「総理大臣になったら何をするんですか?」人気急上昇中の議員の「答え」

「総理大臣になったら何をするんですか?」人気急上昇中の議員の「答え」

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/06/10
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永田町でのアダ名は「修行僧」。地盤も看板もカバンもなく、無名で異質の存在なのに、一部の層から熱烈な支持を集める野党議員がいる。立憲民主党の小川淳也衆議院議員だ。小川議員は、日本の未来について何を考えているのか?

現代新書の新刊『本当に君は総理大臣になれないのか』から、小川議員への「ガチンコ」インタビューを、全4回にわたって特別公開する。(聞き手:現代新書編集部)

いざ、真剣勝負

──はじめに一つだけ確認しておきます。政治家の本にありがちな、馴れ合い、お世辞やお追従満載のインタビュー、一方的な政策紹介本にするつもりは一切ありません。小川さんにとって答えづらいところもあるかもしれませんが、あとで活字になったゲラを見て「ここは都合が悪いからカットしてほしい」と言われてもお断りします。つまり完全な「ガチンコ」の取材なのですが、そのような条件でもよろしいですか?

小川 結構です。すべておまかせします。

──ありがとうございます。それでは始めましょう。意地の悪い質問に聞こえたらすみません。

このインタビューで明らかにしたいこと、最大の目的は、「小川さんは総理大臣になったら何をするんですか?」をはっきりさせることだと思っています。

約17年間にわたって、小川さんの国政への初出馬からの選挙活動を追い続けたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(大島新監督 2020年)が話題になりましたが、ここでは「では、総理になったら何をしますか」ということをストレートに聞きたい。

もちろん、小川さんが2014年に『日本改革原案』(光文社刊)という政策提言の書を出したこと、その本の中で「生涯現役」「列島開放」「環境革命」「国際社会の変革」という4つの構想を軸に詳細な政策提言を行っていることは知っています。

ということで、よろしくお願いいたします。

右肩上がりの時代に作られた「国の形」はもはや維持できない

小川 具体的な政策提言についてお話しする前に、まずは、私がなぜそのような考えに至ったかについて少し説明させてください。それには『日本改革原案』の中でも使った2枚の図を見ながらお話しするのが一番いいと思います。

(両方の図を指し示しながら)いまの日本の最大の問題は「持続可能性の危機」にあります。日本が今後、いまの状態を維持することはできません。それはなぜなのかを一言で申し上げれば人口問題です。大事なポイントは2つ。第一に、日本の人口が2008年に1億2808万人というピークを迎えた後から減少に転じ、そのペースが加速している点です(図1)。そして第二に、日本の人口の年齢構成・人口構造が激変している点です(図2)。

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【図1】日本人口の長期推移

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【図2】人口構成の激変

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図1を見れば一目瞭然ですが、われわれが当たり前だと思っていた「右肩上がりの時代」というのは、日本の長い歴史からみれば、実はきわめてレアな時代なのです。人口が爆発して急激に増えることで、それに応じて生産力も上がり、高い経済成長を遂げたのも、明治維新から2008年までの、せいぜい140年足らずの出来事にすぎません。高度成長の時代は、歴史的にみればわずかなスパンにすぎない。

でも、みなさんがご承知のとおり、いまはそういう時代ではない。人間の数が減り続け、低成長が続いている。だから、過去の右肩上がりの時代に作られた道路・住宅・橋・上下水道・病院・鉄道といった社会の基礎を成す大量のインフラ(インフラストラクチャー=社会を構成する基盤)をこのまま維持できるのかというとできないし、1200兆円もある政府債務や年金の負担も人口減少の時代にはますます国民の重荷になっていくのは自明なんです。

「昨日よりも今日はよくなる」

「明日のほうが今日よりも人が増えるし、経済も豊かで賃金も上昇する」

そういった意識はもはや幻想で、その幻想を維持できなくなってきたと実際に多くの方々が考えている。それを、どうやったらこのまま維持できるんだろうか、なんとかして右肩上がりの時代を取り戻せるのではないかと、国全体が試行錯誤を続けてきたのがこの30年間、いわゆる「失われた30年」だと思っています。

これはエネルギーという観点からみても同様のことが言えます。石炭や石油のような化石燃料、あるいは原子力発電所などに頼らずに人生と社会が維持されたのは江戸時代が最後です。それが明治以降、今日に至るまで、人間は化石燃料や原発のようなエネルギーを際限なく使い続け、エネルギーの消費量を無限大に増やし続けてきた。エネルギー効率を上げれば上げるほど、持続可能性は脆弱になる。

つまり、大量のエネルギーを消費しなかった江戸時代以前は、平穏な持続可能性を保っていた時代であって、いっぽう明治以降から近年までの人口急増時代は歴史全体から言えば、持続可能性の大きなリスクを伴った時代だということです。

日本に「持続可能性」を取り戻す

──ちょっと待ってください。それは懐古主義というか、一種の理想論じゃありませんか?いまさら江戸時代の暮らしになんか戻れるわけがないですよ。

小川 私は、江戸時代の生活に戻ろうと言っているわけではありません。ただ、これからの右肩下がりの時代にあっては、エネルギーも持続可能性という観点、たとえば太陽光の活用や、あるいは化石燃料・原発からの確実な卒業といった、持続可能性をはかる政策の方向性が徹底的に議論されるべきです。環境問題などもすべてはそこに端を発しています。欧州や中国で、ガソリン車の販売を規制し、電気自動車やハイブリッド車のような車の割合を増やす方向に舵を切り始めていますよね。

──……なるほど。そういう意味であればよくわかります。

小川 そこであらためて図2をご覧ください。人口が減るだけでも大問題なのに、年齢構成・人口構造が大きく変わっています。1955年にはピラミッド型の三角形、若い人の割合が高かったのが、2055年には高齢者が多数を占める逆ピラミッド型、逆三角形に移行します。つまり、通常の三角形の時代にあわせて設計された日本の社会インフラや年金をはじめとする社会保障制度は、これからの超高齢社会を支えきれなくなるのは自明です。若い人が少なくなるのですから当たり前の話です。

【図2】人口構成の激変(再掲)

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ということは、社会保障を負担するのは現役世代だけではなくて全世代で分かち合うという形にしなければならないし、給付だって、もはや高齢者一律とはならない。本当に必要なところに過不足なく届けるという大きな社会改革がどうしても必要になります。

高度成長と賃金上昇が当たり前の前提だった時代から、低成長と賃金の低下が常態となるような時代に、こうした大きな改革を社会のすみずみまで、持続可能性を取り戻すレベルまで断行しなければならない。そしてそのためには、「経済はなんとか成長させる、株価も賃金も上げるから、あとは自己責任で生きてほしい」というスタンスの現状の社会を「教育や介護や福祉が必要な人には無償に近い形で利用できるように社会設計を大きく見直すから、そのための国民負担についてはきちんと議論させてほしい」という政治・社会に移行しなくちゃならない。

その点をまずは強調しておきたいです。

政治家の仕事も大きく変わっていく

──でも、たしか、今の政府も「全世代型社会保障」というスローガンを掲げていますよね。今の小川さんの話とだいたい同じ方向を向いているのではないですか?日本は社会制度やインフラを再設計しないともたないという点については、そのとおりかもしれないとは思いますけど、自民党だって馬鹿ではないので、それが必要だと判断すれば改革の方向に舵を切るのではないでしょうか?

小川 うーん、その(自民党が大改革を行う)可能性もゼロではないと思いますが、私は、今の自民党・政権に、その覚悟を感じるかと言ったら……。

──ちょっとストップ!今の国民は国会に辟易しています。与党と野党が互いに悪口ばっかり言い合って、肝心の政策があまり議論されていないように見えるからです。ですから、今回のインタビューも与党や政府への批判はあまりなさらないほうが……。いや、こちらの腰が引けているわけではないのですが。

小川 今の政権を誹謗しているわけではありません。ただ、活字になると悪口のように映るという理屈もわかります。それでは、こういう言い方はどうでしょうか。

通常、「日本の政治」といったときに連想されるのは、戦後の成長期の政治ですよね。戦後の成長期──富が拡大していくような時代の政治家の仕事を、一言で表現するならばそれは「富の再分配」なんですね。僕も自治省(現総務省)の官僚時代に、この時代の政治に少し触れていますが、この時代の政治家や官僚は、とにかく毎年、前年よりもいくら予算を増やすとか、増やせるかということばかり議論しているんです。つまり、必ず税収は前年よりも多いという前提に立つ。それが当たり前で、それに反する議論はできない。

──そういうものなんですか?

小川 そういうものだったんです。当時はね。ここでちょっと想像してほしいのですが、政治家が富の再分配をしてくれる存在だったら、国民の側から言えば、政治家は「飴玉をくれる相手」になるわけです。そうすると、他人から飴玉をもらうときに、その飴玉をくれる人が信用できる人だとか、どれくらい自分たちのことを理解してくれているとか、そういうことは、もらう側からすれば、はっきり言ってどうでもいいことでしょう?

──……そうですね。そんなことは考えずに、たぶん私も喜んで飴玉をもらいますね。

小川 飴はおいしければいい、甘ければいい、っていうことになりますよね。ということは、やはりこの時代の政治は結果として利権の分配が基本モデルになるんです。その代表が田中角栄さんでした。角栄さんの地元の新潟は"飴玉が特大"でした。日本海側の地方都市では全国のどこよりも早く新幹線が通り、一般道路はいまでも高速道路のように整備されています。あれが昭和の政治の象徴的なモデルであり、体質だったと思います。

ところが、高度成長の時代が終わり、低成長・下り坂の時代に入ると、政治家の仕事が根本的に変わってくることになります。国民に飴玉をあげるのではなくて、逆に、国民に向かって「あなたが持っている飴玉を少しずつ国に渡してください」「いままで国からもらってきた飴玉を少し返してください」とお願いするのが大事な仕事になるんです。「いままでこれだけのご負担をいただいておりましたが、この国を持続させるために、今後はさらなるご負担をお願いいたします」と国民の大多数を説得しなければならない。

この「政治家の仕事の変質」は、とても重要な点だと思います。

国民の側からすれば、それまで飴玉をくれた同じ相手から、どうか飴玉をいま少し提供してほしいと言われることになる。そのときに、なぜそんなことを言うのか、我々から飴玉を取り上げようとするアンタはいったい何者なんだと、政治家は厳しく問いただされることになるわけです。昭和の政治は「モノをくれる政治」です。一方、今日のような下り坂の時代の政治は、信頼と引き換えに、あるいは、公共空間を広げていくという抽象的メリットと引き換えに「国民に負担をお願いする政治」になる。

だけど、この30年、バブル崩壊から30年、残念ながら政治はその質的変換を果たすことができずに右往左往してきました。だから問題を明確にできていない。おそらく政治家の役割が変わるという認識もしていない。むしろ、どうやったら昭和の時代のような上昇曲線をもう一度描くことができるのかに一生懸命になってきた。アベノミクスなどもその最後の徒花だと思います。強い経済を、成長を取り戻せ、日本を取り戻せ、という号令です。でも実際にやったことは金融緩和だけでしたけど。

(次回に続く)

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