風刺画見せた教師が斬首...パリを襲う5年前のテロの影、コロナ禍の恐怖

風刺画見せた教師が斬首...パリを襲う5年前のテロの影、コロナ禍の恐怖

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/10/18
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2020年10月16日、パリの近くで教師が首を切られて殺害される痛ましい事件が起きた。被害者は中学の男性教師で、授業中に風刺画を見せ、それについてディベートをさせていた。それを理由に脅迫もされていたという。マクロン大統領は「これはイスラム教徒のテロと思われる。表現の自由を教えた教師がテロリストによって殺害された。国はテロリストに決して屈さない」という内容の声明を発表している。

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この時期コロナ感染が再度拡大している状況を受け、マクロン大統領はパリほか8つのフランスの都市で、21時から朝6時までの外出禁止令を導入すると発表したばかりだった。期間は4週間とされているが、その意義や経済的打撃について再び物議を醸している。そこにさらにテロの恐怖が押し寄せていることになる。

そもそも、2020年9月末にパリで起きた事件により、5年前の惨劇や一連のテロの緊張感が呼び覚まされている状況だった。パリ在住の下野真緒さんが痛ましい斬首事件につながる背景をリポートする。

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フランスでは厳しいロックダウン解消後、再度感染が拡大してしまった。写真は2020年10月のパリの風景で、20時すぎからレストランが混みだすフランスでの夜間外出禁止は経済的にも大打撃のはずだ Photo by Getty Images

現「コロナ警戒」と‘15年テロ後の「緊張感」

9月25日(金)の昼過ぎに、新型コロナ関連の話題で持ち切りのフランスメディアに衝撃が走った。私自身、「旧シャルリー・エブド社前で襲撃」という文字が飛び込んできた時、5年前の襲撃ではなく現在のことなのか、思わず一瞬考えてしまったほどだ。
2015年のパリは、1月と11月にそれぞれ衝撃的なテロに襲われ、いわば暗黒の1年を経験した。メトロ、スーパー、レストラン、どこにいてもテロを恐れ、他人を見るたびにテロリストでないかと警戒せざるを得なかったのだ。

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2020年9月25日の日中に起きた惨劇のニュースは、一気にフランスに駆け巡った。マスクをつけていることをみても、これは5年前のことをつたえるものではなく、2020年のことだと明らかにわかった Photo by Getty Images

今回の新たな襲撃によって、外出するたびにコロナを警戒する今の社会の雰囲気が、ちょうど5年前に経験していた陰鬱な空気によく似ていたことが思い起こされた。
ここでは何故今回のテロが起きてしまったのか、最近公判で明かされた2015年の悲惨なテロ現場を振り返るとともに、風刺画の立ち位置についても触れたい。

9月の事件は2015年テロ公判中に起きた

今回の事件は9月25日(金)の昼前、5年前にテロがあったパリ11区ニコラ・アペール通りで起きた。シャルリー・エブド社が2015年1月7日に襲撃を受けたビルの前で喫煙休憩中だった20代と30代の男女社員2名が、突然ナイフで襲われたのだ。2人は重症を負ったがそれぞれ病院で処置を受け、幸いにも一命をとりとめた。彼らはテレビ番組制作会社の社員で、同社はシャルリー・エブド社が入っていた当時も同ビルに社屋を構えていた。(「le mondeより」)

シャルリー・エブド社は風刺画を得意としている新聞社で、2001年のNY同時多発テロを皮切りにしたイスラムへの風刺画に対し脅迫もされていたのだが、それが最悪の形になったのが2015年1月7日に起きたシャルリー・エブド襲撃事件だ。イスラム過激派のテロリスト・クワシ兄弟がシャルリー・エブド本社に押し入り、編集会議に出席していた編集者、風刺画家、コラムニスト、警備にあたっていた警官ら計12名を次々と射殺していったのである。

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襲撃にあったシャルリー・エブドのオフィスには、弔問の花がおおく手向けられた。写真は2015年1月23日のもの Photo by Getty Images

今回襲撃を受けた被害者の会社には、2015年の襲撃の際に5分間に渡る発砲音を聞いていた社員たちが今も在籍している。シャルリー・エブド社に関しては、2015年のテロ以降に引っ越し、その所在地は安全上公表されていない。事件後すぐにパキスタン国籍の男Ali.H(18)が逮捕され、関与が疑われるアルジェリア出身の容疑者らも数名取り調べを受けた。

5年後に事件が起きた理由

何故今になってまたこのような事件が起きたのかというと、今年9月からシャルリー・エブド襲撃事件の裁判が開始されたことが関係している。公判初日には、同紙が 『Tous ça pour ça (すべてはこれだけのためだった)』というタイトルと共に、一部のイスラム教信者の怒りをかっていた問題の風刺画を掲載していた(タイトルの意味は文脈上、「襲撃テロによる虐殺は風刺画のためだけに起きた」と解釈できる)。もちろん、シャルリー・エブド側にとっては12人もの編集者や風刺画家ら仲間の命が奪われたことによる批判はあってしかるべきである。しかし実際、今回の犯人もこの風刺画の再掲載を襲撃の動機として挙げており、最近ではシャルリー・エブドに対するイスラム過激派による脅迫が再び続いていた。

風刺画を「表現の自由」と割り切り、むしろ伝統として守るフランス人と、風刺画を真に受け憤慨するイスラム過激派。信仰の自由は受容しても宗教批判は違法としないフランス社会を前に、風刺画を巡る良し悪しの議論はいつになっても終わりがない。一方カステックス仏首相は今回の事件を「テロ」とし、2015年当時もフランスで叫ばれた「表現の自由」を守る姿勢を示している。つまり、フランスでは風刺画は擁護されるべき対象に今も変わりないのだ。

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世界各国さまざまな人が風刺画の対象となっており、フランスではその文化を大切にしている Photo by Getty Images

悲惨な襲撃の様相が公判で明らかに

2015年1月7日に起きたシャルリー・エブド襲撃事件では、イスラム過激派のテロリスト・クワシ兄弟がシャルリー・エブド本社に押し入り、編集会議に出席していた編集者、風刺画家、コラムニスト、警備にあたっていた警官ら計12名を次々と射殺していった。公判で証言台に立った漫画家のコリーヌさんは、悲惨な襲撃の様子を明らかにしている。

その日の編集会議後、子どもを保育園に迎えにいこうと早めにビルの下へ降りた。そこへ目出し帽をかぶった2人組がやってきて、銃を突きつけられ、人質に捕られるかたちで編集室のドアのコードを押すよう強要された。扉が開くと、急いで机の下に隠れたが、「その後は、絶え間ない銃声と椅子の音しか聞こえなかった。(中略)それから、暴力的な<沈黙>だけが続いた」と語った(francetvinfo.frより)。立ち上がると目の前には虐殺の光景がひろがっていたという。

「校正担当ウラドの体が見え、編集長のシャルブ、シャルブの警護担当警察官、そして風刺画家のカビュの足が見えた。すぐにカビュの足だと分かったのは、会議中に彼が食べていたパン屑がコートから出ていたから」(franceinter.frより)

コリーヌさんは自分が扉を開けたことで起こってしまった悲劇に、現在も罪悪感を抱き続けているという。

「まさにあれは虐殺だった」

事件後最初に現場に駆けつけた救急医師であり同紙の医療関係の元コラムニストであったプルーさんは、「今まであんな現場は一度も見たことがなかった。まさにあれは<虐殺>だった」と「egora.fr」で語っているる。

1985年にパリのユダヤ人国際映画祭で起きたイスラム過激派による爆破テロに遭遇し、2015年のシャルリーエブド襲撃テロで再び被害に遭った編集者もいる。銃弾の後遺症により、杖をつく生活を余儀なくされているニコリーノさんだ。テロリストと対峙した瞬間について、「仲間たちが体と顔を正面に向けて席から立ち上がったが、(過去の経験からか)反射的に背を向けて床に伏せ、机を引こうとした」と語った。ニコリーノさんは両脚と肩に銃弾を三発受けたが、生き延びた(「le monde」より)。

事件直前、テロリストたちが何人かの人にシャルリー・エブド社が何階に入っているかを聞き出そうとしていたが、その中で無関係な会社の社員であったフレデリックさんも銃殺されている。元同僚のジェレミーさんによれば、パソコン前での作業中、いきなり扉が激しく開かれ、「シャルリー!」という怒鳴り声と共にカラシニコフ銃が一発発砲されたという。「メンテナンスに来ただけで今日は初日だ(=ここのことは知らない)」と言うと犯人は去って行ったが、その時フレデリックさんのうなり声がして、彼が銃弾を受けていることに気付いた。「さっきまで漂っていた銃弾の臭いが血の臭いにとって変わった」という。

犯人が再び戻って来た時のことを考え、100kg近くあるフレデリックさんをトイレまでひきずって行き、隠れた。その時上階から、タタタタッと銃が何発も放たれる音が聞こえ、その後不気味な沈黙で静まり返った。フレデリックさんの傷口を押さえて止血しようとしたが、「寒い、熱い、もうだめだ」とつぶやくと、「子どもたちに愛していると伝えてくれ」と言い残し、そのまま息をひきとった(ouest-france.frより)。

「ペンは剣よりも強し」仏史上最大規模の行進

2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件後、8日にはパリで女性警察官への発砲、9日にはユダヤ系スーパーマーケットでの人質立てこもり事件が起き、一連のテロによる犠牲者は17名にのぼった。これを受け、1月11日にはフランス全土で400万人以上による「共和国の行進」が行なわれ、イスラム教やユダヤ教の権威も各国から参加し、パリでは160万人以上が行進に加わった。3日間に及ぶ衝撃的なテロ事件を経て、私はパリ市内を歩くのを恐れる気持ちが強かったが、最初で最後のデモ行進を経験することになった。一連の事件のあとで、フランス国内に蔓延していた行き場のない悲しみをヒシヒシと感じ、暴力によって表現の自由を抹殺しようとしたその卑劣な行為や犠牲者の方々を思うと、何もせずにはいられなかったのだ。

大部分の人々は、「シャルリー、シャルリー!」と叫びながら「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というプラカードを掲げ、「表現の自由」を守るための連帯を示し抗議した。周りを見渡すと国籍や肌の色に関係なく、実にさまざまな人種がおり、フランス社会の縮図をまじまじと見せつけられた。一般的なイスラム教信者は今回の風刺画を肯定することはできないだろうが、だからといって自分達を過激派と同じにしないで欲しいと主張をせずにはいられなかった。テロ後は特に、「一般的なフランス人対フランス在住イスラム教徒」の分断が深刻化することが懸念されていた。

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フランス全土でデモは広がった Photo by Getty Images

時に一部の人の間で、「風刺画を描いたのだからテロを招くのは自業自得」といった意見を目にすることがある。風刺画によって傷つく人がいるというのは一理あるし、日本での原発事故を揶揄する風刺画に私自身怒りを覚えたこともある。しかし風刺画は、フランスでも「やり過ぎだ」と言われることもありながら、受容され続けてきたいわば特有の文化であることは否めず、大切なのはその画が描かれる文脈の理解なのだとも感じる。何もしていないのに「からかわれて」風刺画を描かれるのと、何年も前から虐殺を繰り返してきたテロリストに向けた風刺画を描くのとでは意味合いが異なると感じる。

デモ行進時には、「ペンは剣よりも強し」という言葉を掲げたフランス人たちが数多く見られた。いわれなきテロで大切な命を奪う行為に対し風刺画をもって対抗することを「使命」とした編集者や風刺画家が惨殺されたことにより、当時フランス国内だけではなく、世界中の人々が悲しみと悔しさを抱えて立ち上がった。

どこか 「コロナ警戒」の今に似ている

1月のシャルリー・エブド襲撃事件に始まり、3日間に渡って続いた一連の襲撃テロにより、パリの人々はまたいつ起きるか分からないテロの恐怖に脅かされるように生活することになった。それは同年11月に起きたフランス史上最悪の同時多発テロによってさらに浮き彫りになった。それ以降、パリ市内外はより糸を張りつめたような空気に包まれ、「いつどこで誰がテロの犠牲になってもおかしくない」という危機意識が人々の間に芽生えた。

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2015年11月13日に起きた同時多発テロは、レストランの窓際に座っていた人が犠牲になるなど、卑劣なものだった。写真は実際被害に遭ったレストラン「La Belle Equipe」 Photo by Getty Images

当時はカフェテラスに座る人の姿はまばらになり、私もレストランやカフェテラスで食事をするのを避けるようになった。メトロに乗る時はテロリストが「神は偉大なり」といつ叫ぶかと恐怖心に駆られ、イヤホンで音楽を聞くこともなくなり、逃げやすい位置に乗車する癖がついた。駅構内や細い道、空港などですれ違う人にアーム用手袋(爆弾装置を起動するのに装着するとされていた)をする人がいないか警戒するようにもなった。また、全身を黒い布で覆うイスラム教徒の女性(フランスでは禁止されているが地域によって着ている人がいる)を見ると、爆弾を布の下に装着している事件などが他国で盛んに報じられていたため、すれ違うのすら恐ろしかった。

これらのことは恐怖心からくるものであるが、人種差別という問題と背中合わせだったのも事実である。それは、私が新型コロナ流行初期に1〜2月のフランスで経験した、「アジア人をみたら新型コロナに感染していると思う」というものからくる差別行為に似ていたのだろう。

今思うと、テロ事件後の「テロリストに怯えながら街に出る」という感覚が、見えないウィルスに常に気をつけなければならない新型コロナ感染流行の現在にとても良く似ているのだ。シャルリー・エブド旧社屋前で襲撃事件が起きた時、当時の緊張感がデジャヴュのように蘇り、「まるで今と一緒ではないか」とその類似性にハッとさせられた。それと同時に、コロナだけでなくテロにも警戒しなければならない今のフランスの空気は、ますます人々に生きづらさを感じさせていることにも気付く。この国は自由を掲げ規制を疎ましく思う人々が暮らす国なのに、である。これらの鬱憤は、毎週のように行なわれていたデモや、不定期のストに現れているのかもしれない。

2週間の秋バカンスと同時に外出禁止令が発動されるパリほか仏主要都市では、ホームパーティーの機会が減るほか、親族の集まりなどにも「6人ルール」が敷かれる。レストラン、カフェ、イベント事業者へのマイナスの影響は確実で、政府支援があるとはいえピリピリとした雰囲気は強まる一方だろう。コロナ禍、テロ、人種問題、ストライキ、警察・市民間の暴力事件……常に軋轢が絶えないこの国の姿を目の当たりにし、これ以上、フランスの社会が行き詰まらないことを願うばかりだ。

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コロナの感染拡大をおさめるための夜間の外出禁止令。ピリピリした空気もまた強まってしまうのか…Photo by Getty Images

下野真緒

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