80年代に250cc4気筒のレーサーレプリカに誰もが熱狂した理由

80年代に250cc4気筒のレーサーレプリカに誰もが熱狂した理由

  • @DIME
  • 更新日:2016/11/30

45馬力。この数字にピンときたなら、ぜひ読み続けていただきたい。

原チャリに乗ったら、次は普通2輪免許を取って、250ccのレーサーレプリカバイクに乗るのが、男の子の王道だったあの頃、選択肢は2つあった。ひとつは2ストロークエンジンのバイク。もうひとつが4ストローク4気筒エンジンのバイクだった。

車検が無い250ccバイクは若者の味方。それでいて水冷4気筒マルチバルブDOHCという複雑なエンジン。さらに、集合管を着けたときのエンジン音は、今のF1よりもセクシーだった。

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上は「CBR250RR」のエンジだが、レッドゾーンはなんと1万9000回転から! V8、V10時代のF1エンジン並だ。1気筒あたり62.25ccの排気量なので、まるで原付のエンジンを4つ並べたかのような、精緻極まるもの。これが、「2ストキラー」と呼ばれた、250cc4気筒エンジンなのだ!

なぜ、このようにアツいエンジンを持つ、レーサーレプリカバイクが誕生したのか? その歴史を紐解いてみよう。

■250ccのレーサー化が進んだのは、こいつらが速かったから

今思えば怖ろしい、レーサーレプリカ現象。当時を知らない人にわかるよう、強引に説明するなら、街中をF1マシーンが走り回っているようなものだ。

その先駆けになったのは、1980年に発売されたヤマハの『RZ250』(350もあった)だろう。

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並列2気筒水冷2ストロークエンジンは247ccの排気量から最大35psの出力を発揮。モノクロスサスなど足回りは当時の市販レーサーTZ250をイメージさせた。現在、中古車相場はプレミアムがつき跳ね上がっており、程度の良いものだと100万円を超すものも珍しくない。状態により150万円以上の中古車もある。気軽に買うには敷居が高くなってしまったようだ。

しかし、初代RZ250はネイキッドであった。まだ“レーサーレプリカ”と名乗るまでではなかっただろう。レーサーレプリカブームに火を点けたのは、1983年に発売されたスズキの、『RG250ガンマ』なのだ。

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並列2気筒水冷2ストロークエンジンは、最大45psを実現。量産車世界初のアルミ角形パイプフレーム「AL-BOX」に搭載され、乾燥重量は131kgと軽量。オプションだが、市販車初のフルカウルも装備でき、フロント16インチホイールなど、当時のGPレーサーそのものといったハイスペックで、売れに売れまくった。

刺激を受けた他メーカーもこれに追随。1985年にはヤマハからも、フルカウルの2ストロークレーサーレプリカ『TZR250』が登場した。

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そして、ホンダはとうとうV型2気筒2ストロークエンジン搭載の『NSR250R』を1986年にデビューさせた。

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フロントシートとリアシートは切り離され、ハンドルは低い位置に取り付けられている。「どうやってタンデム(2人乗り)するの?」と、子供ゴコロに感じたことを思い出す。今思えば、『NSR250R』のあたりからレーサーレプリカは、レーサーそのものだった。ライダーもレーサーのような革ツナギを着用していた。本物のレーサーのようなスポンサーカラーで着飾っていても、変だと思わなかった。そういう感覚になっていたことが、すでに変だったのかもしれない。

カワサキも『KR250』をリリースするなど、国産バイクメーカー4車はこぞって、レーサーレプリカを各社の看板モデルとして販売。街にレーサーレプリカがあふれることとなったのだ。

■4ストロークエンジンで対抗するためには4気筒にするしかない

初代『RZ250』に対してホンダは『VT250』という4ストロークV型エンジンで応戦したが、その後の『RG250ガンマ』など2ストローク250ccエンジンのレーサーレプリカには歯が立たなかった。

4ストロークエンジンで対抗するためには、単純に2倍エンジンを回す必要がある。そのためには、倍の4気筒が必要だ……当時のバイクメーカーは技術の進歩に一途だったのだ。そして、市販車で世界初の水冷250cc4気筒エンジンを搭載したバイクが1983年にデビューした。それがスズキの『GS250FW』だ。

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並列4気筒249ccDOHCエンジンは、毎分1万1000回転で36ps(後のマイナーチェンジで38psに向上)を発揮した。しかし、大柄なボディは乾燥重量で157kgと重く、俊敏とまではいかなかった。やや高めに設定された車両価格もあって、販売は芳しいとはいえなかったが、250ccツアラーとしての貫禄は十分だった。

2ストローク250ccエンジンに正面から対抗できるエンジンにするため、立ち上がったのはヤマハだった。『GS250FW』が1気筒あたり2バルブだったのに対して、こちらは4バルブにし、毎分1万4500回転で最大出力45psを発揮。そのまま1万7000まで回ったという。45°の角度に前傾させ「GENESIS(ジェネシス)」と名付けられたエンジンを積んだのが、1985年に登場した『FZ250 PHAZER(フェザー)』だ。

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発売開始当時中学生だった筆者も、絶対これを買うんだ! と思っていた。角張ってはいるが、ヤマハらしくどこかスマートなデザインもお気に入りだった。しかし時代はレーサーレプリカを求めていた。エンジンはますます高回転に、ボディはますますレーシーになっていったのが、1980年代後半の大きな流れであった。

翌1986年にホンダは『CBR250FOUR(フォア)』をリリースした。

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こちらは「カムギアトレーン」と呼ばれる機構を採用。『FZ250 PHAZER』と同じく45psを1万4500rpmで実現した。

もうお気付きかと思うが、45psが250ccエンジンの“自主規制上限”となったのだ。もはやこれ以降は45psまでしか出せないのである。これが今思えば、バイクの性能向上という夢を奪い、小排気量バイクの人気が低迷していく原因だったと思うのだが、もちろん当時はそんなことは考えなかった。とにかくレーシーであること。それが全てだった。

『FZ250 PHAZER』も『CBR250FOUR』も、2ストロークエンジンのレーサーレプリカを倒す、「2ストキラー」になるには少々、見た目が穏やかだった。1987年に世に出た『CBR250R』でも、パンチが弱かった。

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「2ストキラー」の本命は、1986年に登場した「FZR250」だったのだ。

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……『'80年代〜'90年代にアツかった250cc4気筒レーサーレプリカバイクは今が買い!』編へ続く

文/中馬幹弘(ちゅうま みきひろ)

慶應義塾大学卒業後、アメリカンカルチャー誌編集長、アパレルプレスを歴任。徳間書店にてモノ情報誌の編集を長年手掛けた。スマートフォンを黎明期より追い続けてきたため、最新の携帯電話事情に詳しい。ほかにもデジタル製品、クルマ、ファッション、ファイナンスなどの最新情報にも通じる。

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