菅新総理が憲法9条について行うべき「たった一つのこと」

菅新総理が憲法9条について行うべき「たった一つのこと」

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/16
No image

改憲問題はどうなるのか?

自民党の新総裁が決まった。安倍内閣の政策は継承されるということだが、選挙に勝ち続けた長期政権で達成できなかった課題を遂行することは、当然ながら容易ではない。

新型コロナ対策や経済政策が喫緊の課題であり、外交・安全保障政策の整備も重要である。となると、その他の懸案事項のために残す余力はどれだけあるだろうか。

No image

〔PHOTO〕gettyimages

安倍首相が力を入れていたはずなのに達成できなかった課題の一つが、改憲問題だろう。

自衛隊を明記する9条改憲案は、安倍首相のパーソナリティーと深く結びついたものだった。安倍政権の継承を掲げる菅氏ではあるが、安倍内閣で達成できなかった改憲を、菅内閣で簡単に達成できるとは思えない。

各種世論調査を見ても、国民の改憲問題への関心は低い。改憲問題が喫緊の課題であるという認識がないので、優先順位が低いと見なされているのだろう。

安倍首相は、自衛隊明記の改憲案は現状を変えるものではない、と説明した。それでも、なお首相在職期間中に達成できなかった。そのことが、国民意識に大きく影響した。

自衛隊明記改憲案は、現状を変えるわけでもないのに、なお達成には何年もかかる多大な努力が必要な課題なのだ。だとしたら、それは先送りすべき課題で、他の切迫した課題を優先させるべきではないか? 多くの国民がそう感じているのは無理もない。

ただし、実は、新型コロナ対策を例にとってみても、緊急事態条項の必要性などの憲法問題が大きく関わっている。本来であれば、切迫した課題によりよく対応するために改憲は議論されるべきである。憲法9条を変える必要がないのであれば、それでいい。ただ、9条をめぐるイデオロギー論争で、憲法論議そのものが停止してしまうのは、日本にとって不幸なことだ。

9条改憲は必要ない

筆者は、自衛隊明記改憲案に賛成する文章を何度か書いたことがある。内容に満足したわけではないが、改憲をして前に進むこと自体は、良いことだと考えた。だがその案ですら、国会での議論の対象にすらならなかった。9条をめぐる各政党の立場は、イデオロギー的な事情で硬直化した支持者層に訴えるだけのものになっている。

そうだとすれば、確かに9条改憲は、違うアプローチで考えるべきだろう。緊急事態条項の挿入は、より切迫した憲法問題であり、むしろこちらを優先した方がいい。9条をめぐるイデオロギー対立が契機となって、他の条項に関する改憲案も発議できないとすれば、事態は深刻である。

いまだに大多数の憲法学者が自衛隊を違憲だと考えている状況を是正したい、という安倍首相の訴えが、全く無意味だったとは思わない。憲法学通説が極めてイデオロギー的な事情で成立している奇妙なものだ、という理解を確定させる必要性はある。本来必要なのは、間違った憲法解釈を放逐することであり、実は改憲それ自体ではない。

9条について行うべき「一つのこと」

すでに国民世論の大勢は、自衛隊合憲論である。憲法学通説の奇妙さも広く知られている。今や改憲の狙いは、国民意識と乖離した憲法学通説が、内閣法制局などの一部既得権益勢力と結びついて支配勢力となっている日本社会のいびつな構造を是正することにある。

そのことをふまえれば、新首相が9条に関して行うべきただ一つのことは、次のことである。

それは、国会で、内閣総理大臣が、「自衛隊は、軍隊であり、合憲である」と宣言することだ。

現行憲法が「軍隊」を否定している、というのは、イデオロギー的な憲法学通説の解釈論でしかない。マッカーサーもGHQの役人も、憲法起草者たちは、一度もそのようなことを言わなかった。ただ、左翼勢力の牙城であった日本の憲法学者たちが、イデオロギー的事情で、後付けで、そのような「憲法学通説」を作り上げた。

実際に憲法9条2項が否定しているのは、あくまで「戦力(war potential)」である。9条2項で例示されている「陸海空軍」は、「戦力」としての「陸海空軍」のことであり、「軍隊」一般の禁止を意味していない。

No image

〔PHOTO〕gettyimages

もともとのGHQ草案の「war potential」という語を、1946年当時の日本政府が「戦力」という法的緻密さに馴染まない日本語で翻訳してしまったところから混乱は広がった。

だが、いずれにせよ、この「戦争潜在力(war potential)」としての「戦力」に内包されている「戦争(war)」の概念は、9条1項で放棄されている「戦争(war)」である。この意味での「戦争」は、日本国憲法に先立って、国際法によって違法化された「戦争」だ。

日本国憲法は、9条1項で「戦争(war)」を放棄し、9条2項で「戦争潜在力(war potential)」の不保持を誓った。簡明な話である。

国際法は、「自衛権」行使の主体としての各国の軍隊の存在を、否定しない。日本国憲法9条も否定していない。したがって国際法にのっとった「軍隊」である限り、9条2項の「戦力不保持」の規定にかかわらず、自衛隊の存在は、違憲ではない。

実はすでに過去の政府答弁でも、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないが、国際法上の「軍隊」であるという理解が説明されている。

ところが答弁自体が遠回しな言い方をしているために、国会議員の間ですら、理解が広がっていない。政府は、あらためて、「自衛隊は軍隊であり、合憲である」という立場を、明確に宣言するべきだ。新首相は、その責務を全うしてほしい。

自衛隊の合憲性については、1973年長沼ナイキ訴訟の第一審において、札幌地方裁判所が違憲判決を出したことがある。その後、二審判決は統治行為論を採用し、最高裁判決は訴えの利益がないとして自衛隊の合憲性について判断しなかった。

玉虫色の結果と言えるが、左派系団体の青年法律家協会に属していた一審の福島重雄・札幌地方裁判所の裁判官の意見を、永遠に全ての日本の憲法判断の根拠にしなければならないというのは、おかしい。

安倍首相は、砂川事件を引き合いに出して、自衛隊の存在の合憲性を擁護したことがある。批判を受けたが、的外れではない。砂川事件において、最高裁判所は、明示的に自衛隊を論じなかった。ただし、自衛権の行使が合憲であることは明確に肯定した。したがって、自衛権を行使する軍隊であるのなら、自衛隊は、合憲なのである。

内閣法制局は、長沼ナイキ訴訟第一審という一つの司法判断を正面から否定することを避けたいのかもしれないが、自衛隊が合憲であるという立場をとっていることは確かなのだから、全てを曖昧にすることはできない。

むしろ内閣総理大臣は、自衛隊法に定められた自衛隊の最高指揮監督者として、自衛隊が、自衛権を行使する「軍隊」として合憲であり、長沼ナイキ訴訟第一審が誤解した憲法上の「戦力(war potential)」ではない、ということをはっきり明言するべきだ。

正しい憲法解釈に対する理解が深まれば、国民投票をへた9条改憲など必要なくなる。余った力は、より具体的な政策に振り向けたり、あるいは緊急事態条項などの他の改憲案をめぐる議論に振り向けたりすればいい。

もし野党や一部憲法学者が、「自衛隊は軍隊であり合憲である」という見解を違憲だというのであれば、そのときこそは憲法解釈を確定させる改憲案を提示し、国民の合意を求めればいい。

首相が国会で明確に宣言した憲法解釈に異論があるのであれば、野党も憲法論議に参加せざるをえなくなるだろう。野党が積極的に憲法論を仕掛けてくるのであれば、そのときこそ正々堂々と解釈を確定させるための改憲案の国民投票を求めればいい。

ちなみに私自身は、9条の改憲をするのであれば、純粋に解釈を確定させるだけの目的で、「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」という一文を9条3項として挿入すれば、それで十分だと考えている。

ただこの私の追加条項案は、すでに存在している1項・2項の解釈を正しいものに確定させるためのものだ。正しい憲法解釈の理解が広がるのであれば、本来は、改憲は不要である。

本当に必要なのは、イデオロギー的な憲法学通説の駆逐である。それが国際法にも合致した正しい解釈を確定させるための条項の挿入であるのなら、そうすればいい。だがもし正しい解釈が確定し、改憲が不要になるのなら、それでいい。

そのための布石を打つためにも、まずは首相が、「自衛隊は、軍隊であり、合憲である」と宣言することが必要だ。

自衛隊が合憲か違憲かは、未来に向けた抽象的な問いではない。過去と現在の日本のあり方に関わる問いだ。首相がはっきりと正しい憲法解釈を示すことが、本来は当然である。

憲法学通説のイデオロギー性

1978年12月7日ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第43条は、軍隊とは、「部下の行動について当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る」と定義する。

現実に照らして、自衛隊がこの定義の意味での軍隊であることに疑いはないだろう。もし自衛隊に上官責任の原則がなく、内閣総理大臣を最高指揮監督者とする指揮命令系統(自衛隊法第7条)がないのだとしたら、自衛隊の根拠法である事態法が違憲であるだけでなく、日本の統治形態は重大な欠陥を抱えた混乱したものであることになる。

現実が依拠している憲法解釈が正しいのか、自衛隊を違憲とする憲法学通説が正しいか、どちらかである。両者の同時成立は、ありえない。

〔PHOTO〕gettyimages

冷静に日本国憲法を理解してみよう。そうすれば、間違っているのが憲法学通説のほうであることに、疑いの余地はない。

日本国憲法は、その前文において国際協調主義を強調し、戦前の日本が国際法秩序を踏みにじって戦争の惨禍を招いたことを反省し、国際法にのっとった平和主義を推進していくことを誓っている。

それをふまえた憲法9条1項は、1928年不戦条約を無視した戦前の日本を反省し、武力行使の一般的禁止を定めた1945年国連憲章を遵守していくことを、その文言ではっきりと表現している。

日本国憲法が否定しているのは、戦前の大日本帝国の反国際法の態度である。戦前の大日本帝国は、「戦争違法化」を導入した「国際法の構造転換」を無視し、自衛を理由にした戦争は合法であるかのような異論を唱えた。日本国憲法は、そんな大日本帝国が推進した「自衛戦争」なるものの存在を主張する反国際法的な見解を、否定している。

そこで9条2項は、「前項の目的を達成するため」、1項で放棄を宣言した「戦争」を行うための「潜在力」としての「戦力(war potential)」の不保持を規定した。

「陸海空軍その他の戦力(land, sea, and air forces, as well as other war potential)」の表現で例示されて放棄されているのは、「戦争」を行うための潜在力である「戦力(war potential)」としての陸海空軍である。

より具体的に言えば、国際法を蹂躙した大日本帝国軍を「戦力(war potential)」として解体するための国内法上の根拠規定として導入されたのが、9条2項であった。

ちなみに9条2項に登場する「国の交戦権(the right of belligerency of the state)」とは、国際法には存在していない概念である。それは、太平洋戦争中に真珠湾攻撃を正当化した信夫淳平ら大日本帝国の学者が標榜していた概念であった。

したがって「交戦権」の否認とは、真珠湾攻撃を正当化した大日本帝国時代の日本の学者の否定であり、国際法に対する留保などではない。「交戦権の否認」は、日本の国際法上の態度に何ら影響を与えない。

9条2項は、1項とあわせて、前文の精神にのっとり、「戦争」の一般的違法化を果たした現代国際法を遵守する、という趣旨の宣言をしている条項なのである。

ところが憲法学通説を標榜する憲法学者たちは、1項の国際法に沿った自然な解釈も、2項で「戦力」という語句を見た後に、後付けで読み直して否定しなければならない、といった異様な逆さまの「ちゃぶ台返しの解釈」を主張する。それは、イデオロギー的操作の産物でしかなく、端的に言って、法解釈論として破綻している。

詳細は、拙著『ほんとうの憲法』、『憲法学の病』、『はじめての憲法』を参照してほしいが、いずれにせよ、憲法前文、9条1項・2項を整合的に読めば、国際法を遵守する、という憲法の根本精神を確認することが何よりも重要であるのは明らかである。

国際法上の軍隊と憲法上の戦力の違い

憲法学通説に従うと、自衛権の行使とは「自衛戦争」なるものの遂行なので、「戦争放棄」によって自衛権も否定されなければならないのだという。

破綻した見解である。

「自衛戦争」なる概念は、現代国際法には存在していない。日本の憲法学だけに存在する概念である。その手前勝手な概念を操作し、その自分自身で作り出して維持しているにすぎない概念を理由にして、国際法の仕組みを否定しようとする憲法学通説のイデオロギー的事情にもとづく試みは、実は破綻を約束されたものでしかない。

「自衛権」の行使は、「自衛戦争」なる日本の憲法学者の創造物を行うこととは、違う。なぜ「自衛権」という日本国憲法では言及されていない国際法上の概念を理解するにあたって、国際法学者を無視し、憲法学者のイデオロギー的見解だけを信奉しなければならないのか。それはもう法律論ではない。左翼的なマスコミの陰謀の産物である。

慣習国際法に照らして、国際法上の「自衛権」には治安維持機能がある(たとえば森肇志『自衛権の基層』参照)。現代国際法では、違法なのは「侵略」行為であり、その違法行為に対する対抗措置として、「自衛権」及び「集団安全保障」が国連憲章で規定されている。

大日本帝国憲法時代の日本人が夢想した「自衛戦争」なる概念に固執し続けることは、ただ日本の憲法学にのみ残存するガラパゴス的な悪弊である。

侵略という国際法上の違法行為に対する対抗措置が、「自衛権」の行使である。「自衛権の行使」をあえて日本の憲法学者にならって「自衛戦争」と呼び、そのうえで「戦争に良いものも悪いものもない」といった雑駁な印象論を結論とする主張には、実は何も法的根拠がない。

日本の憲法学界、野党国会議員、そして一部の霞が関組織に、憲法学者の権威を前提にした人事慣行が維持されており、日本国憲法の根本精神に合致した9条解釈に抵抗している。既得権益で結びついている勢力だけが、「自衛権の行使を自衛戦争の遂行と呼びかえよう」運動に加担している。しかし、実際には、それは、自己の社会的地位を守るための既得権益運動でしかない。

長谷部恭男・早稲田大学教授(元東京大学法学部教授)は、今年になって出版した著作で、「war potential」を意味する憲法9条2項の「戦力」の不保持は、1項の「決闘」としての「戦争」の放棄と対応しているので、自衛権行使は合憲であり、自衛隊は合憲だと説明している。憲法学界の最高峰が、私の憲法解釈に近づいた証左として、私はこの動きを大歓迎している(参照「憲法講話 24の入門講義 長谷部恭男著」)。

(ただし長谷部教授は、1972〜2015年の間の内閣法制局が集団的自衛権を違憲とみなしていたことだけを根拠にして集団的自衛権を違憲と主張しているが、これは長谷部教授自身の現在の9条理解とは整合しない)

憲法学者を、日本政治に影響を与える重要な職能集団とみなさければならないような時代は、すでに終わっている。今の日本に必要なのは、その確認だけである。新首相のリーダーシップを、強く求める。

No image

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加