稼いだカネは全部寄付、家も車も持たない...寺田倉庫社長の変な人生

稼いだカネは全部寄付、家も車も持たない...寺田倉庫社長の変な人生

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2018/10/10
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6社もの経営に携わってきた「プロ社長」でいながら、メディアから距離をおき、その実像はほとんど知られていない。「大金持ちになる気持ちもない」というこの人物は、不要なものをまったく持たない人としても知られる。寺田倉庫社長の中野善壽氏。その「変な人生」に迫る。

わずか7年で会社を激変させた

東京・天王洲アイルの風景が一変している。散歩道のある運河には水上ラウンジを併設するレストランも整備され、街中はアート作品がずらりと並ぶ。

茫漠とした倉庫街は、洒落たアートの街へ変貌を遂げた。再開発を主導したのは、「寺田倉庫」という倉庫会社だ。

「日本のアートコレクターで、寺田倉庫を知らない人はいませんね。ファッションECサイトを運営するスタートトゥデイの前澤友作社長が、現代アートの巨匠、バスキアの作品を123億円で落札したことが少し前に話題になりました。この作品が預けられているのが寺田倉庫と言われています。

他にも、世界の富豪たちがコレクションする時価数十億円クラスのアートの数々が、この倉庫で大切に保管されている」(都内の画廊経営者)

アートだけではない。ソムリエの厳重な管理のもと、フランス・ボルドーの5大シャトーをはじめ数百万円クラスの高級ワインの数々が倉庫に眠る。

同社は戦後間もない'50年に創業された。当初は食料品を預かる一般的な倉庫業だったが、機能を「プレミアム倉庫」に特化させ、ファッショナブルなビジネスに変貌したのは、わずか7年前のこと。主導したのは代表取締役の中野善壽氏(73歳)である。

創業家である前会長(現オーナー)の寺田保信氏に請われて、2011年に社長に就任した。台湾に住み、週2回だけ飛行機で日本に戻り、天王洲の本社に出勤する。

世界中のアーティストから「パトロン」といわれる中野氏の名は、物流関係者やアート関係者の間で広く知られる。

だが、ほとんどメディアの取材を受けないため、社員ですら「一時期まで、実在する人物なのかわからなかった」と語るほど、謎めいた人物である。

台湾メディアに掲載された中野氏の近影を見ると、清潔に整髪された黒髪で、ジーパンがよく似合う細身。身長は181cm。

とても73歳には見えない若々しい風貌で、清潔感溢れるシンプルな着こなしは、米アップルの故スティーブ・ジョブズを思わせる。

「中野さんは、『ミニマリスト』として有名なんですよ」と語るのは、ある寺田倉庫の関係者だ。

「社長に就任してまず手を付けたのは、大規模なリストラでした。メイン事業のほとんどから撤退し、700億円あった売上高を100億円まで激減させた。

1000人いた社員を、100人に削減。中野さんの就任当時にいた社員は、いま10名も残っていないのです」

寺田倉庫は中野氏の社長就任で、事業も人員も一変するという、〝断捨離〟が実行されたのだ。

「売り上げは100億円くらいがちょうどいい。これ以上、大きい会社なら、面白いことなんてできないぞ」

中野氏は就任直後、社員たちにこう話したという。その後、法人相手だったビジネスを、富裕層、そして一般消費者にも広げていった。

アートやワインの保管のほかに、ネット上で自分の預けたものを管理できる「ミニクラ」という貸しトランクルーム事業を推進するとこれがヒット。収益構造を安定させたのだ。

「ミニクラはネット上で預けたものを売買することもできる優れたサービスで、モノを持たない生活を推奨するような事業です。まさにミニマリストの中野さんらしい発想です」(流通関係者)

中野氏は、売上高100億円を常にキープしたいと公言。それを超えたら事業を売却するという。

建築家の隈研吾氏や寺田倉庫のオーナーが明かす

中野氏は、私生活でもミニマリズムを通している。家も車も腕時計も持たない。ワインを手がけるのに、酒も飲まない。もちろんタバコも吸わない。

蓄財にも興味がなく、稼いだカネは必要最低限を残して、ほとんどを寄付してしまうというのだ。中野氏の親友で建築家の隈研吾氏が言う。

「そもそも彼には公私の区別などないはずです。自分の好きなことや、やりたいことに仕事もプライベートも関係ない。街づくりやアートの支援に稼いだおカネを寄付してしまうのも、自分の夢がそこにあるから。

自由奔放に見えるけど、経営センスもあるのだから、ドリーマーにして、リアリスト。あまり日本では見たことのない経営者です」

中野氏は'44年生まれ。学生時代はバットを握ったら離さない野球少年で、プロを志向していたこともあったという。千葉商科大学の野球部時代は海外遠征にも臨んでいる。だが額にボールが直撃する大ケガが原因でそっとバットを置いた。

大学を卒業すると、伊勢丹に就職した。5年後に退社し、婦人服専門店としてバブル時代のファッションをリードした「鈴屋」に転職し、バイヤーとして頭角を現す。

日本初のファッションビル「青山ベルコモンズ」の開設にもかかわり、鈴屋では代表権を持つ専務にまで昇格した。

「様々な企画を実行し、他社との共同事業もたくさんやっていた。海外展開も主導し、鈴屋ブランドで権勢をふるっていましたね」(当時の知人)

ところが財テクブームに傾注した鈴屋はバブル崩壊とともに、破綻への道を辿る。

'91年、鈴屋を辞した中野氏は、今度は台湾に渡った。大手財閥が率いるコングロマリット「力覇集団」のオーナーに呼び寄せられたのだ。

「鈴屋で海外出張を行っている際、たまたま力覇のオーナーが中野氏の講演を聞いて、スカウトしたそうです。ファッションブランド経営のノウハウが買われ、実際に百貨店経営で手腕を発揮した。

'02年には別の財閥『遠東集団』の百貨店事業を担い、ここでも結果を残しました。彼は台湾の2つの財閥に愛されたわけです」(台湾の流通関係者)

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実は彼の経営センスに注目していた人物は日本にもいた。それが寺田倉庫のオーナー、寺田保信氏だったのだ。

寺田氏が本誌に語る。

「中野さんとは、彼が鈴屋時代にアートや建築デザインの話でよく盛り上がったんですよ。もう30年以上、家族ぐるみの付き合いをしてきました。

彼が台湾に渡ってからも、ちょくちょく現地に遊びに行って、彼の活躍を見ていたのですが、寺田倉庫に転機が訪れたと考えて、彼に言ったんです。『そろそろ日本に帰ってきてくれないか』と」

刹那を楽しむということ

既存の倉庫業を続けているだけでは未来がない。寺田氏には息子がおり、将来の経営者としてバトンを繋ぐために、事業再編を中野氏に託したのだ。

「私の思い描く会社像も理解しているし、事業の交通整理もできる。私の夢も実現してくれるありがたい存在です」(同)

中野氏の人脈は台湾にとどまらず、中国、シンガポールの富裕層とも太いパイプを持っている。

「酒は飲まないけど、ワインの価値についてはよく理解しているし、富裕層がなぜアートを求めるのかもよく知っている。彼が美術品を預かる商売を始めたのも、その価値をしっかり保存する意味を知っているから。

このビジネスはいま、特に華僑に受けています。富豪たちがアートを資産の一部にするのは、政情がいつ変化してもおかしくない大陸に生きる華僑の、長期的な生存戦略の一つでもある。だからより安全な日本の倉庫に保存を依頼するのです」(同)

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寺田倉庫と合弁会社を作った松竹の迫本淳一社長も、中野社長の手腕に魅了された一人だ。

「アイデア豊富で圧倒されるんです。京都四條南座で新機軸を打ち出すアイデアをお願いしたら、『舞台と客席をやめて、フルフラットにしよう』とか、『複数の演劇が同時進行するオムニバス演劇を作ろう』とか、規格外の発想が次々に飛び出してくる。話していると引き込まれます」(迫本氏)

豊富なアイデアをアグレッシブに実現し続けているのが、中野氏なのだ。

中野氏は、寺田倉庫の社長になってからも週末は台湾に戻る生活だ。寝泊まりするのは自宅ではなく、主に台北のホテル「グランドハイアット」だ。「仕事に専念するため、ハウスクリーニングは任せたいから」だという。

隈氏は「何も持たない」中野氏をこう見ている。

「ある種の刹那主義者だよね。彼が倉庫の社長をやったのは『預けて安心』を作りたかったんじゃないかな。

子孫に資産を残す心配ばかりしていたら、人生、つまらないでしょ。富豪たちの心配を除いて、刹那を楽しんでもらいたい。それは中野氏の生き方そのものだと思う」

寺田倉庫には社長室もない。ミニマリスト社長は、椅子のない机の前に立ったまま、今日も執務を続けているという。

「週刊現代」2018年9月15日号より

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