内田篤人とシャルケ、相思相愛の7年間。退団セレモニーは盛大だった

内田篤人とシャルケ、相思相愛の7年間。退団セレモニーは盛大だった

  • Sportiva
  • 更新日:2017/09/14

内田篤人とシャルケの7年(前編)

ブンデスリーガ第3節シャルケ対シュツットガルト戦を前に、7年間在籍したシャルケを退団、ウニオン・ベルリンに移籍した内田篤人の退団セレモニーが行なわれた。

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シャルケの退団セレモニーでサポーターに手を振る内田篤人

内田がシャルケを去ったのは8月18日のことだった。代理人とともにオフィスを訪れる姿をビルト紙のカメラにキャッチされた日だ。実際にチームメイトに別れを告げたのはもう少し前で、その週の最初のトレーニングだった。

今回の移籍は、あくまでも今季の立ち上げからドメニコ・テデスコ監督体制のもとでの自らの出場機会を見極めた上での判断だった。テデスコをはじめ、クリスティアン・ハイデルSDやコーチングスタッフも、内田と同じ認識だった。他のクラブで出場機会を得るほうがお互いのため。だからこそ、極めて円満にウニオン・ベルリンへの移籍が決まった。

ところが、クラブ全体としての認識はそうとも言えなかったようだ。

8月上旬に行なわれたSchalke Tag(英語でいうSchalke Day)と名付けられた、シーズン開始前のファン感謝デー的イベントで、今年のメインキャラクターに据えられていたのは内田だった。パンフレットやポスターなど、あらゆる刷り物は内田をメインに作られていた。負傷から今季こそ本格復帰すると期待された内田を、クラブとして推していたわけだ。

イベントでは、ベネディクト・ヘヴェデス(その後ユベントスに移籍)やマックス・マイヤーといった主力のドイツ代表組がコンフェデレーションズ杯に出場して合流が遅れたこともあるのかもしれないが、内田への声援が特に増しているように感じられた。

新加入選手が増える中、シャルケでの8年目を迎えるレジェンドとして、内田はシャルケファンにとって大切な存在になっていた。また、マーチャンダイジングやSNS展開においても、復活を望まれていた。だからこそ、すでにシャルケの選手ではないにもかかわらず、ウェブ上では8月末になってもまだ内田の写真特集などが展開されていた。盛大に行なわれた退団セレモニーとともに、特別な存在だったことの証だろう。

内田がシャルケに加入したのは2010年。南アフリカW杯では、日本代表の新世代の象徴として期待されながら出場機会を得られず、失意を振り払うにはちょうどいいシャルケ入団だった。現地での認識は、アジアから無名の22歳がやってきたという程度のものだったが、開幕戦に途中出場。その後は第2節で先発と、早々にチャンスをつかんだが、安定してレギュラーの座を掴んだのは第8節以降だった。

当時、シャルケの監督は”鬼軍曹”として知られるフェリックス・マガトだった。内田が言うには、マガトの旧世代的なフィジカルトレーニングや根性至上主義が「合った」のだという。

「頑張ればいいだけだから。ああいう監督、嫌いじゃないよ」

この年、最終的にマガトは解任されることになるが、それでもチャンピオンズリーグ(CL)で準決勝に進出。内田はそのマンチェスター・ユナイテッド戦に2試合ともフル出場している。

「毎日、歯磨きをするようにサッカーのことを考えていて、楽しかった」と、内田は当時のフレッシュな喜びを表現している。フレッシュといえば、欧州サッカーについて驚くほど詳しくないことも、明らかになった。「左利きの、あのギグスっていう選手はさあ(ライアン・ギグスのこと)」とか「マンUに同じ顔のやついない?(ファビオとラファエウの兄弟こと)」とか、本気とも冗談つかないコメント満載だった。

このシーズンは在籍7年間で唯一のタイトルとなったドイツ杯も獲得。”セニョール”ラウルとGKマヌエル・ノイアーを軸に、クラース・ヤン・フンテラールがいて、若きユリアン・ドラクスラーやヘヴェデスがいて、右SBの内田の前にはジェフェルソン・ファルファンがいた。内田にとっても近年のシャルケにとっても、もっともいいシーズンだった。

2011~12にシーズンに入ると、内田を取り巻く様子は少し違ってきた。ラルフ・ラングニック監督のもと、シーズン序盤、内田の出番は少々減った。過労を考慮されてのスロースタートだったが、「給料泥棒って言われないように」とギアを入れようとした矢先、右太ももの肉離れを起こした。チームは不調に陥ってラングニックは解任。臨時監督を挟んで今度はフーブ・ステフェンスを招聘した。

ステフェンスが就任し、太ももの負傷が癒えた頃、内田は「俺、苦しい時に苦しいって言えないんだよな。言えるやつって強いと思う」と言っていた。今にして思えば、この頃の苦しみなど、たいしたものではない。だが、プロ入り以降、順風満帆にきていた内田にとって、負傷やベンチ外といった事態に戸惑いを感じた時期だった。

シャルケでの2シーズン目、右サイドのファルファンと内田のホットラインは、早くもファンから愛され始めていた。彼らがいないとき、練習見学に訪れたファンから「内田とファルファンがいればよかったのに」と、嘆く声を聞かされることもしばしばだった。

このシーズン、シャルケはヨーロッパリーグ(EL)に出場。ベスト8でビルバオに敗れたが、前シーズンに戦ったCL の刺激がよほど強かったのだろう。「ELって何のためにあるの?」と、聞いてくるなど、モチベーションはそれほど上がらなかったようだ。
(つづく)

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