
日本海中部地震から40年。県内では83人が亡くなりそのほとんどが津波による被害でした。男鹿市の海岸では遠足をしていた小学生13人が津波に巻き込まれて亡くなりました。児童の遺族は今年も海岸を訪れて追悼の祈りを捧げました。
1983年5月26日に発生した日本海中部地震から40年が経ちました。104人が死亡した地震、県内では83人が亡くなりそのほとんどが津波による被害でした。男鹿市の海岸では遠足をしていた小学生13人が津波に巻き込まれて亡くなりました。児童の遺族は今年も海岸を訪れて追悼の祈りを捧げました。
男鹿市の加茂青砂地区。津波で亡くなった旧合川南小学校の児童の慰霊碑は海が見える場所に建てられています。
地震が起きたのは児童が遠足で弁当を食べようとしていた正午前でした。
遺族や地域の人たちは毎年5月26日にこの場所で子どもたちの冥福を祈ります。
104人が死亡した日本海中部地震、県内で亡くなった人は83人でほとんどが津波の犠牲者でした。加茂青砂の海岸で津波の犠牲になったのは4年生と5年生の児童13人。
福岡史恵さんは当時9歳の長女有希子さんを津波で亡くしました。福岡さんは毎年この日、自宅近くの寺で墓参りをした後に加茂青砂を訪れます。
供えるのは、有希子さんが大好きだった、たまごのサンドイッチが入った弁当です。
長女の有希子さんは津波の被害に遭わなければいまは49歳になっていたはずでした。
自分と同じ食事のメニューを毎日有希子さんの仏前に供えているという福岡さん。
40年が経った今年も変わらず、最愛なる娘への思いを込めて追悼の祈りを捧げました。