岡田阪神優勝の裏に令和版の「普通」 10年間ネット裏で学び、感じ取った時代の変化

岡田阪神優勝の裏に令和版の「普通」 10年間ネット裏で学び、感じ取った時代の変化

  • 東スポWEB
  • 更新日:2023/09/19
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栄光の優勝ペナントを手に甲子園のグラウンドを一周

【18年ぶり「アレ」の真実(上)】18年の時を経て阪神・岡田彰布監督(65)が再び宙を舞った。自身が率いた2005年Vから時代は流れ、プレースタイルも変化を遂げる中、2次政権1年目での鮮やかな「アレ」。新時代の若手を率い、虎党の長年の悲願を結実した裏側にある真実をひもとく。

「普通にやったらええんやて」

阪神・岡田監督から何度、このフレーズを聞いたか。もちろん今季に限ったことではない。前回「アレ」を成し遂げた2005年も同じセリフを何度も発していた。

ただ、その「普通」を遂行することは容易ではない。勝負どころで「普通」を完遂することの難しさ。これをできないシーズンが「アレ」を達成できない法則を、指揮官は身に染みて理解している。

10年から3年間指揮を執ったオリックスでの監督時代は苦い経験の連続だった。特に就任2年目の11年10月18日、最終戦となったソフトバンク戦の結果は象徴的だった。

勝てば3位でCS進出。大一番で岡田監督は絶対エースの金子千尋を先発マウンドに送り出し必勝を期した。ところが、すでに優勝を決めていたホークスを相手に1―4と完敗。3位になった西武とゲーム差なしの勝率1毛差という超僅差でBクラスに終わった。

ここぞという時に1勝をもぎ取ることができなかった。それ自体も痛かった。だが、岡田監督が後日になって話したのは「普通」にできなかった過去の試合への後悔だった。

「それ以前に、もっと普通にやってたら勝てたゲームがいっぱいあったやんか。そういうゲームを落としてきた結果やん。最後にツケが回ってきたんよ」

翌12年はオリックスのフロントが大補強を断行。ユニホームも一新し優勝を目標に掲げた。それでも、序盤から苦戦が続きチームは空中分解。優勝争いに絡むどころか、9月にシーズン途中解任という屈辱にまみれることになった。

独特の野球観と昭和のボス感漂うリーダーシップ。時代遅れという声もあった。ただ、その現実を直言できる側近を寄せ付けない岡田監督もいた。周囲との距離感が縮まらないままかつての虎の名将は孤立していった。

それでもそこからの10年間、岡田監督はネット裏から野球を見続けた。自身こそが一番の阪神ファンでもある指揮官は「そこはそうちゃうやんか」と試合に没入し勝利をシミュレーションした。

それだけではない。時代の移り変わりを感じ取ることも忘れなかった。現代の若者の考え方、野球自体へのアプローチの変化を読み取った。

赤星、今岡ら生え抜きのタイトルホルダーがチームをけん引し、FA組の金本ら実績ある主軸が「普通」の野球を当たり前に遂行できた05年とは違う。一死三塁で相手が前進守備をしないなら内野ゴロで1点。その1点をJFKで逃げ切る。根底にあるコンセプトは同じでも令和バージョンでは選手へのアプローチを変えた。

若手にプレッシャーをかけることなく、経験を積ませながら「普通」の野球を徐々に浸透させた。前政権ではベンチで白い歯を見ることはほぼなかったが、65歳の老将は満面の笑みを見せ続けた。仏頂面で無言の重圧をかけることはやめた。

好々爺に見守られたナインは監督の意図をくみ取り「普通」を吸収、実行していった。

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