはあり得ません」と書きました。この予測は結果として当たりましたが、それは令和の天皇と皇后が主体的に変えたからではありませんでした。コロナ禍という外部的な要因によって、好むと好まざるとにかかわらず、変わらざるを得なくなったからです。では具体的にどう変わったのでしょうか。

現時点での「令和の天皇像」は、端的に表現するならば「動かない天皇」と言えるでしょう。「動かない」のではなく「動けない」といったほうが、より正しいかもしれない。

感染拡大予防のため、憲法の定める「天皇の務め」たる国事行為すら十分に行うことができず、多くの公務が不可能になっています。2月23日、即位後初の誕生日の一般参賀は中止となりました。全国で国民に直接触れ合う機会である行幸啓も自粛を余儀なくされています。

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天皇の日程は宮内庁のサイトで確認できますが、現在もなおほとんどが赤坂御所、宮中での活動となっています(https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/top/2)。

メディアを通して伝わってくる天皇の動向といえば、まず、専門家による講義「ご進講」が何度か行われていること。例えば4月10日には、尾身茂・新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を、7月には日本経済団体連合会審議員会、日本商工会議所、経済同友会の各トップを招いています。いずれも、赤坂御所内での活動です。

天皇皇后はオンラインでの接見・説明や催しへの参加にも積極的ではありません。秋篠宮家で頻繁にオンラインでの接見などが行われているのとは対照的です。

ひねくれた言い方かもしれませんが、天皇と皇后が外出を自粛することで「ステイホーム」を自ら体現し、国民に規範を示している――天皇自身が望んだ姿ではないにせよ――令和の天皇像は期せずして、そのようなものになっています。

「天皇のメッセージ」が持つ権力

明治以降、天皇がこれほど長期間「国民の前に直接姿を見せない」事態は、極めて異例です。地方視察が中断された第二次世界大戦の時でさえ、昭和天皇は毎年春と秋に靖国神社を参拝し、陸海軍の学校の卒業式に出席し、東京大空襲後の東京の街を視察するなど、皇居の外で活動しました。そもそも明治初期から、歴代の天皇は全国に行幸して国民にその存在を意識させ、明治後期からは皇太子や天皇の弟たちをはじめとする皇族も、内地のみならず植民地まで訪ねるようになりました。

今回のような事態は、たとえば昭和天皇にガンが見つかり、療養生活を送った1987(昭和62)から89年にかけての頃を彷彿とさせるかもしれません。ただしこのときも、皇太子夫妻が名代として地方を訪れています。皇室のメンバーがほぼ外出を控えているという事態は、今回が初めてです。

即位から1周年となる5月1日、天皇は月初の恒例の宮中祭祀である「旬祭」で国の安寧や国民の平和を祈ったものの、国民に対して強いメッセージを発することはありませんでした。

これほどの非常事態です。天皇が5月1日に「何らかのメッセージを発表するのではないか」と考える国民がいたとしても、おかしくはなかったでしょう。即位1周年にあわせて、このコロナ禍についても何かしら言及し、国民に寄り添う姿勢を示すのではないか――と。

しかし結局、メッセージは発せられませんでした。同日付の毎日新聞において、天皇退位に関する有識者会議で座長を務めた政治学者の御厨貴氏も、「国難とも言える状況だ。ビデオメッセージのような、より強い方法で発信してもよかったのではないか」と述べています。

言うまでもなく、この「天皇のビデオメッセージ」という発想は、2016年8月8日、現在の上皇明仁が、自らの天皇退位への強い意向を示唆した「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を放送したという前例があります。この「おことば」の前には、東日本大震災の5日後に当たる2011年3月16日に放送された「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」がありました。

あの時、震災後5日という非常に早いタイミングで、天皇明仁は自ら行動し、地震、津波、原発事故に伴う国民の動揺を和らげる役割を果たしました。天皇が首相など政治家よりもはるかに大きな影響力をもっていることを証明したのです。このビデオメッセージがあったからこそ、5年後の「退位への思いを国民にほのめかす」という、天皇の権力、政治性を顕在化させかねない異例のビデオメッセージも、世論に受け入れられることを想定できたわけです。実際、当時の世論調査では国民の9割が退位に肯定的な反応を示しました。

しかし考えてみると、私たちがいま当然のように「天皇によるビデオメッセージ」を期待するのは、なかなか奇妙なことです。天皇が国民全員に向けて、直接自身の言葉を放送することなど、終戦の詔書――つまり玉音放送の他には、同じくラジオによる1946年5月24日の「食糧問題の重要性に関する御言葉」と、平成のこの2回しかなかったのですから。

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それほど「異例の事態である」ことを忘れさせてしまうくらい、2011年と2016年の「おことば」は強烈な印象を残しましたし、国民の天皇に対する親近感や、敬意を増強することに成功しました。政府や国会の頭越しに天皇が国民に直接語りかけるという、「天皇の権力の発露」を疑問視する声は、国民からはもちろん、学者からもあまり聞かれませんでした。

このビデオメッセージは、上皇明仁が追求してきた「平成流」の「自ら動き、国民と触れあう天皇像」の総決算だったともいえます。

もちろん天皇の言動には、天皇自らの考えだけでなく、宮内庁の意思、時の政権の思惑、これらの間のパワーバランスなどが大きく影響する点には留意すべきでしょう。2016年のメッセージは、退位に関する議論が遅々として進まないことに宮内庁側がしびれを切らしたからこそ、7月にNHKによるリーク報道があった。この報道を事前に全く知らされていなかった官邸はそう判断し、宮内庁長官を更迭したのです。

これは私の推測に過ぎませんが、天皇徳仁の脳裏にもコロナ禍を受けて、一度はビデオメッセージを放送するという選択が浮かんだ可能性は大いにあります。ただこの夏までは、新型コロナウイルスの拡大とともに政権支持率が低下し、国民も大きな不安を抱いている状況で、天皇が存在感を高めることをよしとしない人々もいたことでしょう。

それでも天皇は、8月15日に久しぶりに皇居以外の場所に外出して日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式に皇后とともに出席し、「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べました。この一節は、天皇自身が入れたと言われています。

「平成流」から引き継ごうとしたもの

あらためて、天皇徳仁が上皇明仁から受け継ごうとしたものは何だったのか、そして、どのような影響を受けているのか。それを考えるには、天皇明仁が退位時に「受け継がれることを望む」と述べた「平成流」の天皇のあり方を振り返る必要があります。

「平成流の天皇像」とは、簡単に言うならば、「宮中祭祀」つまり国民への祈りと、「行幸」ないし「行幸啓」つまり皇居から出て皇后とともに全国を巡り、国民の前に姿を見せ時に直に交流すること、この2つを象徴天皇の務めとして重視するとともに、両者を一体のものと見なすあり方です。

宮中祭祀も行幸啓も、明治以来、代々行われてはいます。ただし、宮中祭祀が明治以降の「作られた伝統」であることを知る明治天皇はそれほど熱心ではなかったし、大正天皇も同様で、体調の問題もあり、それほど注力することはありませんでした。

一方、昭和天皇は宮中祭祀に傾注したけれども、そこには母である貞明皇后の影響がありました。もともと日蓮宗を熱烈に信仰し、神がかり的な信仰心を持っていた貞明皇后こそが、作られた伝統、「フィクション」だった宮中祭祀に意味と正統性を与えたキーパーソンであったことは、拙著『皇后考』で述べたとおりです。

平成の天皇は、その宮中祭祀を積極的に行うことで、「祈る天皇」像を演出しました。令和の天皇もまた、これまでの出席状況を見る限り、平成の天皇と同様、宮中祭祀に熱心な天皇であると言えます。

天皇は現在、毎月の宮中祭祀を欠かすことはありません。コロナ禍にあっても、その傾注ぶりは前述の宮内庁発表の日程を見ても明らかです。ただそれは、天皇自身の主体的な姿勢によるのか、それとも平成の天皇と皇后がまだ上皇と上皇后として健在であり、「平成流」を踏襲せざるを得ないからなのかは、まだわかりません。

加えて、コロナ禍によって秋篠宮の立皇嗣の礼が4月から11月に延期となったことで、宮中祭祀で宮中三殿に上がって拝礼するのが、ほぼ天皇だけになっていることにも注意せねばなりません。平成の頃は天皇皇后、さらに皇太子も参加していたのが、令和のいまは皇后雅子も一部の祭祀を除いて出ていないわけで、天皇徳仁の体力的、精神的な負担はそうとうなものでしょう。立皇嗣の礼を11月8日に行うことにしたのは、11月23日の新嘗祭までに秋篠宮を皇嗣にし、天皇が新嘗祭の夕の儀と暁の儀を初めて行う神嘉殿に入れて祭祀の手順を会得させたいという思惑があったのかもしれません。

思い返すと、天皇明仁の退位に関する有識者会議で、渡部昇一氏や平川祐弘氏が「平成流」の活発な天皇像を疑問視して「天皇は祈っていればいい」という趣旨の発言をしました。まさに現在、天皇自身の意向に関わりなく、彼らのような右派が理想とする「祈る天皇」という役割が前景化しています。あるいは、京都御所にほぼ幽閉されていた江戸時代の天皇に戻っている感があります。

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「行幸」は今後どうなるのか

「平成流」の独自色がより色濃く現れたのが、頻繁な行幸啓です。

平成は、地震や台風、火山の噴火、水害などの天災が続いた時代でした。この30年間、天皇と皇后は被災地に寄り添うことを第一に考え、略装姿で、ときにひざまずき、手をとって国民と言葉を交わしてきました。国体や植樹祭などの行事で地方を訪れた際には、必ず近隣の福祉施設も訪問しています。各都道府県を少なくとも3回は巡り、沖縄や硫黄島ばかりか、海外の戦没者慰霊地にも足を運んできました。

昭和を知らない若い人たちにはピンとこないかもしれませんが、ここまで「国民に寄り添う天皇像」が確立したのは、平成が初めてのことです。その姿勢は、明仁・美智子夫妻が地方を回り始めた1960年代からすでに見られました。上皇明仁が退位時に「受け継がれることを望む」と話した「象徴天皇としてのつとめ」の一つとは、昭和と平成にまたがる60年間にわたって明仁・美智子夫妻が全国各地を回ることで、同じ目の高さに立ちながら一人一人に声をかけ、顔の異なる「市井の人々」と一体になることでした。それは昭和天皇が行幸の途上で万単位の国民と一体になることで視覚化された「国体」とは異なる、ミクロ化した「国体」の集積に他ならないと考えます。

『平成の終焉』で指摘したことですが、こうした行幸啓のあり方こそが、実は上皇明仁が天皇徳仁に一番引き継いで欲しいものではなかったか。しかし、現在それは物理的に不可能です。平成の天皇が象徴の務めとして重視した一つが、全くできていないわけです。大規模な行幸啓は、国民の移動が通常に戻っても、慎重を期して最後まで見送られるでしょう。

いつ国民に語りかけるのか

天皇徳仁は、「平成流」をまずは引き継ぎながら、独自の色を出していくつもりだったでしょう。しかしその前に、コロナの外出自粛が始まってしまいました。

「独自色」とはどのようなものか。皇太子時代の行啓から推測できるのは、例えば「山登り」です。天皇徳仁は皇太子時代、登山を趣味として楽しみ、ときには各地の山の上で記者に囲まれて会見をする機会もありました。とりわけ御用邸に近い那須連山では、皇太子妃や内親王とともに散策する姿が見られました。これは平成の天皇による行幸には見られなかったことです。

山の上から天皇が日本を見晴らす「国見」は、むしろ古代の風習であって、各地の山々には往時の天皇が訪ねた碑なども残されています。昭和天皇の弟の秩父宮も山を好みましたが、天皇徳仁は、皇太子時代と同様、御用邸での滞在などに合わせて登山を楽しみ、そこで登山客と触れ合うというスタイルを考えていたかもしれません。しかしいまでは、御用邸での滞在すらも自粛しています。上皇と上皇后もそうです。明治以降初めて、すべての御用邸が長期にわたって全く使われない状況になっているわけです。

新型コロナウイルスの拡大後、ほぼ唯一と言っていい皇居外での活動が、例年の2割ほどに規模を縮小して開催された8月15日の全国戦没者追悼式でした。

2015年、戦後70年の追悼式で天皇明仁は「深い反省」という言葉を使い、その後も折に触れて口にしてきました。これは1993年以降の歴代総理が使ってきた「深い反省」という言葉を使うことを止めた当時の安倍晋三総理に異を唱えるものとして注目され、両者の緊張関係が噂されるきっかけとなりました。

今年の追悼式での天皇徳仁の「おことば」も、昨年同様、その天皇明仁の言葉遣いを踏襲するものでしたが、驚くべきは先に触れたように、コロナ禍について言及したことです。追悼式は、天皇が国民に自らの肉声を届けることができる数少ない機会であり、困難な状況の中で、せめてそのチャンスを活かそうとしたのかもしれません。

しかし、追悼式での「おことば」はあくまで戦没者の霊に向かって呼びかける形式のため、これが国民に対する直接的なメッセージとして受け止められ、影響力を持ったとは言い難いでしょう。今後、天皇と皇后が国民に対し、平成のときのようにテレビを通して語りかける機会を作るか否かがひきつづき注目されます。

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