
写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第39回は「年をとることへの向き合い方」です。
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既に、若さは過ぎ去りつつある
気が付けば、30代が視界に入ってきた。今年で28歳になる。
年上からはまだ「若いね~」とよく言われるし、実際社会全体でみたら若者であるのは間違いがない。
ただ、実感としては20代前半の若者とは明らかに違うし、人生の一つの転換期を迎える年頃だ。
同級生を見渡しても、既に新卒で入った会社を辞め、転職している人がほとんど。中にはすでに3社目以上という人もいる。時代は変わり、一つの会社に最低でも3年以上なんて常識はとっくに崩れている。
それだけでなく、結婚・出産を迎える同級生も多い。仲のいいメンツの中では独身は既にマイノリティだ。さらに、大学進学や就職を機に上京したが、都会に疲れて実家に戻ったという人もちらほら出始めた。地方出身者の多くは一度は都会に憧れる。でも、いざ都会に出てみてその刺激に疲れた、と感じるのが20代後半だ。私の周りだけかもしれないが、大きな会社でバリバリ働き、ギラギラした生活を送りたいという欲は、20代前半がピークで、その後はかげりを見せる。私自身あんなに都会に出たい!と息まいていたのに、いざ東京で数年暮らすともう息苦しくて仕方がない。すでに草花のにおいが充満し、夕方はひんやりとした風に包まれる田舎が恋しくて仕方がない。
20代後半になると、20代前半とは価値観も考え方も、幸せの尺度も何もかも違う。同じ人間なのに様変わりしてしまう。既に、若さは過ぎ去りつつある。
年をとることが嫌ではなくなっている
20代前半ごろまでは、誕生日が来るのが嫌だった。年をとることに漠然とした不安があったのだ。何もしていない、若さを謳歌していないのに、年齢だけは有無を言わさず加算されていく。だからお祝いと言われても、何がめでたいんだ、とずっと思っていた。
ある取材で、年下の取材対象者が、「私、はやく年とりたいんですよ」と言ったことがあった。「若い」のど真ん中にいて、どんどん夢を叶えていく最中のその人からそんな言葉が出てきて、少々面食らった。
でも、私も今はその気持ちがわかる。年をとることが嫌ではなくなっている自分に気が付いたのだ。
とはいっても、元々若さにそこまで執着はなかったように思う。若さを享受したことなんてない。学生時代は毎日が辛くて死にそうだったし、青春なんて一番縁遠かった。今しかできないこと、若者が経験すべきこと、そういった一般的な若者のコースからは早いうちから離脱した。若いうちしかできないことを逃さない、なんてことはとっくに諦めている。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)
社会人になって、関わるのは圧倒的に40代以上だ。職場によるだろうが、同世代は絶滅したのかと思うほど、平均年齢の高い職場ばかりだったからかもしれない。今連載している媒体もミドル世代向け、この『婦人公論.jp』も親世代くらいがターゲットの媒体だ。
私はその中で、「素敵なミドル」にたくさん出会った。素敵なミドルは、なんといっても、20年以上のキャリアに裏打ちされた知識と余裕がある。
20代と言えば、社会人歴なんてたかが数年。まだまだ社会のことなんて分からないし、ミスをすれば慌てふためき、先方の一挙手一投足に怯え、顔色を伺ったりする。でもミドルは違う。多少のことでは動揺しないし、私が慌てると、「こうすれば大丈夫」「みんなそんなものだよ」と言ってくれる。基本的に大きく構えているのだ。
そして素敵なミドルは人に頼るのが上手い。色んなスタッフの得手不得手や性格を見極めて仕事を振るし、要求は遠慮なく、でも相手に敬意を持って伝える。外部の人にもよく連絡して、情報収集も抜かりない。
まぁいっか、なんとかなる
さらに、そんなミドルのある先輩に言われたことがある。「20代の子には、40代以上の蓄積されたノウハウや人脈をフルに活用して欲しい。なんでも頼ってね」と。自分のことでいっぱいいっぱいな自分には、他者のために時間や労力を割く余裕やモチベーションが、とても新鮮で豊かなものに映る。
ありがたいことに自分が貯めてきたものを、次の世代に還元したい、そう思っている上の世代に触れることが多いのだ。そんなミドルを見ると、年齢を重ねるって、いいことなのかもしれない、と思えてくる。
もちろん、これからどんどん肌艶はなくなって、髪のコシもなくなり、できないことだって増えていくだろう。失ってから初めて若さの価値に気づくのかもしれない。今は若いからってその恩恵にあずかったことはないと思っているが、気づかぬうちに若さで得していることだってあるだろう。

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でも、若さという価値は刹那的だ。それはどうあがいたって失われていく一方なのだ。
そんな刹那的な価値にしがみついたって、きっと不安になるだけだ。
でも、知識や人間関係、どんと構える余裕やこの世を生き抜くノウハウは、増やすことができる。努力次第で増やすことができるものに価値を置いた方が、きっと豊かだと思う。
20代は確かに、若さという人生で一度しかない、それはそれは贅沢な価値がある年代なのかもしれない。
でも一方で、足元はおぼつかないし、がちがちに緊張して、いちいち全てを受け止めて、ビクビクして、考え込んで……。そんな不安定さもある。
長く生きてみないと分からないことだってきっとたくさんある。
まぁいっか、なんとかなる。そんな風にどーんと構えるミドルになりたい。
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ヒオカ