日本再浮上のためには「壊す力」と「余白」が必要だ

日本再浮上のためには「壊す力」と「余白」が必要だ

  • JBpress
  • 更新日:2021/02/22
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(朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO)

今から約2年前の2019年4月、ちょうど平成から令和に切り替わる直前に、私はこのJBpressに《「令和」初頭に高確率でくる日本の苦境を乗り切る道》という論考を寄稿しました。

令和という時代の最初の数年は日本にとってかなり厳しい時代になりそうだということを、短期、中期、長期の循環論をもとに予想したものです。先日、何気なくツイッターを見ていたら、この記事を「預言どんぴしゃ」とのコメントとともにリツイートしてくれている方がいらっしゃいました。新型コロナの感染拡大までは予想していたわけではありませんが、確かに大きく外してはいなかったと思います。

しかしそれを喜んではいられません。なにしろ、ただでさえ循環論に従えば、経済が落ち込み、政治の混乱が起きそうな時期だと予言していたのに、ダメ押しのようにコロナまでやってきたわけです。日本は現在、相当な苦境に立たされているのですから。

(参考)「令和」初頭に高確率でくる日本の苦境を乗り切る道
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56219

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衰退か、再浮上か、瀬戸際に立つ日本

世界の歴史を少々振り返れば、このような立場に立たされた国がいくつか思い浮かびます。大航海時代の先駆けとなり、16世紀には広大な植民地を保有し繁栄を極めたポルトガルは、富の源泉だった香辛料貿易の衰退、スペインによる併合などにより徐々に国力が低下していきます。そして1755年、リスボン大地震により国土が壊滅的被害を受け、国家としても低迷を余儀なくされました。

あるいはこれも古い例ですが、16世紀に現在のペルーにあったインカ帝国が、わずかな人数のスペイン軍によって征服されてしまいました。インカ帝国がいとも簡単に征服されたのは、スペイン軍とともにやってきた天然痘のせいだと言われています。インカ人にとって未知のウイルスだった天然痘は、わずか数年でインカ帝国の人口の60~94%を死に追いやったと言われています。

日本は今から10年前に東日本大震災を経験しました。そして現在は、新型コロナに襲われています。つまり、かつてポルトガルやインカ帝国が直面したのと同様の危機にあるとも言えるのです。日本はここから衰退の一途を辿るのか、あるいは踏ん張って勢いを取り戻すのか、まさに現在は瀬戸際にあるのです。

中長期戦略なき日本

そういう状況にある日本が、ここから再び勢いを取り戻して輝ける国になるためには、どんな方向のどのような道を駆けていくべきなのか、しっかりしたビジョンや計画が必要です。しかし残念なことに、政府には中長期的なパースペクティブが存在しないのです。

政府は、各自治体に対して「総合計画」という名の中長期戦略を策定するよう求めています。そのために自治体はそれぞれ5年とか10年といったスパンの総合計画を作っているのですが、肝心の国にはそういう計画がないという状況です。もちろん各政策分野、例えば財政状況などについては「中長期的に財政をこうします」といったものや、政権が代わると打ち出される「〇〇ビジョン」的なものはありますが、国家としてのしっかりした中長期計画はありません。ここは日本の大きな欠点です。

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一方、自治体の総合計画にしても、実は作っているけれどその効果は疑問視されることも少なくありません。コンサルタントに丸投げで、空念仏のようになってしまっているものが少なくないからです。

ということになると、日本は中央政府にも地方自治体にも、中長期の戦略がなく、その時々の課題に取り組むだけという、極めて近視眼的な国家運営がなされていると言っても過言ではないのです。ここはやはり改善していかなければならない点です。

「壊す」、「なくす」、「無」がカギに

では、日本はこれからどういうビジョンや方向性を考えていけばいいのでしょう。

どの国だってそれぞれ置かれた地理的条件や歴史、産業構造などが違うわけですから、その国ごとのビジョンが必要になります。われわれも、日本ならではのスタンス、理念、方向性を出していかなければなりません。そういう前提の上で、「日本再浮上」のためのキーワードになりえるのが「壊す」、「なくす」、「無」といった言葉ではないかと私は考えています。

言葉だけ見るとネガティブですし、ちょっと分かりにくいかもしれませんので、もう少し詳しく説明します。日本人のものの見方・考え方の大きな特色は圧倒的な「無常観」を持っているということです。すべてのことは変わり、移ろってゆく。命ある者は必ず死に至り、形あるものもいつかは無に還る。そうした無常観が日本人の中にはあります。

なぜ日本人はこのような考え方を持つようになったのでしょうか。歴史的に日本に大きな影響を与えてきた仏教の世界観も作用していますが、おそらく日本の風土や置かれた環境が最も大きく影響しているのではないかと思います。

街づくりの観点から見れば、欧米ではペストが流行った後、疫病をなくすための衛生的な都市づくりが志向されました。ルネサンス期の都市改良などが典型です。また先述のリスボン大地震の後にも、自然の脅威に立ち向かうべく強靭な都市づくりが前面に出てきました。

アメリカでも例えば1871年にシカゴ大火災があった後、むしろ、火災に負けない強い都市ということで、耐火性の高い摩天楼がそびえるようになったとも言われています。

日本はどうだったか。日本も「災害に強い街づくり」という方向性がないわけではありませんが、日本がさらされてきた自然の脅威というのは、欧米などのそれとはちょっとレベル感が違っていたのではないでしょうか。もともと地震も多いこともありますし、海に囲まれていますから津波の被害に遭うことも多かった。また狭い国土を走る河川は高低差も激しく、ひとたび大雨が降れば氾濫しやすい。台風の被害も多くありました。建物は木造が中心ですから、大火事も多かった。常に自然の脅威・災害の脅威にさらされてきたわけです。

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状況は現代になっても変わりません。東日本大震災では、コンクリート製の防潮堤や堅牢に防御された原発が自然の前には無力ということをまざまざと見せつけられました。

またダム建設や護岸工事が施され洪水に強くなったと思われていた河川にしても同じです。地球温暖化の影響で頻繁に、しかも予想を上回るような豪雨の前には耐えきれないことも多く、近年になっても何度も大規模な河川災害が起きています。

こういう厳しい環境の中で私たちが身に着けてきたのが「無常観」です。自然と真正面からがっぷり四つに組んでもしょうがない。時には大きな被害を受けることもあるが、それも含めて自然と共生して生きていこう――という考え方です。そして、この考え方こそが、これから世界中で重要になる価値観ではないかと思うのです。

ともすれば「無常観」という言葉によって、ニヒリズムや絶望感を想起させられる人もいるかもしれませんが、むしろこの言葉をポジティブに考えていくことが大事になると思います。

人口動態に合わせ「解体しやすい」建造物

日本はよく「課題先進国」と呼ばれます。少子高齢化など先進国ならではの課題にいち早く直面しているという意味で、その克服法が他国の参考になるとされています。

その文脈で言えば、いま日本が直面している「人口減少」に適した社会づくりも、今後諸外国に大きな影響を及ぼすことになると思うのです。

先進国でも、あるいは急激に経済成長を遂げているアジアの国々でも、遅かれ早かれ人口減少という事態に直面します。そのときに求められるのが、成長の過程で密集化の方向で築いてきた都市や街を「いかに壊すか」という視点や技術です。

これまでの都市づくりは、効率性や機能性を重視し、都心を中心にオフィスや住宅を密集させる方向でなされてきました。そして一度作られた構造物は、解体しようと思えば膨大な作業とコスト、環境への負荷を要します。

これを、人口が減少することを見越して、不要となった時には解体しやすい、環境負荷の少ない構造物を中心につくり替えていくことは日本の技術で可能になってくると思います。自然の脅威に抗って存在し続けるというより、不要となれば壊して、自然に還していくという視点の街づくりが可能ではないかと思うのです。

日本では最近、例えば土に還るコンクリート(微生物が分解できる生分解性樹脂を用いたコンクリートなど)の研究も進んでいます。実用化され普及すれば、一度つくった建築物を環境に負荷をかけることなく、解体・撤去できる技術は飛躍的に進展するでしょう。

人の創造性が生きる「余白」のある街

もう一つの観点は、「余白」を生かした街づくりです。建築家の隈研吾さんなどもおっしゃっていることですが、これからの街づくりの中心は、建築物ではなく広場であるという考え方が広がっています。これまでは構造物をつくり、その間に広場や公園を配するという主客関係でしたが、これからはむしろ広場のような「余白」を中心に据え、その周囲に建築物が配置されていくようなイメージです。

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中心にある余白は、さまざまな使い方が出来ます。ある時は高校生がスケートボード(スケボー)をしているかも知れませんし、ある時には近隣の住民たちが自分で育てた野菜や食品や手作りの品々を持ち寄ってマルシェを開いて賑わいを作りだすかもしれません。あるいは野外コンサートが開かれることもあるかも知れない。

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そういった「余白」「空間」こそが、人間を生かせる、よりクリエイティビティのある生活を生み出せるという考え方です。日本画や水墨画というのは、西洋画と比べると一目瞭然ですが、圧倒的に空白が多い絵画です。しかし、描かれていないからといってその空間が無意味というわけではありません。あえて余白を作ることによって、見る者に無限の想像力を働かせようとしているのです。街の中にあえて「余白」を作ろうというのも、これと同じ考え方で、そこにいる人々によって、より創造的な使い方をしてもらおうというものなのです。

こうした「壊す」や「無」「余白」「空」といった無常観に根差すような感覚は、日本人には非常にマッチしています。これを虚無と受け止めず、そのときどきの変化に順応する柔軟性という形でポジティブに捉えて、それに適うような技術を伸ばしていくべきだと思うのです。

これはESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)という世界の流れにも合うものですが、これらのワードはどうも日本人にとって「取ってつけた感」が拭えないように感じています。「世間で騒がれているようだから、とりあえずSDGsやっています」という感じで、その本質を理解しないまま企業活動に取り入れたりしているように見えるのです。

それよりは、日本的な解釈をし、われわれが持っている「無常観」を持ち込むことで、ESGやSDGsの理念と実質的に同じことを自分たちの言葉で我が物として理解して実践することができるはずです。といいますか、日本がこの先、土俵際に追い込まれている瀬戸際状況から勢いを取り戻していくためには、この方向しかないのではないでしょうか。

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五輪と万博こそ絶好のアピールのステージ

そうしたビジョンが固まったのなら、次に大事になってくるのは、そのイメージや実際の技術などを世界に向けて発信する場です。実は絶好の場がすでに用意されています。今年夏の東京五輪と2025年に予定されている大阪万博です。

オリンピックに関しては、「コロナが収束していないのだから中止すべきだ」という意見が今も根強くあります。そうした意見に対して菅義偉首相は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証、また東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と発言していますが、私はこれには全面的に同意は出来ません。というのも、私の語感では、「勝つ」というより、うまく「凌ぐ」しかないからです。しかも、地球の温暖化が止まらない状況下では、わたしたち人類はむしろこれからも新しい感染症と付き合っていかなければならない可能性が高いといえます。コロナだけでなく、さまざまなウイルスや細菌などに「打ち勝つ」のではなく、その負の影響を最小限に抑えながら、社会生活を送るようにしなければならないのです。

であれば、オリンピックのあり方も、おのずと従来とは異なるものにならざるを得ません。ワクチンの力にも頼りつつ、無観客で行うのが現実的でしょう。いや、むしろ無観客の状態のほうが、先ほど述べた様な「余白」や「無」を生かした大会運営が可能になるとも言えます。作らない・飾らないオリンピックです。

観客を入れ、彼らが「興奮」できるように「ショー・アップ」してつくり込んだ「見世物」としてのオリンピックではなく(1984年のロス五輪から商業主義が前面に出たとも言われています)、スポーツの祭典という視点に立ち、アスリートたちを主役に据え、アスリートのプレーを純粋に楽しむ大会にすればいいのです。日本はコロナをまさに「奇禍」として、スポーツの原点に立ち返った、「余白」を大切にする大会を追求すると大々的に打ち出せばいいのです。

来日するアスリート(や最小限の随行の方々)には、競技場や選手村以外の場所をあまり出歩いたりしないようお願いしてコロナ感染の可能性を抑え、あくまで競技で最高の結果を出してもらう機会とする。そしてわれわれ観客は映像を通してそのプレー楽しむ機会とする。それこそが人類がウイルスに負けなかった証、きちんと凌いだ証としての五輪になるのだと思います。そうなれば、過度に商業化が進んだオリンピックにとって、東京五輪が大きな転換点、無常観・余白の提示が、環境重視、SDGsに湧く世界に向けたポジティブな大きなメッセージになります。

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さらに4年後の2025年には万博も開かれます。4~10月の6カ月間にわたって万博の開催会場となる大阪湾の夢洲は、万博閉幕後は一旦は無に還すことになります。そこではやはり環境に優しい方法でパビリオンなどの建築物を壊していく技術が必要になります。そこまでも含めて、まさに中長期的ビジョン・日本の国家像や目標の実現ということも意識して、日本発のコンセプト・技術を発信していくべきではないでしょうか。

これは先進国だけでなく、現在は人口増加が続いているアジア諸国にも非常に参考になるメッセージになっていくと思います。このコンセプトを突き詰めて、世界の都市づくりの発想を大きく変えていくことが出来れば、必ず日本は再び世界をリードする国になれると信じています。

朝比奈 一郎

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