菅義偉新総理は「令和の竹下登」だと言い切れる4つの理由

菅義偉新総理は「令和の竹下登」だと言い切れる4つの理由

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/16
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「継続」か、「転換」か

昨日14日、菅義偉官房長官が、第26代自民党総裁に選出された。全534票中、菅氏377票、岸田文雄氏89票、石破茂氏68票と、菅氏の圧勝だった。

これで菅氏が16日の首班指名で、63人目の総理大臣に就任することが確実となった。71歳にしてスポットライトを浴びた「忍従の男」は、高々と両手を上げ、檀上中央で挨拶に立った。

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〔PHOTO〕Gettyimages

「安倍総理が進めてきた取り組みを継承する使命があると認識しています」
「大事なのは自助・共助・公助、そして絆です」
「役所の縦割り、悪しき前例主義を打破していきます」
「秋田の農家の長男に生まれました。まさにゼロからのスタートでした。その私が総裁になりました」……

菅義偉新政権は、一体どんな政権になるのか? 多くの政治評論家らは、「安倍晋三政権の継続」と解説している。つまり、7年8ヵ月にわたって、安倍首相の女房役として仕えたのだから、当然ながら「継続だ」というわけだ。実際、菅氏本人も、発言の機会があるたびに、「安倍政権の継続」を訴えてきた。

だが、先週のこのコラムで詳述したように、普段、東アジアの政治情勢をフォローしている私から見ると、菅義偉新政権は、安倍晋三政権の「継続」というよりも、むしろ「転換」となるように思えてならない。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75453

そのことを示すため、先週のこのコラムでは、安倍政権から菅政権へのバトンタッチは、中国で2012年から2013年にかけて、胡錦濤政権から習近平政権にバトンタッチした時に酷似していると記した。「胡錦濤→習近平」が「継続」ではなく「転換」だったように、「安倍晋三→菅義偉」も「継続」ではなく「転換」になるだろうという主旨だった。

ところが、一部の読者から、「中国の例を日本に当てはめようとしても、日中両国の政治制度がそもそも異なるのだから分かりにくい」との指摘を受けた。そこで今回は、純粋に日本の国内問題として、菅新政権が安倍政権の単純な「継続」ではないということについて述べてみたい。

私は、菅義偉という政治家は、一言で言えば「令和の竹下登」だと思っている。

1987年11月に発足した竹下政権は、「中曽根康弘政権の継承」を謳っていたが、実際には明らかに異なる政権だった。そのため、「安倍政権の継承」を謳って発足する菅政権も、同様の結果になるだろうと予測している。

以下、菅義偉氏が、「令和の竹下登」である理由を、具体的に4点指摘したい。

1)2度目の縮小期の節目の首相

前世紀の昭和の日本は、2度にわたる「膨張の時代」だった。64年続いた昭和は、昭和20年(1945年)の終戦を境に、前期と後期に分かれる(昭和史研究の大家である保阪正康氏らはGHQによる占領期を含めて、前期・中期・後期に分けているが、本稿では占領期は省略する)。

昭和前期の日本は、軍事的に「膨張」した時代だった。台湾、朝鮮の植民地に加え、昭和の初めには満州に傀儡国家を建設。その後、日中戦争が開戦すると、中国の主要都市も手中に収めた。さらに太平洋戦争の開戦後には、東南アジア一帯も広く支配した。まさに「アジアの大英帝国」とも言うべき「大日本帝国」を展開した。

それは、昭和20年の敗戦によって瓦解。日本は一切の植民地や占領地を放棄したが、5年後の朝鮮戦争を機に、今度は経済的に「膨張」していった。鳩山一郎政権は経済白書で「もはや戦後ではない」と説き、池田勇人政権は「所得倍増論」をブチ上げた。昭和43年(1968年)には西ドイツを抜いて、世界第2位の経済大国にのし上がった。

昭和50年(1975年)に始まったG7(先進国)サミットには、「アジアで唯一の先進国」として参加。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とアメリカからも称えられ、昭和末期の1980年代後半には、空前のバブル景気に沸いた。

このような「軍事的膨張」と「経済的膨張」の昭和は、1989年に終わりを告げ、平成の世を迎えた。その節目となったのは、中曽根康弘政権から竹下登政権にバトンタッチされた時だった。

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竹下政権の小渕恵三官房長官(後の首相)は「平成オジサン」と言われたが、平成の31年間とは、一言で言うなら「縮小の時代」だった。いわゆる「平成不況」が日本を襲い、「失われた20年」を迎えた。

バブル経済を牽引してきた一角の山一證券は倒産し、世界に名だたる日本の「12都市銀行」は3つのメガバンクに淘汰されていった。「半導体王国」は崩壊し、「ケータイ王国」にもなれず、シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)に買われてしまった。

「就職氷河期」に陥り、「大学は出たけれど」という小津安二郎監督の映画のタイトルのような社会問題も発生した。昭和の若者たちが「肉食系」だったのに対し、平成の若者たちは「草食系」と呼ばれた。

このように日本は、昭和から平成に代わったことを契機に、「縮小の時代」に入ったのである。そして、この「時代の転換」を誘導したのが、竹下政権だった。

そこから30年あまりを経て、時代は平成から令和に代わった。9月8日の自民党総裁選の出馬演説で、石破茂候補は、「21世紀に世界の人口は2倍になるが、日本の人口は半分になる」と警鐘を鳴らした。つまりこれからの日本は、「2度目の縮小期」に入ると見るべきである。

そしてその「2度目の縮小期」を誘導するのが、「令和オジサン」こと菅義偉新首相の政権だという見立てだ。

2)長期政権後の「目標なき政権」

昭和最後の長期政権となった中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を掲げて、5年間にわたって内外の諸課題への対応に邁進した。

内政では、不可能と言われた30万人の巨大組織・国鉄(日本国有鉄道)を6つのJRに分割・民営化したのを始め、電電公社と日本専売公社も、それぞれNTTとJTに民営化した。経済では、昭和60年(1985年)のプラザ合意で円高誘導になったものの、先述のように「昭和元禄」と言われたバブル経済を演出した。

また外交分野でも、「ロン・ヤス関係」と呼ばれたドナルド・レーガン政権との確固たる蜜月関係を築いた。そしてイギリスのマーガレット・サッチャー政権も入れた「鉄の三角関係」のもと、西側資本主義陣営の「サブリーダー」として、冷戦を最終勝利へと導いていった。中国の胡耀邦政権、韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権とも確固たる関係を築き、ASEAN(東南アジア諸国連合)の発展にも努めた。

中曽根政権を振り返ると、昭和後期という高度経済成長に沸いた「膨張の時代」を象徴する「最後の花火」のような時代だった。「今日は昨日より輝かしく、明日は今日よりもさらに輝かしい」という右肩上がりの時代の頂点である。

そのような中曽根長期政権が終了した時、「安竹宮」(あんちくみや=安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一)という「ニューリーダー3人組」が後継を争ったが、勝者となったのは竹下氏だった。

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竹下氏は島根県の県会議員から国政に這い上がってきて、田中角栄氏の下で実力をつけた。その後、盟友の金丸信氏とともに創生会を立ち上げて田中派を強引に継承してしまった叩き上げの政治家だ。

竹下氏は、「中曽根政治の継承」を約束して、「中曽根裁定」によって総理・総裁の座を禅譲された。だが結果的に、中曽根政治の継承とはならなかった。

それは、時代が膨張期から縮小期への転換点にあったということに加えて、長期政権後の「目標なき政権」だったからである。

戦後、長期政権を築いた6つの政権を振り返ると、それぞれの目標が明確だった。日本の独立を目指した吉田茂政権、所得倍増を目指した池田勇人政権、沖縄返還を目指した佐藤栄作政権、戦後政治の総決算として行財政改革を目指した中曽根康弘政権、郵政民営化を目指した小泉純一郎政権、アベノミクスによる東日本大震災からの経済復興と憲法改正を目指した安倍晋三政権である。

ところが短命政権は、明確な目標が定まっていない。中曽根氏の後を継いだ竹下登政権が、まさにこれに当てはまった。

私は竹下氏の回顧録や評伝、政策集などを10冊くらい読んだが、「10年経ったら竹下さん」と自分で替え歌を歌っていたほどで、「総理の椅子に就くこと」は人生の目標だったが、その後の目標を明確には定めていなかった。

以前、中央官庁のトップである事務次官にまで上り詰めたある大物官僚から、こんな話を聞いたことがある。

「総理の椅子を目指す政治家には、2通りある。一つは、自分の実現したい政策や長年の持論などを実行に移すために首相を目指すタイプ。もう一つは、首相になること自体が目標のタイプだ。

前者のタイプは、目標がはっきりしているから、霞が関(中央官庁)も一体となって動き、長期政権になりやすい。一方、後者のタイプの場合は、いったん総理の座に就いた後の目標は、一日でも長くその椅子に座り続けることになる。そのため基本的に守りに入るから、様々な問題が後回しにされ、山積していく。そのあげく、カネの問題などスキャンダルが噴出して、短命に終わるのだ」

竹下首相の発言は、言語明瞭・意味不明瞭と言われ、何が言いたいのか、何がしたいのかよく分からなかった。まさに、「アベノミクス長期政権」の後を引き継ぐ菅義偉新総裁に通じるものがある。

3)内向き志向の守りの政権

前述のように、竹下政権は一応、「中曽根政治の継承」を標榜していたため、中曽根政権がやり残した消費税(売上税)の導入を実現させた。だが、「日本を不沈空母にする」とアメリカに豪語したほど「外向き志向」の中曽根首相に対し、竹下首相は完全に「内向き志向」の政治家だった。

竹下政権のスローガンは、「気配り調整」である。「ふるさと創生」と称して、全国3245の地方自治体すべてに一律1億円を配った(後に関係者に聞いたところでは、竹下首相は一律1000万円以下を提案し、梶山静六自治大臣は一律10億円を提案したため、折衷案として1億円となった)。

中曽根首相と同様、長期政権を築いた安倍首相もまた、「外向き志向」の政治家だった。第1次政権では「自由と繁栄の弧」を、第2次政権では「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、「外向き志向」が鮮明だった。

第1次政権で、のべ20ヵ国・地域を訪問し、第2次政権では、のべ176ヵ国・地域も訪問している。合わせてのべ196ヵ国・地域に及び、単純比較すると、国連加盟国の193ヵ国よりも多い。

それに対して、先週のこのコラムでも述べたが、菅義偉新総裁は、完全な「内向き志向」の政治家である。菅氏は9月2日の総裁選出馬会見で、自己のこれまでの政治家としての実績を二つ挙げていたが、それは次のようなものだった。

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「その1つの例が洪水対策のためのダムの水量調整でした。長年、洪水対策には国交省の管理する多目的ダムだけが活用され、同じダムでありながら経産省が管理する電力ダムや農水省の管理する農業用のダムは台風が来ても事前放流ができませんでした。

このような行政の縦割りの弊害を打ち破り、台風シーズンのダム管理を国交省に一元した結果、今年からダム全体の洪水対策に使える水量が倍増しています。河川の氾濫防止に大きく役立つものと思います。

もう1つの例は携帯電話の料金であります。国民の財産である公共の電波を提供されるにもかかわらず、上位3社が市場約9割の寡占状態を維持し、世界でも高い料金で約20%もの営業利益を上げております。私がおととし携帯電話料金は4割程度引き下げられる余地があると表明したのも、このような問題意識があったからであります」

このように、完全に目線は「内向き」なのである。菅氏はさらに、こうも発言した。

「地方から都会に出てきている人たちの多くは生まれ育ったふるさとになんらかの貢献をしたい、またふるさとの絆を大切にしたい、そうした思いを抱いているに違いないと考え、かねて自分の中で温めていた『ふるさと納税』というものを成立させました」

まさに、竹下政権の「ふるさと創生」に重なるのである。

4)叩き上げ人生と「政界のドン」の存在

竹下登元首相は、日本海側の島根県の出身で、早稲田大学を出た後、地元で代用教員を務めて県会議員になり、そこから国会議員になった。同様に菅氏も、日本海側の秋田県の出身で、法政大学を出た後、横浜で市会議員になり、そこから国会議員になった。どちらも二世議員ではなく、地方議員からの叩き上げである。

菅氏は、9月2日の総裁出馬会見でも、9月8日の総裁選候補者演説でも、自らの「叩き上げ人生」について披瀝した。

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「雪深い秋田の農家の長男に生まれ、地元で高校まで卒業をいたしました。卒業後すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てまいりました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を得て、2年遅れて法政大学に進みました。

いったんは民間企業に就職しましたが、世の中が見え始めたころ、もしかしたらこの国を動かしているのが政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のころです。

秘書を11年務めたところ、偶然、横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれ、38歳で市会議員に当選しました。そして地方政治に携わる中で、国民の生活をさらに良くしていくためには地方分権を進めなければならない、そういう思いの中で国政を目指し、47歳で当選させていただきました。地縁も血縁もないところから、まさにゼロからのスタートでありました……」

そんな叩き上げの竹下氏と菅氏を、ともに「政界のドン」と呼ばれる存在が、総理総裁に押し上げた。

竹下氏の場合は、金丸信元副総理(副総裁)である。私は金丸信氏の次男で、長年にわたって秘書を務めた金丸信吾氏に、先日インタビューしたが、こんな話を聞いた。

「父の政治家としての目標は、竹下政権を作ることだった。1986年の総選挙で、父が自民党幹事長として、304議席という空前の議席獲得に貢献した時、中曽根首相から幹事長続投を要請された。だが父は、『自分は竹下政権を作りたいので竹下を幹事長にしてくれ』と言って辞任した。その時に中曽根首相が『それなら二人で次の政権を作ろう』と言って、副総理に抜擢されたのだ」

このように、「金丸あっての竹下」だった。

同様に今回、菅義偉新総裁を誕生させた最大の立役者が、「政界のドン」こと二階俊博幹事長(81歳)だった。安倍首相が辞任会見を行った8月28日夕刻から電光石火のように動き、「菅後継」の流れを決定づけてしまったのは周知の通りだ。

二階氏は自民党第52代幹事長で、ちょうど第26代の金丸幹事長の2倍の代にあたる。二階幹事長は9月8日、「政治の師匠」である田中角栄幹事長(第11代、13代)を抜き、在任期間が歴代最長となった。

こうした経緯から、今後とも「二階幹事長あっての菅政権」であり続けることが見込まれる。

以上、これから出帆する菅新政権は、まさに「令和の竹下政権」と呼ぶべき政権なのである。

竹下政権は、中曽根政権の継承として、消費税導入を実現させた。だがその一方で、戦後最大の収賄事件と言われたリクルート事件が火を噴き、内閣支持率は一桁まで落ち込んだ。その結果、わずか1年半あまりで崩壊し、日本は「平成不況の時代」へと突入していった――。

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ある霞が関の大物官僚が語る。

「竹下首相は、霞が関の官僚の名前や性格を、実によく記憶していて、自分に役に立つ者と立たない者とに取捨選択していった。菅新総裁もまさに同様で、霞が関の官僚たちは戦々恐々としている。

安倍政権時代に内閣人事局ができて、600人余りの幹部人事は内閣人事局の承認が必要になった。そこから、官僚の首相官邸に対する『忖度』(そんたく)が顕著になったが、これからは『超忖度』の時代になるだろう」

ともあれ、竹下政権が「平成の縮小期」の呼び水となったように、菅政権も「令和の縮小期」の呼び水となる政権を、運命づけられているように思えてならない。

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消費税凍結とMMTが日本経済を救う!
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舌鋒鋭い論客の藤井聡京大教授とは、テレビでご一緒することがあるが、書かれたものをきちんと読んだのは初めてだった。菅新政権を迎えたいまこそ、消費税を凍結し、MMT(現代貨幣理論)によってコロナ禍の「令和不況」を突破していこうと説く。「1100兆円に上る国の借金には何ら問題はない」と説くMMT理論は、私には理論的に整合性がついても、何となく身体がもやもやする。ただ本書はマンガ仕立てで、論点が明快で分かりやすい。本文で述べた菅新時代の日本の財政を議論する絶好の叩き台と言える。

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