旧日本軍はこうして日米開戦の「熱狂」を作り上げた

旧日本軍はこうして日米開戦の「熱狂」を作り上げた

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  • 更新日:2017/08/12
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太平洋戦争の敗因は日本軍の「大艦巨砲主義」がもたらしたという通説をくつがえし、飛行機に焦点をあて戦争の実態を著した、一ノ瀬俊也氏の『飛行機の戦争』が話題だ。

「飛行機」を主軸に、太平洋戦争における国民への軍事リテラシーはどのように高められていったのか、国民の飛行機に対する期待値など、戦前・戦中の現実を当時の資料をもとにあぶり出している。今回、戦後企画として、本書の「はじめに」を特別に公開する。

一之瀬俊也さんのインタビューはこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52429

大艦巨砲主義への批判

拙書『飛行機の戦争』の目的は、戦前の一般的な日本人が、来たるべき対米戦争における飛行機の役割をどう想像していたのか、あるいは人びとにとって飛行機とはそもそも何であったのかを説きあかすことにある。

その飛行機とある意味で密接な関係を持つ「大艦巨砲主義」という言葉がある。「大口径の備砲をもつ戦艦を中核とする艦隊の建設・保持を重視する海軍軍備と戦略思想」(『日本史広辞典』)をさす。

現代日本の歴史学研究において、太平洋戦争に敗北した理由の一つとしてよく批判されるのが、この大艦巨砲主義である。時代遅れの戦艦に固執して飛行機を軽視した結果、米軍のような航空機主体の戦いに転換するのが遅れた、というのである。

こうした批判の一例として、2015(平成27)年に学術的知見に基づき編集された歴史辞典『アジア・太平洋戦争辞典』の「大艦巨砲主義」の項を挙げる。同項は、日本海軍が伝統的な大艦巨砲主義から基本的に脱却できなかったのは艦隊決戦に拘りつづけてきたためであり、伝統と権威が足枷となって、航空戦力を基軸にした海軍戦力の再構築が果たせなかったことも日本海軍の滅亡に拍車をかけた一因と批判的に解説する。

そこで戦艦大和、武蔵らは、日本海軍における同主義の「代表事例」とされる。たしかに、日本海軍が長い年月と多額の予算・資材を投じて建造した巨大戦艦は、いずれも米軍の航空母艦から発進した飛行機によって一方的に撃沈され、日本自体も降伏に追い込まれた。

この大艦巨砲主義に対し、戦後日本人は折々に「反省」や批判の言葉を発してきた。それは決して責任追及から逃れるための、上辺だけのポーズではなかったはずである。

例えば、元海軍の高級軍人たちが太平洋戦争敗北の原因を探るため、1980(昭和55)年から12年間、130回余にわたり長期間開いていた「海軍反省会」と称する会合でも、寺崎隆治・元大佐(航空母艦・翔鶴副長などを歴任)は「これ〔大艦巨砲主義〕は(昭和)10年頃から14年頃の航空機の目覚ましき発達というようなことを見越せなかったんじゃないかと思うんです。それは本当に馬鹿だったのか。万里の長城式だったのか」と、内々の場であるにもかかわらず「反省」の言葉を口にしている(1982年7月7日の第33回、戸髙一成編『証言録 海軍反省会 四』)。

とはいえ、寺崎はこれにつづけて、自らの空母経験では主力艦や巡洋艦がバックアップしてくれないかぎり、航空母艦だけでは到底機動艦隊も機動作戦もできなかった、よって「これ〔大艦巨砲主義〕をあまりこき下ろすのは適当でなかった」とも発言している。

さらに、「海軍は大艦巨砲主義を墨守していた」式の「反省」には、後の反省会で後輩の内田一臣・元少佐から、海軍は昭和12年起工の大和・武蔵を最後に戦艦を造っていない、一方空母は全部で25隻も作ったではないかとの反論が出ている(1983年9月14日の第46回、『証言録 海軍反省会 六』)。

しかし、戦争の悲惨な記憶が生々しく残る戦後日本社会で広く受け容れられたのは、「本当に馬鹿だった」という一見良心的な「反省」のほうであった。

戦後社会における戦争は、たしかに真摯(しんし)な反省の対象ではあったが、企業のビジネスになぞらえられたり、経営者用の“教材”としても語られることがあった。

その最たる例は有名な『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか著、1984年)だろうが、1963年に刊行された小林宏『太平洋海戦と経営戦略』は、高度経済成長に向かう日本の経営者のために、太平洋戦争時のミッドウェー作戦を事例として経営戦略論を指南した本である。

同書は、日本海軍が大艦巨砲主義に固執して近代戦における航空機の存在を軽視したことを「投資計画」上の失敗例と論じている。この陳腐だが、それゆえわかりやすい喩え話は、以後の日本社会に定着していった。

国民の〈軍事リテラシー〉

しかし、こうした大艦巨砲主義への――ある意味で旧日本軍そのものへの――批判に対しては、近年の歴史研究で反論が加えられている。その要点は、米海軍の空母戦法や艦隊編制は日本軍もほぼ同じ時期に採用していたし、米海軍もまた多数の新型戦艦を建造するなど、戦艦に注力していたではないか、というものである。

その一例として、社会人類学者の森雅雄は、日本海軍が戦艦を重視して温存したというのは正しくなく、実際には旧式だが速度の出る金剛型を除いて使い途がなかったのが実情であるという。さらに米海軍の高速空母部隊と日本軍の連合機動部隊の創設はほぼ同時の1943(昭和18)年8月であり、日米の差はないと指摘している(森「イデオロギーとしての「大艦巨砲主義批判」」)。

アメリカにおける軍事史研究でも、元米海軍大学校教員のトーマス・C・ホーンは、第二次大戦中の米海軍における航空母艦と戦艦との関係を扱った2013年の論文で、米軍が1943年以降編成したのは空母部隊Carrier forceではなく、空母と戦艦その他の連合部隊Combined forceであったし、1944年、対日反攻の主役となった米海軍第三艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼーの頭のなかにあったのは、米海軍大学校が日本海軍と同様に何十年にもわたって想定、研究してきた「決戦decisive battle」であった、と論じている(Thomas C. Hone, “Replacing Battleships with Aircraft Carriers in the Pacific in World War II”)。

ホーンの指摘に従うなら、米海軍も当時の艦隊戦術のなかで戦艦にも飛行機と同じく重きを置いていた――決して軽視してはいなかったし、作戦の目的も日本海軍と同様、敵艦隊の撃滅すなわち「決戦」に置かれていたのである。

しかし、彼らの議論にはほとんど出てこない存在がある。それは、戦争の当事者、もしくは担い手の有力な一部であった日本国民である。彼・彼女らは来たるべき(あるいは遂行中の)戦争の戦われ方をどう認識し、戦争に関与していったのか。それは大艦巨砲主義を受容した、戦艦によって戦われるところの戦争だったのだろうか。

総力戦としての太平洋戦争が国民によって支えられて遂行された以上、彼・彼女らの戦争認識もまた、問題とされて然るべきだろう。

こうした国民の〈軍事リテラシー〉というべきものの作られ方について、本書では主として海軍の宣伝パンフレットや市販戦争解説書、そしていわゆる日米仮想戦記などの史料を使って確かめてみたい。このことは、近代日本の軍や政府が、国民を戦争へどう動員していったのかという問題にも深く関わるだろう。

大正~昭和戦前期の日本海軍による対国民宣伝については、ここ10年ほどのあいだにいくつかの研究論文が刊行され、従来陸軍にくらべ影が薄いとされてきた海軍宣伝の実態を再検討した。その結果、少なくとも都市部では一定の効果が発揮され、海軍の望む軍拡世論を形成できたことなどが指摘されている(福田理「一九三〇年代前半の海軍宣伝とその効果」、坂口太助「戦間期における日本海軍の宣伝活動」)。

しかし、海軍はなぜ自らの存在意義や必要性を国民に語る必要があったのか、将来の戦争はこのように戦って勝つのだと説明しなくてはならなかったのかについては、なお考える余地があるだろう。

なぜ軍事知識の普及は必要だったか

その答えは、軍にとって自らの戦争を根底で支えるのが老若男女含めた国民であり、彼・彼女らの協力を引き出すためには、総力戦がいかに多くの金や人、物を必要とするかを教え、理解させる必要があったからである。

1941(昭和16)年、対米英開戦前に大政翼賛会が作成した小型の宣伝パンフレット『隣組読本 戦費と国債』は、その題名通り、隣組に編成された都会の人びとに向かって、戦費調達のための国債購入を「一人一人に国防の責任がある 国債を買つて君の責任を果せ!」などと呼びかけたものである。この場合、隣組は国民に相互監視させることでより多くの国債を確実に買わせるために作られた組織ということになる。

『戦費と国債』は「私達が国債を買つたお金は〔中略〕事変遂行に必要な飛行機、戦車、大砲等の兵器を買入れたり、兵隊さんの着る軍服や糧食を買入れたりする費用に使はれ」ること、「今度の戦費の約八割七分は私達が国債を買つたお金で賄(まかな)はれること」を説明し、「日本中で一世帯それぞれ百円の国債を買へば飛行機や弾丸がどの位出来るか」と読者に問いかけ、前者は一万二〇〇〇機、後者は三一八億発、と答えている。

この「国民すべてが○○すれば××が△△買える(造れる)」というのは戦時日本特有のありふれた宣伝文句であるが、本書が考えたいのは、なぜここで××は戦艦ではなく飛行機なのか、なぜ飛行機が特段の説明もないまま、国民の「責任」で数を揃えるべき兵器として挙げられているのか、ということである。予想される答えは、「国民がその理由を(啓蒙の結果)説明されるまでもなく知っていたから」となる。

ちなみに『戦費と国債』には、「国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか」という問いに「国が利子を支払つてもその金が国の外に出て行く訳でなく国内で広く国民の懐に入つて行く」から大丈夫という、現在の財政難日本でもよく見られるやりとりが載っていて興味深い。それはともかく、戦前の陸海軍が国民に戦費負担というかたちでの軍拡・戦争協力を訴えた書籍は他にもある。

陸軍大佐・保科貞次『国防軍備の常識』(1931年)や、海軍少佐・齋藤直幹『戦争と戦費』(1937年)は、飛行機などの近代軍備がいかに金がかかるものかを、縷々(るる)国民に解説した啓蒙書である。保科は、今後の戦費は「自然内国債といふことになるのである。故に戦費の調達といふことは、一に懸つて国民の腹に存」ずると述べて「国民の自覚」を求めた。彼は「戦争は国民全部の事業」であることを、この定価90銭の本で訴えたのである。

その6年後、日中戦争勃発後に刊行された齋藤の本も、戦費の多くが増税ではなく公債でまかなわれていると解説した。さらに「軍費は民間へどう撒(ま)かれるか」という章を設け、あたかも巨額の軍費支出が民間経済の刺激策であるかのような説明をしている。

そこで齋藤が、工業の盛んな都市に資金撒布が集中し、「農山漁村の軍事費均霑(きんてん)(=等しく行き渡ること)も今のところ大したものでないやうである」と書かざるをえなかったのは、当時の軍事費が単なる戦争の経費ではなく、不況下の農山漁村対策とも見なされていたことをうかがわせる。

このように日本の陸海軍人たちが、膨大な額に上る戦費の負担者である国民に向かって積極的に語りかける、すなわち説得する試みをしていたのは、直接的には、昭和恐慌下での重い軍事費負担が国民の怨嗟(えんさ)の的となり、政党内閣による海軍軍縮条約締結を後押ししたという苦い記憶のためだろう。

そして、第一次大戦時の欧米諸国が自国民の協力をうながすべく、国内宣伝に力を入れていたのを見たこともあろう。さらに歴史をさかのぼれば、日露戦争のポーツマス講和条約がロシアから賠償金をとれず、重い軍事費――税負担に堪えてきた国民の憤激と都市暴動(日比谷焼き打ち事件)を招いた事実もあのだ。

これらの事態をくりかえさないためには、国民に対して戦費の使い途――つまり将来の戦争がいかなる兵器によって戦われるのかを詳しく説明し、納得させる必要があった。軍事啓蒙書の刊行はその手段である。

軍事啓蒙書という視点

こうした一般向けの軍事啓蒙書やいわゆる日米仮想戦記は、これまでも注目され、その意味を問う著作が書かれてきた。作家・猪瀬直樹のノンフィクション『黒船の世紀』(1993年)が詳しく述べているように、明治末から昭和にかけての日本では、日米関係が悪化するといわゆる日米仮想戦記が流行した。

猪瀬はそれらの書物を「外圧のバロメーター」と位置づけ、そうした外圧にさらされてきた日本人の宿命、悲哀をみてとっている。つまり米国から日本移民排斥や侵略行動批判などの「外圧」が高まると、その反発として紙の上で日米戦争が勃発し、多くは日本が勝つのである。

猪瀬のこうした見方には、同書が書かれた1980~90年代初頭にかけての日米貿易摩擦が念頭にあったと想像される。

北村賢志(けんし)『日米もし戦わば 戦前戦中の「戦争論」を読む』(2008年)も、1931(昭和6)年から43年にかけて刊行された軍事知識の解説書、仮想戦記的な書物五点を分析し、一見無謀な、神がかり的発想で突入した対米戦争ではあるが、実際には「当時の日本人が決して神懸かりではなく、現在の日本人とさほど変わらぬ合理的な思考――そして現代と同レベルに非合理的な思考――を元に「将来の日米戦争」を予想していたことがうかがえる」と述べている。

北村は、それらの日米戦争を煽った書物の大半は対米戦争上「制空権」の獲得は重要だ、戦争の際に不利なのは日本近海まで長距離遠征を強いられる米国の方だなどと、当時としては多くの読者から「本書の記述には合理的な根拠がある」と受け止められるような書き方をしており、そのことが結果的に対米開戦へとつながっていく誤りをより深刻化させたと指摘する。

私が注目するのは、猪瀬『黒船の世紀』単行本あとがきの「〔日本人が〕弱肉強食の世界で生存の条件を得るためには戦争しか手段が残されていない、あのころはそう信じるしかなかった」という一文である。

本書では、かつての日本人が米国相手の戦争に勝てると「信じ」るようになり、実際に戦争に突入していった様子を、軍事の知識が大正期から昭和にかけての社会に蓄積され、実際の戦争遂行に(変な言い方だが)活用されていく過程として、時系列に沿って捉えなおしてみたいのである。したがって本書は、今日では荒唐無稽にみえる数々の日米仮想戦記も、当時の日本国民にとっては〈軍事リテラシー〉を高めるテキストの一種だったと考える。

それらの書物のなかで、日米戦争は具体的にどのような戦法で戦われ、その際に飛行機と、大艦巨砲主義の申し子たる戦艦はそれぞれいかなる役割を占めると説明され、国民に伝えられていたのか。両者の力関係はどう考えられていたのか。これらの点を、近年の研究成果を活用しながらみていきたい。

〈国民の戦争〉の象徴としての飛行機

あらかじめ結論を述べておくと、飛行機は日本国民にとって「軽視」されるどころか戦争の主役であり、総力戦における日本の勝利を可能にしてくれる一つの夢、象徴的な存在であった。

たとえば太平洋戦争最後の年である1945(昭和20)年1月、大本営海軍報道部長・海軍大佐栗原悦蔵の宣伝書『朝日時局新輯 戦争一本 比島戦局と必勝の構へ』は「連合艦隊の主兵は戦艦ではない」、飛行機と断言する。

その理由は、軍艦が膨大な鉄量と労働力、巨大な設備を必要とするが飛行機は少量の資材と簡易な方式で大量生産できるし、米国と同数の飛行機は作れないかもしれないが「大東亜戦域」の作戦に差し支えない程度の数は作れるはずだからである。栗原は戦争の主兵が飛行機であるのはじつに「天佑」だ、とまで語った。

本書の問いは、栗原大佐はこのような発言を国民の戦意高揚上おこなうことが【、なぜできたのか】、というものである。もし戦前日本で飛行機が軽視されていて人びとがその存在や役割をよく知らなければ、こうした宣伝は到底理解してもらえないはずだ。私はそこに、戦前の日本国民がかなり長期間受けてきた、飛行機や戦争に関する〈啓蒙〉の影響をみる。

栗原の発言は、巨大戦艦による戦争が古い〈軍の戦争〉であるなら、飛行機の戦争は新しい〈国民の戦争〉であったことを示している。後で詳しく述べるように、戦艦は膨大な資材や資金、労力を必要とするが、飛行機は国民一人一人のわずかな拠金や労働で多数を量産できるとされたからである。

本書では、このわかりやすい、ゆえに説得力ある図式が人びとのあいだに受け止められ、対米総力戦の長期化につながっていく過程を描きたい。

『胡桃澤盛日記』にみる国民の戦争認識

その戦前国民の一例として、一人の農民に登場してもらおう。戦時下の長野県下伊那郡河野村(現・豊丘村)で村長を務めていた胡桃澤盛(1905〈明治38〉~1946〈昭和21〉年)である。彼が戦時中つけていた日記より、その戦争についての認識、より詳しく言えば、現下の戦争がどのように戦われているのか、という点についての認識を概観してみよう。

彼が日々記した日記からわかるのは、「今議会の重要法案たる軍需会社法案――生産の委任制であり観方に依っては一大産業革命である。航空機の飛躍的増産、年末には二倍、来春三倍、十九年度に於ては対米同数の生産を挙げ得る」(1943〈昭和18〉年11月10日)、「此の歳を送るについての雑感。〔中略〕マキン、タラワの玉砕と戦局は我に有利でない。国内的には急速なる戦力の増強を目ざせる航空工業への重点集中〔中略〕愈々(いよいよ)緊迫せる戦局への備えに異常なるものあり」(同年12月31日)などとあるように、明らかに戦艦ではなく航空戦主体の戦争、もっといえば航空機生産競争としての戦争として認識、記録されていることである(「胡桃澤盛日記」刊行会編『胡桃澤盛日記 五』)。

こうした認識は村人にも共有されていたはずである。胡桃澤は、1943年10月14日の日記に、海軍航空兵募集宣伝のため村の国民学校体操場で上映された映画「ハワイ、マレー沖海戦」について、「観衆場外ニ溢レ千余。効果尠(すく)〔ナカラ〕ズト認メラル」と、私的な日記とは別につけていた「村長日誌」に記しているからだ。

胡桃澤は父が村会議員であり、自らも若くして村長となった村の名士であった。しかし学歴は小学校を出て農業学校に進んだのみで、あとは村で激しい農作業に従事しつつ、独学で新聞や文学書を読んで「自らの基礎学力の足らなさを痛感しつつ、修養を重ねていた」人である(池田勇太「胡桃澤盛について」)。その意味では特別な思想家やインテリではなく、普通の農民と言うべき人である。

こうした胡桃澤の日記の書きぶりは、当時の新聞などのマスメディアによる戦況報道が日米航空戦の熾烈さをくりかえし伝えるものであったから当たり前ともいえるが、問題は、なぜこのような認識が【、自然に】日記に綴られてゆくのだろうか、ということである。

少なくとも、胡桃澤にとっての戦争は、前出の歴史辞典上の説明とは異なり、その開始当初から大艦巨砲主義によって戦われたものではない。私は、このような特徴を持った戦争認識が日記に綴られたのは、それまでの社会における〈軍事リテラシー〉や、軍事知識の蓄積が前提と考えている。では、それらの知識とはいかなるものであり、どのように形成されていったのかを考えてみたい。

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