周回遅れの逆境が隈研吾を国民的建築家に押し上げた

周回遅れの逆境が隈研吾を国民的建築家に押し上げた

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  • 更新日:2021/05/05
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建築家・隈研吾氏

日本の建築史上、最もお茶の間に浸透した建築家、隈研吾氏。その人気の背景には、ビジネスにも通じるヒントがある──。書籍『隈研吾建築図鑑』を執筆した元建築雑誌記者で現在は画文家の宮沢洋氏が、「隈研吾ブレイクの理由」を5回にわたって読み解く。(JBpress)

今、一般の人が最もメディアで顔を見る建築家は、隈研吾氏であると思う。隈研吾建築都市設計事務所の主宰者で、東京大学特別教授。1954年生まれの66歳だ。日本には“建築界のノーベル賞”と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞した現役建築家が7人いるが(槇文彦、安藤忠雄、妹島和世、西沢立衛、伊東豊雄、坂茂、磯崎新の各氏)、隈氏はこの賞をまだもらっていない。それでも、茶の間への浸透度では安藤忠雄氏と同列か、ここ数年に限れば隈氏が上ではないか。

一般の人の認知度がぐんと上がるきっかけになったのは2019年末に完成した「国立競技場」だろう。これは隈氏が単独で設計したものではなく、「大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体」という混成チームでの設計だが、メディア上では隈氏が登場する機会が多く、顔と名が売れた。

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国立競技場(東京都新宿区)外観(記事中イラストはすべて宮沢洋、『隈研吾建築図鑑』用に作成したもの)

※ 本記事に含まれているイラストが配信先のサイトで表示されない場合は、こちらでご覧ください。https://jbpress.ismedia.jp/articles/gallery/65115?photo=2

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国立から居酒屋まで仕事を選ばず

そして、国立競技場によって「国」を代表する建築家となったにもかかわらず、隈氏は依然として地方都市の小さな建物を数多く設計している。居酒屋だって設計してしまう。建築家としての活動約35年間で、プロジェクト数は1000の大台に近づこうとしている(未完成や仮設のパビリオンなども含む)。仕事を選ばない建築家──。そこが、先に挙げた著名建築家たちと大きく異なるところだ。

隈研吾という建築家はなぜ、これほど一般に受け入れられるのか。それまでの建築家と何が違うのか。筆者は、そんな疑問を原動力として『隈研吾建築図鑑』(日経BP、2021年5月11日発行)という本を書き下ろした。「図鑑」なので、全編ほぼイラスト。隈氏の代表的な建物約50件を、建築的な視点で図解している。

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筆者が何者かを簡単に説明すると、文系出身の元建築雑誌記者(記者歴30年)で、現在は「画文家」である。本サイト(JBpress)では、「池袋建築巡礼」という連載を書かせていただいている。

この本の執筆を通して筆者が気付いた「隈研吾ブレイクの理由」を、5回にわたりビジネス視点から読み解いてみたい。初回のテーマは、「自然素材の再発見」。これは、いかにも建築雑誌で使いそうな見出しなので、ビジネス視点で読み替えると、こうなる。

「周回遅れの分野で一番になれ!」

“ポストモダンの悪しき象徴”に

建築界で「隈研吾」の名前を一躍有名にしたのは、1991年に完成した「M2(エムツー)」というビルである。これは自動車メーカー・マツダの子会社である「M2」の本社ビルとして完成し、葬儀社のメモリード東京に買い取られて2003年からは「東京メモリードホール」となっている。

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現在は「東京メモリードホール」となっているM2の正面(東京都世田谷区)

この建物の設計当時はバブル経済のピークで、建築界では「ポストモダン」のデザインが一大ムーブメントだった。無駄を削いだ「モダニズム」のデザインに対し、「伝統様式」を現代的に引用するなどした装飾的なデザインを「ポストモダン建築」と呼んだ。隈氏は、建物の中心にあるエレベータ―の塔を「イオニア式」と呼ばれるギリシャ時代の柱のようにデザインした。環状八号線(環八、東京都道311号)沿いにある建物だが、今でも前を通るとびっくりする。

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斜めから見たM2

そのインパクトで一躍有名にはなったものの、完成と同時にバブル経済が崩壊。「M2」は、“ポストモダン建築の悪しき象徴”のようにメディアに取り上げられてしまう。その結果、「M2」の後、東京での仕事がパタリとなくなる。隈氏はこの期間を「失われた10年」と呼ぶ。

燃えない木材を開発して屋根に使う

1990年代、東京に仕事が全くなくなってしまった隈氏。それでも有名にはなっていたので、地方の小さな仕事には声をかけられた。だが、どれも予算が厳しく、かつてのようにお金はかけられない。

厳しいコストの中で隈氏が注目したのが、木や石、左官(塗り壁)といった自然素材だ。ポストモダンの時代にはほとんど注目されていなかった素材だ。

隈氏は10年かけて自然素材を自身の建築に徐々に取り入れ、2000年に完成した2つの建築で再ブレイクを果たす。ともに栃木県に立つ「那珂川町馬頭(ばとう)広重美術館(完成時は馬頭町広重美術館)」と「石の美術館」だ。

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那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那須郡那珂川町)

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「那珂川町馬頭広重美術館」は、まず、建物の形が「M2」とは全く異なる。子どもが描いたようなシンプルな家の形(建築的に言うと「切り妻」型)。それをすっぽりと、スギのルーバー(細長い棒を並べたもの)で覆った。屋根までルーバーで覆ったというのがミソで、そんな使い方をした建築家はそれまでいなかった。

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なぜ、そんな使い方をした人がいなかったかというと、屋根は「防火」の観点から、燃えにくい材料を使わなければならないからだ。隈氏はこれをクリアするため、研究者とともに、スギを不燃化する技術を開発し、屋根に使用した。

「金はないが職人は自由に使え」

もう1つの注目作「石の美術館」は、名前の通り、テーマが石。「石の建築」というと、普通は塊の石を積み上げたものを想像するが、隈氏は石を薄くスライスし、それを隙間を空けながら積み上げた。これを既存の石蔵と組み合わせ、空間を構成した。

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那須芦野・石の美術館(栃木県那須郡那須町)

先ほどの「那珂川町馬頭広重美術館」は公共建築(発注者は馬頭町)だったが、「石の美術館」は地方の石材店がクライアント。「お金はないが、石の職人は好きなように使っていい」が依頼時の条件だった。隈氏は、職人と試行錯誤しながら、薄くスライスしたり、焼いて色を変えたりと、様々な石の表現を試した。施設は、写真展などを行うミュージアムだが、建築自体が石の可能性を発信する場でもある。

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隈氏はこの2作で「M2の隈研吾」というイメージを払拭した。

近作でも木や石の新たな可能性に挑戦

ここで学ぶべきビジネスのヒントは、木や石といった自然素材が当時、「周回遅れの素材」であったことだ。関心を持つ人が少ないということは、その分野ではトップに立ちやすい。隈氏は「M2」後の約10年間、自然素材の可能性を信じてトライし続け、一気にトップに立った。

隈氏はその後も「木」や「石」の新たな挑戦を続けている。例えば木は、「国立競技場」の屋根などに、石は、2020年に完成した「角川武蔵野ミュージアム」の外壁に、いずれも誰も見たことがない方法で使用している。

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国立競技場内部

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角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)

次回は、「隈研吾のコスパ感覚」について。
第2回●丹下、黒川とは全く異なる隈研吾のコスパ感覚https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65116

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『隈研吾建築図鑑』
著者:宮沢 洋(画・文)
価格:2640円(税込)
発行日:2021年5月11日
発行:日経BP
ページ数:208ページ
判型:A5
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4296108859/
日経の本:https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/21/282010/

宮沢 洋

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