日本一地価が高い銀座「1坪1.9億円」の地主たちが見る夢

日本一地価が高い銀座「1坪1.9億円」の地主たちが見る夢

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2019/05/22
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人間が持ちうる最大の資産のひとつ、「不動産」。その歴史を紐解くと、様々な人間ドラマや街の歴史が透けて見える。毎週、都内のある土地に注目する新連載、初回は独特の魔力を放つ街、銀座から。

ハガキ1枚分で85万円

「銀座」という言葉を聞いたとき、あなたは何を思い出すだろうか。

取引先や上司に高級クラブに連れて行ってもらい、「オレも銀座で飲めるようになったか」と誇らしく思ったこと。妻や娘のために、奮発して銀座でプレゼントを買ったこと。田舎から出てきた両親に、銀座で鮨をご馳走してあげたこと……。

人によって思い出は様々だろうが、ひとつ共通するのは、何をするにも銀座は「特別な場所」であることだ。そして特別な場所であるがゆえ、東京の中でも銀座の地価は飛び抜けて高い。地元の不動産仲介業者は言う。

「取引価格が公表されることはめったにありませんが、銀座で売買される土地の価格は青天井。

ビルを買ってテナントに貸し出しても、購入価格が高過ぎるのでほとんど儲けは出ない。にもかかわらず買い手が現れるのは、銀座という土地に『魔力』があるからです」

その「魔力」の正体とは何か。平成最後の春を迎えた銀座を歩いた。

まずは銀座通り口交差点から、銀座通り(中央通り)を南下すると、ほどなく銀座二丁目の街並みが見えてくる。

この二丁目の東側一帯は、慶長17(1612)年に徳川秀忠が実施した2回目の「天下普請」の際、銀を鋳造・検査する「銀座」が駿府から移転してきた場所。

銀座という地名の由来となった地域だが、現在ここには「ルイ・ヴィトン」「ブルガリ」といった外国ブランドがひしめく。

そのひとつ「ティファニー銀座ビル」は、'13年にソフトバンクグループ総帥の孫正義氏が個人で買い取ったことで話題となった。当時の報道によれば、買い取り額は実に320億円。

総資産2兆6670億円(『フォーブス』誌の推計、'13年3月時点)を誇る孫氏にとっては、それほど大きな買い物ではないのかもしれない。だが、前出の不動産仲介業者は、この取引に疑問を持ったという。

「買収金額から計算すると、ティファニー銀座ビルの期待利回りはおよそ2.6%。当時の不動産投資信託(REIT)の期待利回り4%に比べると、ずいぶん低い。

利にさとい孫氏がなぜこんなに儲からないビルを買ったのかと、多くの不動産関係者が首を捻ったのです」

投資が目的でないとすれば、孫氏はなぜこのビルを買ったのか。その真の狙いは後述するとして、もう少し歩いてみよう。

外国ブランド密集地帯から1ブロック南に進むと、銀座四丁目に入る。

西側にはキリスト教関連書が充実した「教文館」、貴金属「ミキモト」の本店、今日も根強い人気を誇る「木村屋總本店」など、明治期に創業した有名店が軒を連ねている。

その並びの中ほどにあるのが「山野楽器」だ。

明治25(1892)年に築地で創業、明治37(1904)年に販売部を現在の地に設置して以来、銀座で100年以上も商いを続けてきた同社は、一方で「公示地価」が日本一高い場所としても知られている。

この公示地価とは、土地の売買価格の目安で、固定資産税の計算にも用いられる。毎年3月に国交省が発表し、'19年の山野楽器の公示地価は過去最高の1平方メートルあたり5720万円。1坪換算では約1.9億円、ハガキ1枚の大きさで約85万円というから驚きだ。

銀座の中でも特に注目される場所のひとつと言えるが、それゆえにこんな悩みがあるという。

「地価が高いうえに楽器店ということで、入りづらいと感じられるお客様もいらっしゃるようです。

当店ではギターピックのような100円単位の小物も販売しているのですが、『土地が高い場所なのに、安い物を売っていて大丈夫なの?』と、お客様に心配されることもあります。多くの方に気軽に入っていただけると良いのですが」(山野楽器広報担当者)

鳩居堂の土地は個人名義

銀座という「特別な場所」ならではのエピソードと言えるだろう。

山野楽器を出てさらに南に進むと、銀座四丁目交差点が見えてくる。北東には「三越」、北西にはシンボルの時計台がある「和光」、南西には独特の円柱形が目を引く「三愛ドリームセンター」、そして南東には'16年に竣工した複合商業施設「GINZA PLACE」が威容を誇る。平日・休日を問わず、多くの人で賑わう銀座の中心地だ。

その四丁目交差点のほど近く、三愛ドリームセンターの隣に店を構えるのが、33年連続で「路線価」が日本一の「鳩居堂」だ。路線価とは相続税や贈与税の基準にするため国税庁が発表するもので、'18年の鳩居堂前の路線価は1平方メートルあたり4432万円だった。

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寛文3(1663)年に、薬種商として京都寺町で創業した鳩居堂は、1700年代から薫香、線香の製造や書画用文具の販売を開始。

宮中御用を務める必要から、明治13(1880)年に現在の地に東京出張所を開設した。来歴を見れば、伝統と格式ある老舗中の老舗と言えるだろう。

だが、意外な事実がある。9階建ての鳩居堂ビルが建つ土地の所有者は鳩居堂ではなく、都内在住の個人だったのだ。銀座のど真ん中を法人ではなく、一個人が所有していたとは驚かされるが、そこには歴史的な背景があった。少し振り返ろう。

江戸時代に銀座地区の開発が始まったのは先述した第2回の天下普請以降のこと。銀座の北方に位置する日本橋地区や京橋地区は、それに先立つ慶長8(1603)年に行われた最初の天下普請で整備が進んでおり、すでに商業地として確立していた。

これに対し、後発の銀座地区は銀を扱う「銀座」のほか、塗料として用いる朱の製造所である「朱座」や、分銅を造る「分銅座」などが置かれた職人の町だった。

そこに集う商人も職人相手の生活物資の販売が中心で、大規模な土地を所有する豪商はほとんどいなかった。江戸時代の銀座は、職人や小規模商人がつましく暮らす「町人地」だったのである。

しかし、時代が明治に入ると、その様相は一変した。都市形成史家の岡本哲志氏が解説する。

「明治5(1872)年に、『銀座大火』と呼ばれる大火災が発生。銀座の大半が焼失してしまいます。

この大火の後、明治新政府は都市部の不燃化と西洋化を目指し、銀座に『煉瓦街』の建設を決めました。しかし、新政府の方針に反発する者や、慣れない煉瓦街での商売を諦めた者が次々と銀座の土地を手放していった。

放出された土地は地元の商人のほか、日本橋地区に本拠を構える資産家商人や華族などに買い占められました。その結果、1000坪以上の土地を持つ『大地主』が十数人ほど生まれたんです」

それら大地主の末裔が、今も銀座に土地を持っているというわけだ。ただし、土地を守り続けることは容易ではなかった。

とりわけ大地主を直撃したのは、終戦後の昭和21(1946)年に導入された「財産税」だ。個人の財産に対し、最大で90%も課税されるとあって、多くの地主が土地を手放すことになった。

「銀座の敷地数は戦前に554件でしたが、戦後は1049件と倍近くになった。所有地を分割して売却したり、国庫に物納したりする地主が続出したためです」(岡本氏)

高すぎる家賃を払う理由

売り出された土地を手に入れたのは主にデパートだった。たとえば銀座三丁目東側の「松屋銀座」は、戦後に1620坪もの土地を取得し、銀座最大の地主となった。

その一方で、鳩居堂の土地所有者のように、細切れになった先祖代々の土地を大切に守ってきた大地主の末裔もいる。

敷地面積は小さくなったとはいえ、日本で一番、地価の高い銀座で土地を持ち続けることは難しいはずだが、なぜ彼らは手放さずにいるのか。太陽グラントソントン税理士法人の田代セツ子税理士はこう分析する。

「銀座のような一等地でも、税制上の優遇措置を使えば課税評価額を下げられます。一般的に言うと、所有地にある建物の借地権を法人が持っている場合、その土地の評価額は『路線価×平米数』の2割まで下がる。

また、所有地が400平方メートル以下であれば、『小規模宅地税制』も適用されるので、評価額はさらに8割も減額される。通常の評価額の4%まで課税額を圧縮することができます」

現在、6億円以上の遺産にかかる税率は55%。これを4%に抑えることができるのだから、かなりの節税といえる。

先述のように孫氏が儲からないはずのティファニー銀座ビルを買った真の理由も、相続税対策だとみられている。

「購入費用の320億円を現金で持ったままなら、相続時に半分以上を取られてしまいますが、商業ビルにしておけば相続税は大幅に減額できる。

今の銀座の土地は、孫氏のような超富裕層が資産保全のために買うか、高値で売り抜けることを目的にしたファンドが買うケースがほとんどです」(前出の不動産仲介業者)

ファンドが買った高額物件と言えば、銀座六丁目の南端にある11階建てのビルが有名だ。

米ファッションブランド「アバクロンビー&フィッチ」(以下、アバクロ)銀座店が入居するこのビルは、カラオケ事業を展開する企業の社長が個人で所有していたが、'16年に米プルデンシャル生命保険グループが運用するファンドに買い取られた。お値段は、ざっと250億円だったという。

「当時、アバクロは月額で1坪あたり20万円、ビル全体で1億2000万円という破格の賃料を支払っていました。高い賃料を得られるビルということで、売却額も大きくなったのでしょう」(前出の不動産仲介業者)

通常、銀座のビルの賃貸料は、高くても1坪あたり10万円程度が相場。アバクロはその倍も払っていたというのである。

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いかに人気ブランドとはいえ、月に1億円以上もの賃料を支払って儲けが出るとは考えにくい。なぜ採算が取れないような場所に出店する企業が後を絶たないのか。不動産仲介業者が続ける。

「ニューヨークの五番街などと同様に、世界的な知名度が高い銀座通りにフラッグシップ店を出せば、『一流ブランド』のイメージを持ってもらえる。その宣伝効果を狙って、企業は高額な賃料も厭わずに銀座への出店を目指すのです」

銀座の持つ「特別感」を得るためなら、200億~300億円のカネも惜しくないという。話を聞くにつけ、「バブル」という言葉が脳裏をよぎるが、そもそも'80年代半ば以降に日本の地価が急騰したきっかけは、ほかならぬ銀座にあるのだ。

土地バブル発祥の地

その端緒となったのが、銀座六丁目の西銀座通り東側にあるキャバレー「クラウン」の跡地だ。面積は80坪ほどで、かつての所有者は平和相互銀行オーナー・小宮山一族のファミリー企業である足立産業。

長らく更地のまま放置されていたが、昭和60(1985)年に日本で初めて1坪1億円を超える高値で売買された。取引を仲介したエス・サイエンス会長の品田守敏氏が振り返る。

「あの頃は、平和相銀で内紛が起こっていて、小宮山家はそれを処理するために資金を必要としていた。そこであの土地を売ろうということになったんですが、銀座の一等地が売買されたケースがほとんどなかったため、取引の目安となる価格がわからなかった。

海外の物件を参考にしたところ、香港が一番高くて坪あたり9700万~9800万円くらいだった。『じゃあ香港より少し高く』ということで1億円になったんです」

だが、買い手はなかなか見つからない。1年ほどかかって、品田氏と付き合いのあった山京商事の田村訓久会長が買うことになったが、その間の様々な事情により売値は坪あたり1億2000万円まで膨らんでいた。

「わずか2畳分の広さで1億2000万円ですから、田村会長も迷ったようですが、買ってくれることになった。通常、坪単位で土地を売買するときは小数点第2位まで計算するんですが、この土地は高額なので、小数点第4位まで出すことにしました。

測量の時は少しでも誤差がないように、関係者全員が『鵜の目鷹の目』で確認したことを、今も覚えています」

こうして日本初の坪1億円越えの取引が成立。これをきっかけに、銀座の地価はタガが外れたように暴騰した。

「ひとたび1億という『壁』を越えた後、銀座の土地は数年で2億、3億と上がっていきました。バブルのピークだった平成元(1989)年ごろは、1坪あたり3億5000万円以上の値がついた土地もあったと聞いています」(品田氏)

だが、ほどなくバブルは崩壊。日本全体で地価は下がり続けたが、鳩居堂に代表されるように、銀座が日本一であることに変わりはなかった。

いわゆる「バブル紳士」やファッションブランド、資産保全を目的とする超富裕層。

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銀座という「特別な場所」は、時代ごとに思惑の異なる様々なプレーヤーを引き寄せてきたのである。昭和5(1930)年創業のテーラー「壹番館洋服店」3代目社長の渡辺新氏は言う。

「銀座は老舗が多いとか、顔ぶれが安定していると言われることもありますが、実際は入れ替わりの激しい街。銀座に進出して20年以上続いている企業は、全体の3分の1くらいです」

では、そんな激戦区にあって、老舗はどう店を守り続けてきたのか。渡辺氏が続ける。

「結局は、お客様の『眼鏡』に適うかどうかということでしょう。努力を怠れば老舗といえども簡単に潰れますし、新興企業でも、お客様に認めてもらえば生き残れる。私も長年、銀座で商いをしてきましたが、不安を感じない日はありません」

銀座に残すべき店かどうかを決めるのは、あくまで「客」。極めてシンプルな法則と言えるが、銀座が他の地域と異なるのは、客から求められるレベルが非常に高いということだ。前出の山野楽器広報担当者は言う。

「銀座は目の肥えた方や耳の肥えたお客様が多く、スタッフは知識を高めるよう常に努力しています。

当店はクラシックやジャズを中心に音楽ソフトも販売していますが、同じオーケストラの演奏でも『録音した年代によってどう音が違うのか』といった、難しい質問をいただくこともあるほどですから」

客の厳しい注文が店員を鍛え、その店を一流にしていく。銀座という街を特別な場所に育てているのは、「お客様」なのかもしれない。

一方で、客と店の信頼関係を損ねないための努力も欠かせない。明治元(1868)年に飲食店として創業し、戦後は小売業として銀座の地で商いを続けてきた「ギンザコマツ」(小松ストアー)の小坂敬社長は「正直であること」が大切だと言う。

「長く銀座で商いをしている人は、決していい加減なことを言いません。たとえば、お客様に似合わないものを『お似合いですよ』などと嘘をついて売りつけようとはしない。そういう正直な姿勢が、お客様の信用につながっていくのです」

街を守る「旦那衆」たち

自らの店だけでなく、街全体の発展を大切にするのも、銀座商人の特徴だ。前出の岡本氏が言う。

「あまりにも銀座にそぐわない新しい店ができると、古くから銀座で商売をしてきた『旦那衆』が、毎日のように訪れては『銀座で店を開くとはどういうことか』を説いて回るんです。

銀座は来る者を拒みませんが、来たからには街に同化してもらいたい。そして同化できた店は残り、できなかった店は去っていく。地元の人は、銀座に合うかどうかの『ふるい』のようなものを『銀座フィルター』と呼んでいます」

この銀座フィルターは、有名企業であっても容赦はしない。25年前には、こんなことがあった。

「吉本興業が銀座七丁目に劇場を出したところ、若い女性が街に溢れるようになったんです。『銀座の空気が変わるんじゃないか』と心配する声もあったんですが、旦那衆は『風邪をひいて熱が出たようなもの。すぐに治りますよ』と泰然としていた。

すると5年後に吉本興業は撤退しました。目には見えない『銀座フィルター』が機能したのでしょう」(岡本氏)

客が店を鍛え、店は銀座の街全体を守る――。明治の時代から受け継がれてきたこの伝統が、銀座の持つ『魔力』を生み出しているのだろう。

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ただ、近年の地価高騰が、銀座らしさを損ねるのではないかという懸念の声もある。

「高価なものから手に入れやすい価格帯まで、あらゆる商品が揃う『多様性』が銀座の魅力です。

しかし、地価が上がってしまうと、高い家賃を支払えるお店しか銀座に店を出せなくなる。このままでは、銀座の総合的な魅力が失われるのではないかと心配しています」(前出の小坂氏)

今も、銀座のそこかしこでビルが建てられている。このうち、銀座フィルターをパスし、街の価値観を保ち続ける店はどれだけあるのだろうか。

(以下、次号)

平井康章(ひらい・やすあき)
1970年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、フリーター、編集プロダクション勤務、週刊誌記者を経てノンフィクションライター

「週刊現代」2019年5月11日・5月18日合併号より

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