打者の実力を測る一つの指標「敬遠四球」長嶋の通算記録は...

打者の実力を測る一つの指標「敬遠四球」長嶋の通算記録は...

  • 幻冬舎ゴールドライフオンライン
  • 更新日:2022/08/06
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【前回の記事を読む】「4番打者の価値を考えるなら、“記憶の長嶋”だけではないことは明らかである」

第3章 シーズンの記録から見た長嶋②

長嶋は3位、一位は川上

ここで、単純な数値比較ではなくその年のリーグ全体の状況等を考慮(?)した打率の比較検討をしてみよう。といっても私ごときが出来るはずはない。この試みはパ・リーグ記録部員、また報知新聞の記録記者であった宇佐美徹也氏が行っている。

シーズンに3割打者が一人しかいないシーズンと15人も3割がいるシーズンとでは、普通に考えれば3割の価値が違う。宇佐美氏はそういった点を考慮した修正公式を考え、表1を作成している。(※データは少し古くなるが、既に現役を終えた打者の数値であることからかなり参考になる。記録は1983年シーズン終了時の数値)

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写真を拡大[表1]シーズン状況を考慮した3割打者の評価

その選手の実働期間中のリーグ打率が高いと、この修正値結果は下がることとなり、逆に低いと修正値は高くなる。あらためて表6をよく見てほしい。実働期間中のリーグ打率が2割3分台は川上、長嶋のみである。いわゆる、3割の価値が他の打者より高いと言える。この数式によって、当時の通算打率3割以上(打数4000以上)打者11名について、その修正内容を見てみよう。

川上、与那嶺は左打者である。右打者では長嶋は(この時点では)一位である。張本は首位打者7回、3割16回を記録している文字通りの安打製造機であるが、修正打率は長嶋を下回っている。

長嶋が1959と71年に記録したリーグ一人3割のときの修正打率は次の通りになる。

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[表2]長嶋の1959年・1971年における修正打率

両年ともリーグ打率0.230と低く3割打者が一人しかなかったのはうなずける。3割の価値が違うのは当然であろう(因みに両リーグに分かれてから、年度のリーグ打率が0.230を下回った年はセ・リーグは2回だけ、パ・リーグは一度もなしである。※1950年〜1986年の間)。

表面的な数値だけで判断、評価すべきでないことを改めて感じさせる数値である。では右打者通算打率0.311の落合博満と修正値においてどうだろうか。落合リーグ在籍期間中のリーグ打率はおそらく長嶋時代より高いと思われる。長嶋がおそらく上位に来ると思われる。

因みに参考値になるが落合のロッテ時代の数値を見てみよう(幸い宇佐美徹也氏が1986年終了時まで追加算出していたので幸い落合ロッテ時代まで見ることが出来た)。

落合のロッテ時代(1979〜1986)の通算打率は0.332でさすがに高い。しかしリーグ全体の期間中打率は0.267である。これまた、かなり高い。それまでの日本プロ野球全体の打率は0.245より少し上昇し0.246位であろう。

こうして計算すると全盛時代であるロッテ時代の落合の修正打率は0.306となる。多少の誤差はあるとしてもこの程度になる。もう一度整理すると三冠王を3度獲得したロッテ時代の落合の通算打率0.332→0.306となる。前出の若松も0.323から0.309に落ちているから妥当な数値だろう。

確かにこれは一つの見方であるが、長嶋のすごさを推して知るべしであろう。

大打者の指標、敬遠四球

次に「敬遠四球」の記録をのぞいてみよう。

元広島の山本浩二氏は試合解説をしているとき、アナウンサーに「打者の実力をみるときの一番大きな指標は何か?」と問われ、「敬遠四球」の数だと答えている。

なお、敬遠四球が通常の四球と区別されたのは1955年からである(というより、それまでは、故意に四球を与える行為そのものがなかった)。そのため川上は当時敬遠四球34個の日本記録保持者でありながら、通算敬遠四球数は70個にとどまっている。山内の場合も、最初の3年間は記録になかった期間がある。

通算記録で200個以上の打者は王、張本、長嶋の3名しかいない(表3)。山本浩二氏が言うように、打者の価値を裏づける大きな一つの指標と言えようか。

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写真を拡大[表3]通算敬遠四球ランキング

しかし、入団から4年で99個(100個ならば一つの記録として残ったであろう。残念!)の長嶋が、結果通算205個に終わっている。入団5年目は7個だった。これは、この年初めて長嶋が無冠に終わったこともあるが、一番大きな理由は”王の大成長”である。この年から、王(入団4年目)は「打撃開眼」し38本で本塁打王になっている。3番、4番の打順を分け合っていた両者は、敬遠四球も分け合っていたのであろう。

もし、ダントツの王がいなかったら、長嶋の敬遠四球の数は300個以上になっていたと思う。逆に王も500個以上はいったと思う。なんせ両者合わせての敬遠四球数は632個に上る。

ちなみに張本と3番、4番を組んだ大杉勝男の敬遠数は92個で両者の合計は320個、ONの半分である。しかし、張本は高卒である。入団4年目までの敬遠四球は46個で、さすがと言えよう。

後に種々の数値で述べることになるが、張本の他の記録をみると特徴がある。シーズンごとにみると打率やそれにつながる部分はさすがといえるが、それ以外は特に目立ったものがない。しかし、トータルするとかなりの数値となる。たゆまぬ努力をコツコツコツコツと継続してきたたまものであろう。

三ツ森 正人

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