画家にとって「幸せ」は「不幸せ」 横尾忠則「絵は『幸せの青い鳥』を探す旅」

画家にとって「幸せ」は「不幸せ」 横尾忠則「絵は『幸せの青い鳥』を探す旅」

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  • 更新日:2022/05/14
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横尾忠則

芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「幸せ」と「時間」について。

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出されるお題がだんだん試験を受けているような恐ろしいことになってきました。今週は「幸せ」と「時間」とは「何でしょうか」。これは哲学者でないとまともに答えられません。

ですから、アートの領域で考えることでいいでしょうか。

先ず「幸せ」ですが、絵は「幸せの青い鳥」を探す旅に出掛けることとどこか似ているように思います。いるかいないかわからない当てのない旅はそのまま絵の世界です。目的のない旅です。僕の場合でいうと、どこにそんな鳥がいるのか、いないのかさえわからないで出掛けるわけですから無謀の旅でもあります。旅の途上で出合う鳥が青い鳥ではなく、赤い鳥だったり、黄、緑、紫だったりして、その鳥に出合ったために絵はどんどんおかしな方に向かって、結局は不幸せの鳥だったということは、しょっちゅうです。

ここで結論から言っちゃいますが、僕はハナから「幸せ」を求めていません。もし「幸せ」に出合ったら、その鳥は僕にとっては決して「幸せ」ではないと思います。無意識に僕は「幸せ」を放棄して、「不幸せ」の鳥を探していることにフト気づきます。絵が作家にとって「幸せ」であるということは、むしろ「不幸せ」なことではないかと思います。だいたい「幸せ」に見える絵なんてほとんどつまらない絵が大半です。だから、最初から「幸せ」など放棄した方がいいのです。もし画家が「幸せ」と出合ったとしても、一瞬でその「青い鳥」は手の中から逃げてしまいます。

画家にとって「幸せ」なんて不必要なんです。そんな幻想は最初から捨てるべきです。だから画家には「幸せ」は最初から無縁です。画家が「幸せ」になったら、その画家は一巻の終わりです。だから絵が全てである僕には生まれながらに「幸せ」とは無縁の人生を宿命によって与えられているのです。というわけで「幸せ」の次の「時間」に移ります。

この時間というのも難題中の難題で、そんなもの存在しているんですかね。人間が肉体的存在であるために「生・老・病・死」なんてお釈迦さまがいったその瞬間から時間が存在することになったのと違いますか? こんなもの人間が生きているから与えられたもので、最初から死んでいれば時間なんてなかったはずです。人が生まれた瞬間から老化を始めるのは、そこに時間があるからでしょう。だからお釈迦さまが生まれる以前は時間などなかったんじゃないでしょうか。

原始人の時代なんて時間はなかったと思いますよ。昨日、今日、明日なんてそんなものはなく、たった今だけが昨日、今日、明日へと反復していただけの話だったと思いますよ。時間が存在し始めたのは、アダムとイブが出現して、そこで初めて人間に欲望というものが発見だか、発明されてしまったために時間ができたんと違いますか。そんな時間の発見が今日までずっと続いていて、時間は人類のDNAの中でその存在価値を発揮し始めたように思います。われわれは現代、時間を持続、存在させる欲望と執着の時代に生きています。

そんな時間は人類に平等に与えられてはいません。欲望と執着がはかりにかけられて、不平等に存在しているのです。欲望や執着の激しい人の時間は短いですが、それのあまりない人の時間は同じ一日でも、うんと長いです。「あっ、今日はアッという間に一日が終わってしまった」と言う人は、その人の欲望の度合いが強かったので、あれこれ考え過ぎたせいでしょ。こんな時は一日は短いでしょうね。その間ストレスが高じて、生存時間まで縮めかねません。太く短く生きるか、細く長く生きるかはその人の欲望、執着度が決めるんじゃないかな? と哲学者でも医者でもない僕が我流で考えたことです。

生きている間は物質界が支配する世界で生きているので時間の制約を受けるけれど、死んであっちへ行けば、肉体という物質が存在しません。ということは時間も存在しないように思います。時間が存在しないということは死も存在しないということです。折角、肉体を脱ぎ捨てて死んだんだから、時間の制約から解放された肉体は無になったわけで、そりゃ長生きをしますよ。時間のない世界に透明人間になって這入ったんだから、そりゃこの現世より向こうの方が自由です。

こちらの自由な人とは問題になりません。向こうでは想念だけの人間になるんだから、想像すれば何だって瞬時に手に入ります。だけどあんまり長くいるとどんどんボケて来るので、再び、こっちの世界に、肉体的苦痛を伴って、あの狭い産道を通って、肉体的存在として再生します。そして、その瞬間から時間の制約の中で、あの「幸せの青い鳥」を求めての、あくなき生存競争が始まります。

この原稿を入稿したあと、嵐山光三郎さんの「コンセント抜いたか」に、「青い鳥」が出ていてシンクロニシティに嬉しくなりました。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

※週刊朝日  2022年5月20日号

横尾忠則

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