[映画評]荻上直子監督「波紋」...アンダーコントロールではない現実を生きる女の目覚め

[映画評]荻上直子監督「波紋」...アンダーコントロールではない現実を生きる女の目覚め

  • 読売新聞
  • 更新日:2023/05/26

表面上はアンダーコントロール。でも、実は全然そうじゃない。本作は、そんな女の物語であり、私たちが生きる世界の物語。どうして毎日息苦しいのか。どうすれば解放されるのか。おかしさとスリルが同居する人間模様を通して、観客の心の経穴(ツボ)を押してくる。痛いけれど、なんだかすっとするような――。「かもめ食堂」で広く知られる荻上直子監督(脚本も)による新しい快作だ。(編集委員 恩田泰子)

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主人公・依子(筒井真理子)の家の庭の枯山水=(C)映画「波紋」フィルムパートナーズ

主人公の依子を演じる筒井真理子をはじめ、スクリーンや舞台で観客の目を奪う実力派の役者たちがそろった作品。夫役の光石研、息子を演じる磯村勇斗、依子とネガとポジのような関係にある女を演じる木野花に加え、キムラ緑子、柄本明、安藤玉恵、平岩紙、江口のり子などが出演。それぞれの演技はもちろん、登場人物がいる世界を表現する美術(安宅紀史)、それを映し出すカメラ(山本英夫)、そして音楽(井出博子)もふるっている。

依子の住まいは、たぶん東京郊外の、一軒家。彼女はその家に、かつて家族と暮らしていた。だが、夫が不意に失踪する。東日本大震災と原発事故が発生してから間もないころのことだ。

それから時を経て、家の住人は依子だけに。敷地内の様子は一変し、奇妙に整然としたものになった。庭には、普通の家には不似合いな枯山水。リビングには、祭壇と、壁を覆い尽くすようにきれいに並べられた大量の水の瓶。いつしか彼女は「緑命水」という水の力をあがめる新興宗教に頼って生きるようになっていた。

家を一歩出ればいろいろあるが、祈りさえすれば――。だが、夫が突然戻ってきたのをきっかけに、きちんと片付いていたはずの依子の日常と心は、乱れ始める。がんになったという夫を家に迎え入れつつも、己の心の中でうずまく黒い感情をどうしたものか、戸惑う。

依子ひとりの日常は、表向き整っている。宗教の集まりに行けば、誰もがやさしい顔で道徳的に正しくふるまおうとしている。でも、人も空間もきれいにラッピングされているような感じといおうか。覆いをまとって、その下にある本当の感情を押さえつけているようでもあり、何かを隠しているようでもある。そこから漂ってくるのは、私たちが生きる現実の世界でも、よくかぐにおいだ。

依子の場合、家を結界のようにして不安や動揺といった負の感情を封じている。でも、それらは決してなくなったわけではない。むしろ流れ出る場所をなくしてたまっていく。水の瓶と一緒に。そこに波紋を起こす夫や息子の恋人に受け入れがたいものを感じて悶々(もんもん)としたりもする。いっそすべてを流れ出させてしまえば楽なのに――と思うが、それは簡単なことではない。

では、どうすれば。この映画は、人が起こす波紋をユニークな形で視覚化しながら、依子の内なる自由への格闘を見せていく。誰かに寄りかかっても救いはない。きれいごとでごまかすのも、論外。覆いの下に隠れていた、それぞれの真実、不完全さを直視することから、目覚めは訪れる。

そこに至るまでの繊細なドラマを、多くの女にとって身近な現実を、2011年以降の日本を覆う空気を、荻上監督は、さりげなく大胆不敵な映像的仕掛けと演技巧者たちの体を通して描き出していく。その緩急自在な構成が鮮やか。時折、聞こえてくる手拍子が何なのか、わかった時の何ともいえない解放感と言ったら。映画という表現の力をぎゅっと凝縮して目覚めを促す一本。天気雨、喪服と赤い襦袢(じゅばん)、絶望と希望……。ちぐはぐなものをより合わせて私たちは生きていくのだと思う。

◇「波紋」=上映時間:120分/製作幹事・制作プロダクション:テレビマンユニオン/配給:ショウゲート=5月26日、東京・TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開。

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