27歳の時に某業界新聞に転職した須藤信人さん(仮名)。もともとマスコミ志望の須藤さんでしたが、新卒でエントリーした新聞社も出版社も全部落ちてしまったため、靴の専門ショップで販売員をしていました。でもどうしてもマスコミ志望を諦めきれなかった須藤さんは、求人サイトで見つけた業界新聞社の記者募集に応募すると、合格。念願だった記者生活をスタートしたのですが、その会社にはとんでもない慣習があったのです。

>>レストランで「3番」と聞こえてきたら…?飲食業界のウラ用語
業務の半分以上が囲碁!上司が指南
「入社早々、驚きました。勤務時間中に全員が囲碁をしていたんです。取材先のお偉方と囲碁をできるように上司が指南していました」。

※画像はイメージです(以下同)
須藤さんが入社した会員制の業界新聞社は、社員100名。入社して分かったのは、女性がお茶くみ、男性は先輩の飲み会の誘いを断れないなど、古い体質の社風でした。クライアントは大手メーカーから中小の町工場まで幅広く、業界の体質は年功序列。20代の須藤さんは取材のたびにそうした古い体質に戸惑うことが多かったそうです。
「給料も大卒の新入社員の手取りより安かったです。残業がないので、記者の仕事を覚えたら他の媒体でライターの副業をしようと、実績作りという目標を作りました」
記者としての修業を積むつもりで入社した須藤さん。ところがいつのまにか職場では業務の半分以上が囲碁になっていたのです。
すぐに辞める新入社員が続出
「僕は多少、囲碁ができるんですが、できない新入社員に、上司が毎日教えるんです。記者より囲碁の研修が時間的にも多いと感じるのでしょう、嫌になってすぐに辞める新入社員が続出して、残ったのは僕を入れて3人でした」。

須藤さんが驚いたのは、仕事量が少ないため空いた時間に上司と一対一で対局する形が社内に浸透していたこと。編集部のあちらこちらで対局する光景が見られ、「うーん、そうじゃないんだ。まー、やってみなさい」という上司の唸るような指導の声が響いたり、中には悠長に独り言のようにぶつぶつ言う上司もいて、須藤さんは原稿に集中できないこともしばしばだったそうです。
「夕方の終業時間には、ほぼ全員退社するので、昼間の空き時間を囲碁に費やしていました。知らない人から見ると、囲碁クラブだと思うでしょう」
編集長に「なぜ会社で囲碁をやるようになったのか」尋ねた

毎日囲碁の対局をすることが仕事の一環になっていることに嫌気がさした23歳の佐藤という同僚が、編集長に「なぜ会社で囲碁をやるようになったのか」尋ねたことがありました。
すると40代後半の編集長が、「新人の頃からすでに社内で囲碁が恒例になっていた。社史がないので明確にわからないが、昭和の時代からの伝統」と答えたので、須藤さんは会社の歴史と共に囲碁が存在することを受け入れたそうですが、大卒新入社員の佐藤はそれでも釈然としない表情だったそうです。
囲碁は業界の組織の集会場所や記者クラブの部屋や会議室で行われていました。記者たちは取材の合間に、暇な管理職は毎日昼から午後にかけて、囲碁を通じて会員企業との親睦を深めることが目的なのです。そのため新聞社主催の囲碁大会はなかったそうです。
囲碁ができないと記者クラブでも孤立してしまう
「囲碁ができないと記者クラブでも孤立してしまうため、記者としての居場所作りのための囲碁でした。会社の慣例に従わないと居場所が厳しくなります。でも心の中では、囲碁をやるために記者になったわけじゃないとくすぶったこともありましたね。現に囲碁が嫌で取材を装って外出する記者もいたり、うつ状態になって出社拒否して退社した人もいました。同僚の佐藤も、出社拒否の一歩手前までの精神状態でした」
そしてとうとう気持ちが爆発してしまうことが起こったのです。
わざと負けたとバレないようにする巧妙なテクニック
「忘年会の季節が近づいた頃でした。来年もよろしくという意味で、取材よりクライアントと囲碁を打つ機会が増え、毎日朝から夕方まで打っていました。しかもクライアントファースト主義のため、接待ゴルフのように手を抜いてわざと勝たせるのが鉄則になっていました。わざと負けたとバレないように巧妙なテクニックの研修が、二日間の日程で行われたのです」
相手の力に応じて臨機応変に手を抜いて勝たせる。その技を繰り返しレクチャーされた須藤さんら新入社員3人は、週明けに早速クライアントと対戦することになります。上司が傍で見守る中、研修の成果を披露すべき舞台で、須藤さんはふと「こんなイカサマをやるために記者になったんじゃない。正義とは何かを追求する社会派ライターになりたかったんじゃないか」と初志を思い出したのです。
雷に打たれたように「ここは僕の居場所じゃない」と悟る

「すると突然次の一手が打てなくなりました。指が動かなくなったんです。ここは僕の居場所じゃないと雷に打たれたように悟りました」
須藤さんは退席する前に上司に退職を伝えました。同僚の佐藤はその日の朝に電話で会社に退職を告げたそうです。残りの一人はしばらく在籍したそうですが、転職して営業マンに転じ、囲碁を営業スキルの一環として生かしているそうです。
「わざと負けたとバレないように巧妙に仕向ける。このテクニックは営業マンにとって役立つかもしれないけど、記者には意味がないですよ」。
須藤さんはその後、報道関係のweb版に関わりながら、記者としてのスキルアップを図っています。業界新聞社での経験が将来の展望を考える上で役にたったと前向きに捉えながら。
<TEXT/夏目かをる イラスト/カツオ(@TAMATAMA_GOLDEN)>
あわせて読みたい
>>「笑顔禁止!筋トレ禁止!」地方職員の父親が決めた家族ルールがエグすぎる|変なルール
>>休日にも届く上司からのLINEで「うつ病寸前」に。25歳メーカー社員の悩み
【夏目かをる】
コラムニスト、作家。2万人のワーキングウーマン取材をもとに恋愛&婚活&結婚をテーマに執筆。難病克服後に医療ライターとしても活動。『週刊朝日』『日刊ゲンダイ』「DANRO」「現代ビジネス」などで執筆。Twitter:@7moonr
bizSPA!フレッシュ