離婚までの100日間。幸せな夫婦生活の裏で、妻の知らぬ間に夫が準備していた計画

離婚までの100日間。幸せな夫婦生活の裏で、妻の知らぬ間に夫が準備していた計画

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  • 更新日:2020/11/28
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ー3年前ー

帰宅した瞬間から、予感はあった。

いつもよりも温度が低い部屋。玄関にはキーケースに入っていない裸の鍵。

廊下を歩いていくうち、悪い予感は色濃くなっていく。

リビングにあったはずの物が半分なくなっているのを見た時、友梨は確信した。

―彼が出て行った。

テーブルには見慣れない紙が残されていた。隣には小さな封筒も。

―見たくない。

直感でそう思った。

何度か深呼吸をした後にゆっくりと持ち上げたその紙は、鉛のように重く感じる。まるで腕がしびれていくような感覚に囚われた。

そのまま床にお尻をついて座り込む。そこから根が生えたかのように、友梨はしばらく動くことができなかった。

その紙の正体は、もちろん…。

友梨が、紘一と出会ったのは、大学生の時だ。

友達の彼氏の友達。同じ大学の同じ学部で同い年。仲良くなるのに時間はかからなかった。

何でも話せる異性の友人というのは貴重な存在で、友梨は紘一と過ごす時間が好きだった。

そして出会いから半年後。紘一に「付き合ってください」と言われた。

最初は、付き合いたくはないと思った。付き合えば、いつか失ってしまうかもしれないからだ。心地良い関係を続けたかった。

でも無理だった。

紘一が自分に好意を抱いてくれた。そう考えるだけで朝起きてから夜寝るまで、いや、たとえ夢の中でも、心が躍って仕方ない。

付き合う以外の選択肢はなかったのだ。

「友梨の彼氏って、どんな人?」

まだ紘一を紹介したことのない友達に、そう聞かれたことがある。

「どんな人って、難しいなあ…」

「じゃあ、どこが好きなの?」

「好きなところか…」

紘一の長所が次から次へと頭に浮かぶ。

「たくさんあるんだけど、一つ選ぶとしたら、何でも話せて何でも共感してくれるところかな?」

日々の些細なことから、喜びも悲しみも、たとえ怒りであっても、ちょっとした感情まですべて話せる。そして共感してくれる人は、友梨の人生で他にいない。

付き合って一年も経たないうちに、紘一こそが運命の相手だと感じた。

「社会人として2年を過ごしたら、結婚しよう」

大学を卒業する間際に、そうプロポーズされた。

すっかり安定した恋愛を手に入れ、大学卒業後はとにかく仕事に励みたかった友梨にとって、それは最高の提案だ。

そうして結婚を前提とした同棲が始まり、自然な流れで入籍した。きっちり社会人として2年を過ごしたあとの、春のことだった。

紘一はいつだって、友梨の言葉や意見をすべて受け入れ、そして自分の感情も話してくれる。

だが結婚生活が始まると、紘一は少しずつ、それらのことを話さなくなっていった。

「夫婦ならお互いに本音をすべて話し、解決するべきだ」と主張する友梨。

一方で、「夫婦のように近しい存在だからこそ、空気を壊さないために言わない方が良いこともある」と主張する紘一。

衝突と修復を何度も繰り返した結果、深まっていったのは仲ではなく、溝だった。

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「どうして私のこと、わかってくれないの!?」

何度目かの大きな口喧嘩をした時、友梨は感情が高ぶり、そう口走ったことがある。

夫婦はしょせん他人だ、と誰もが言う。しかし紘一は違う。紘一だけは何でも共感してくれる。私を理解してくれる…はずだったのに…。

そんな失望が、友梨の心の叫びとなって口に出てしまった。

「昔の紘一に戻ってよ!」

その時、紘一はとても驚いたような傷ついたような顔をした。

「そうだよな…たしかに昔の俺とは変わったよな…」

紘一は「俺が悪かったよ」と言って、深々と頭を下げた。

それから、紘一は変わった。

昔の、付き合いたてのころの紘一に戻ったのだ。

意見が分かれた時も、論理的に友梨を詰めることはなくなり、友梨の言い分を笑顔で受け止めてくれる。

紘一の気遣いは十二分に伝わり、「自分は愛されている」と友梨は感じた。

やっぱり、意見が衝突してもしっかり話し合うことで、夫婦は前を向いて進んでいけるのだ。

友梨は学び、そして満足した。

しかし愛に溢れた平穏な日々は、最後の夫婦喧嘩から約三ヵ月後、突然幕を閉じることになる。

愛に溢れている…と思っていたのは、友梨だけだった。

紘一は何の前触れもなく、突然出て行った。

平穏な夫婦生活を送っていたはずなのに、紘一が突然別れを決意した理由は…。

紘一の物がなくなって、少し殺風景になったリビングの真ん中で、友梨は呆然とするしかなかった。

意味がわからない。紘一は今朝まで普通だったのに。いつも通り仕事に出て行ったのに。

胸には、様々な感情が渦巻く。まだ実感がないせいか、体の力が抜けていくばかりで、不思議と涙は流れなかった。

鉛のように重たかった離婚届を、友梨はテーブルに戻した。そして隣にある封筒に手を伸ばす。

中身はシンプルな便箋が一枚で、そこには紘一の几帳面な文字が並んでいた。

『友梨へ

突然出て行ってごめん。驚かせたよね。

本当はちゃんと面と向かって言うべきなんだろうけど、言えなかったので手紙にします。ごめんなさい。

三か月前のケンカで友梨に「昔の紘一に戻ってよ」と言われた時に、離婚を決意しました。

これでも僕は僕なりに、良い人間になるため成長したと思っていました。

でもその成長は、友梨にとっては悪いことだったのだと感じました。

僕らにこの先はないんだなって確信しました。

それで別れるための準備を始めました。

準備期間、せめて二人で過ごす最後の時間だけは良いものにしたい、良い思い出を残したい、という気持ちで友梨に接していました。

こんな接し方がずっとできればよかったのだけど、僕にはできませんでした。

昔の自分に戻ることは、したくないんです。

ごめんなさい。僕と離婚してください。』

何度も読み返し、ようやく内容が理解できた頃に、涙が溢れてきた。

この心地良い平穏な三ヵ月は、紘一の最後の思い出作りだったのだ。

―私は何も知らず、呑気に楽しんでいた。紘一に愛されているとすら思っていた。

それに気づいた時、恥ずかしい気持ちと情けない気持ちでいっぱいになった。

頰を伝う涙をそのままに、友梨はひとしきり泣いた。自分が何を一番悲しんでいるのか、悔いているのかわからなくなるほど泣いた。

5日後。覚悟を決めた友梨は、離婚届に自分の名前を記入し、役所に提出したのだった。

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それから3年が経ち、紘一のことはもう吹っ切れていた。

別れてから1年後には駿という彼氏もできた。しかし駿とは彼の浮気が原因で別れてしまった。1年の交際、1年の同棲を経て再婚も考えていたのに。

「結婚するなら、相手の女も初婚がいい」

駿のLINEは、いまだ棘となって心に刺さったままだ。

その後はもう、信じられないことの連続だった。

10年以上ぶりに再会した同級生・将人と不倫していると誤解され、彼の妻・真由子に職場まで来て、文句を言われた。

「あなたみたいな女は、一番の女にはなれない」

真由子の言葉もまた、棘となって心に刺さっている。

どうして自分は幸せになれないのだろうか。どうしてこんな目にあうのだろうかと大泣きした夜もあった。

それでもどうにか浮上しようと気分転換に出かけた先で、真由子の浮気現場を見てしまった。長く別居していた将人と真由子は、それをきっかけに離婚した。

新しい家が見つかるまで、将人は友梨の家に居候することになった。あくまで友人として。

不思議な同居だったが、楽しかった。

―本当に信じられないくらい、めまぐるしい…。

極めつけは、紘一からの電話だ。

会いたい。そう言われたのは、離婚後、初めてのことだった。

「時間を作ってくれないかな?どうしても会って話したいんだ」

友梨は沈黙したあと、尋ねた。

「…会って、何の話をするの?」

冷たい口調になってしまったことを、すぐに後悔する。だが紘一は気にしていないらしい。

「報告があるんだ」

「電話じゃダメなの?」

今度は、紘一が沈黙する。

本音を言えば、会いたくないわけではない。しかし3年も会わなかった元配偶者と会うには、それなりの理由が必要だ。友梨がそう伝えようとすると、紘一は言った。

「電話じゃダメなんだ」

強い口調だった。紘一らしくない。

「まだ、あの家に住んでるの?」

友梨が住んでいるこの賃貸マンションは、紘一と共に暮らし、離婚後も友梨が一人で賃料を払い、住み続けたお気に入りの物件だ。駿との同棲でも、彼の許可を得てこの家から動かなかった。

そして今は、将人がいる。

「うん、住んでるよ」

「じゃ、家に行ってもいい?会って話したい」

それはダメだ。将人がいる。友梨は咄嗟にこう言った。

「わかった。会ってもいい。…だけど、外で会おう」

「ありがとう。そしたら店を決めたら、また連絡するよ」

最後は、友梨が知っている頃の紘一の、優しい声色に変わっていた。

紘一は「じゃ、楽しみにしてる」と言って、電話を切った。

ベッドの中で友梨はしばらく放心した。

隣室のリビングに将人がいることなど、すっかり忘れていた。

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3年ぶりに再会した元夫の紘一は、友梨に何を告げる?

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