謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る!

謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る!

  • Japaaan
  • 更新日:2021/02/23
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突然ですが、日本には「古城」がいくつあると思いますか?

まあ「古城」というとずいぶんアバウトなイメージになってしまうのですが、「古代」というとどうでしょう。

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山城の起源は7世紀の飛鳥時代に遡るのですが、この時代の山城を指して「古代山城」と呼びます。どこの地方にも城跡があると思われがちな日本でも、現存する古代山城は実は20ほどしかありません。

「日本書紀」など文献に記載された古代山城は「朝鮮式山城」、文献に記載のない山城は「神籠石山城」と分類されます。後者は「いつ・誰が・なぜ」築いたのか不明の城を指します。そしてなぜ神籠石と呼ばれるようになったのかも不明。

そのなかの日本最大の朝鮮式山城、「吉備鬼ノ城(きびきのじょう)」はとっておきの謎だらけ。

鬼退治で有名な「桃太郎伝説」に彩られた城で、「日本の100名城」にも選ばれているのですが、実はこの城のことはどの史書にも記されていないのです。

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水門

発掘された土塁は全長2.8キロで山頂周囲をぐるりとめぐり、排水目的の水門が6か所、食糧貯蔵庫や鍛冶場と思しき跡も発掘されています。

城壁は「版築土塁」といって、簡単にいうと板で枠を作り、その中に土を盛り一層ずつ杵で突き固めていく工法です。これは都城や寺院の建物の基壇にも用いられており、高い技術なのだとか。

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謎の古墳大国、吉備王国と百済の皇子亡命説

そもそも城がある吉備の国の自体が、「こうもり塚古墳」など巨石古墳が多く残る謎の王国。5、6世紀ごろには巨石文化が熟し、もうその頃には製鉄技術が盛んだったといわれています。その製鉄技術を持ち込んだのが、朝鮮から渡ってきた百済の民族。

岡山に伝わる「桃太郎」のベースになった伝説では、〈「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の皇子「温羅」が日本に亡命してきて、この地に城を築き先進技術を広めて力を強めた。しかし近隣から婦女子や物資を奪うなど暴挙を働いたため、大和朝廷から「吉備津彦」が派遣されて滅ぼした〉とされています。

吉備津彦命は『古事記』『日本書紀』に登場する皇族で、第七代孝霊天皇の皇子。

しかし、前述した「白村江の戦い」は7世紀。これは大和朝廷が、百済に救援を要請されて援軍を出したにも関わらず、敗れてしまった戦いです。

その百済の皇子「温羅」がわざわざ同盟国の日本に亡命して、悪さを働いたというのは少し理解しがたい行いに感じます。なので、唐・新羅連合軍が次は日本に戦を仕掛けるのではないかと恐れた大和朝廷が、吉備王国に命じて城を築かせたともいう説が有力です。

鬼の「温羅」は実在したのか?

そうだとしたら、なぜ温羅が悪者とされた伝説が生まれたのでしょうか。
「鬼ノ城」の音に秘密がありそうです。
そもそも「き」とは古代の城柵の「柵(き)」のこと。垣や堀など外敵を防ぐための構築物を「柵(き)」と称しました。
そして城の城郭線がぐるりと周囲をめぐるような形を朝鮮語で「ウル」といいます。
ということはウルが「温羅」になり、「柵(き)の城」が「鬼ノ城」となった可能性も。

ちなみに鬼ノ城の出土品から推定されるのは5~7世紀ごろの築城とのこと。

吉備王国は渡来人が来る前から豊かな経済力と強力な首長を持つ国で、『日本書紀』では大和朝廷が政略結婚を用いて吉備支配を目論む物語が残っていることから、7世紀の白村江の戦いは関係なく、吉備王国が大和朝廷からの防衛拠点として朝鮮人の協力のもと築いた城と考えるのが自然かもしれません。

吉備津彦とは?

ではなぜ吉備王国の「吉備」という名を持つ吉備津彦が温羅を滅ぼした話になっているのか。

伝説を更に深く読み込むと、
〈温羅は異国から空を飛びやってきて吉備に降り立ち、この地を治め吉備冠者とも呼ばれていた。4.2メートルの長身で目は獣のように光り、ひげや髪は赤くぼうぼうと燃えさかり、変幻自在に姿を変えることができた。朝廷は五十狭芹彦という勇者を使わしたが互いの武器が空中でことごとくぶつかり、なかなか決着がつかなかったが最終的に温羅は降伏し、吉備冠者という名を献上したが、芹彦は許さず温羅の首をはねる。芹彦は吉備冠者を名乗りこの地を治めた〉となっています。

もともとは吉備津彦は五十狭芹彦という者だったということですね。

しかしいくら退治したとはいえ、悪行をふるった者の名前を名乗りたいものでしょうか?
吉備津彦は五十狭芹彦ではなく、吉備王国の首長の名だったのではという説もあります。

以上のことから桃太郎伝説は、吉備王国の瓦解と支配を正当化するための、大和朝廷の作り話だった可能性が高いと思われます。

吉備王国が大和朝廷の警戒のために作った城は、渡来した外国人「温羅」の悪さの拠点としてすり替え、吉備王国の有力者だった吉備真備は、大和朝廷からの使者「五十狭芹彦」で天皇家の血筋を引くもの、とすり替えた。

文献は全くありませんのであくまで推測でしかありませんが、このように自由に想像するのも歴史のだいご味かもしれません。

ちなみに桃太郎伝説の端緒となっている「吉備津神社」は、その名の通り「吉備津彦」を祀った神社で、これまた創建ははっきりとせず本殿は全国唯一の形状という神社。「比翼入母屋造り」または「吉備津造」と呼ばれ、屋根が二つ同じ高さに並んで繋がっています。

そして廻廊には「御釜殿」と呼ばれる建物があり、なんとその釜の下には退治した鬼の首が埋まっているとか。そのうえで湯を沸かして音を聞き、自分で「いい音」と感じれば吉、「良くない音」と感じれば凶ということですが、鬼の首が鳴くから共鳴すると考えると、ちょっと恐ろしいですね。

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参考文献:『図解雑学 古事記と日本書紀』『超古代七大王国の謎
写真:ACフォトより

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