
「四代目猿之助」襲名会見での香川照之(左はし)と市川猿之助(右はし)。
警視庁は24日、歌舞伎俳優の市川猿之助(47)を都内の施設に呼び、事情聴取を行った。両親が向精神薬中毒の疑いで死亡した経緯について詳しく話を聞いたとみられる。悲惨な「一家心中騒動」にはいまだ多くの謎が残るが、改めて猿之助の交友関係を取材すると、意外な人間模様が浮かび上がってきた。特に従兄弟で同じ歌舞伎役者でもある「香川照之」との微妙な関係が見え隠れする。
【写真】自宅ガレージの車に手向けられていた“謎”の花束* * *
猿之助は都内のある居酒屋を行きつけの店にしていた。そこでは、彼の華麗な人脈がみてとれる。猿之助の知人が言う。
「その店は、もともと20年くらい前からリリー・フランキーさんが1人で飲んでいて、彼が“隠れ家”にしている飲み屋だったんです。そのうち、リリーさんが福山雅治さん、大泉洋さんらを呼んで、みんなでワイワイと飲むようになった。猿之助さんは福山さんが連れてきたと記憶しています」
猿之助は日本酒をキープしていて、それをおちょこで飲んでいたという。
「猿之助さんは学生時代からの福山雅治さんのファンで、福山さんがDJを務めるラジオ番組を聞いて、何通も手紙を書き送っていたそうです。その後、テレビドラマでも共演するようになり、公私ともに仲良くなったようですね」(同)
猿之助が俳優の香川照之(57)を居酒屋に呼ぶことも、しばしばだった。
「猿之助さんが先に店にいて、香川さんに電話をかけ、『今日はみんないるけどどう?』と言って、香川さんが遅れてやって来るのを見かけましたね。猿之助さんは一人でしゃべりまくって、いつも座の盛り上げ役。香川さんとも仲良く飲んでいましたよ」
同じ澤瀉屋(おもだかや)で市川中車を襲名した香川と、その従兄弟にあたる四代目猿之助は、私生活でも関係が深かったようだ。だが、一門でのパワーバランスや歌舞伎役者としてのプライドなども絡み複雑な関係だったとも言われ、「女性セブン」(23年6月8日号)は2人の間に長年の確執があったと報じている。
歌舞伎に詳しい著述家の米原範彦氏は2人の関係をこう語る。
「香川はずっと歌舞伎界を離れていたので、歌舞伎の世界に戻っても四代目の猿之助を立てるような立場になっていました」
それを象徴する出来事があった。
俳優としての香川は2013年に始まったドラマ「半沢直樹」シリーズ(TBS系)で、堺雅人演じる主人公の宿敵を怪演して大ブレークした。ある新聞社が正月特集で「半沢直樹」でブレークした香川を大きく扱おうとしたところ、突如、キャンセルになったという。
「澤瀉屋のリーダーの猿之助をさしおいて、新聞の正月版に大々的に載ることはできないと判断されたようです。香川は何かと、猿之助に気を使わざるを得ない存在なんだと感じました」(メディア関係者)
香川は、三代目猿之助(現・二代目猿翁)と浜木綿子の息子。本来なら香川が四代目猿之助を名乗っても不思議のない家柄ではあったが、香川が3歳の時、両親が離婚。三代目猿之助は00年に舞踊家の藤間紫と再婚したことで、香川とは長い間、断絶関係が続いた。
「三代目猿之助は浜と香川のことは“過去のこと”として完全に切り捨てた。三代目猿之助は香川に対し、『あなたは息子ではありません。私はあなたの父でもない。今後、2度と会うことはありません』と言ったという有名なエピソードもありました。だが、それでも香川はどうしても歌舞伎の世界に戻りたかった。その結果、香川は夫婦間の軋轢が生じて離婚までしたのですが、そのとき、歌舞伎界に戻れるように熱心にサポートしたのが四代目猿之助だったのです」(米原氏)
昨年夏、香川は銀座のクラブホステスの髪を引っ張るなどのスキャンダルを「デイリー新潮」に報じられ、テレビドラマやCMを次々に降板することとなった。その後、香川は市川中車として歌舞伎から人生の再出発を図ったが、その際にサポートしたのも猿之助だったという。
結局、昨年12月に香川は十三代目市川團十郎白猿襲名披露の舞台に「市川中車」として出演したことで、俳優復帰を果たした。
「市川團十郎の弟子筋が市川猿之助になります。それゆえ、團十郎に引っ張り上げてもらうにしても、猿之助を飛び越えることはできない。香川はいつも猿之助に気を使う立場だったのです。そんな状態のなかで、猿之助が事件を起こし、その代役として香川の長男の團子(だんこ)に光が当たるというのは、おどろおどろしい因果を感じます」(米原氏)
事件が起きた18日は、明治座で「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の真っただ中だった。猿之助は休演し、18日の昼の部はさすがに休演となったが、夜の部は二代目中村錦之助の長男・中村隼人(29)が務めた。翌19日には代役として、昼の部は香川の長男・市川團子(19)が務めた。
團子はわずか1日の稽古で本番に臨んだようだが、堂々たる芝居を披露し、スタンディングオベーションも巻き起こったという。
「團子は判官びいきの日本人の琴線に触れたのかもしれません」(演芸評論家の山本健一氏)
團子、隼人という若手のホープが澤瀉屋のピンチを救った形となった。米原氏はこう語る。
「歌舞伎という芸能にはしたたかさがある。猿之助がいなくても、必ずその代役が現れる。團子はまだそれほど稽古を積んでないと思いますが、驚くべき吸収力です。隼人も脚光を浴びて、きれいな顔をしていることも世に知られました。猿之助も好きだったけど、隼人も團子もいいよねというファンも増えたはずです。歌舞伎ファンではなかった人にも存在が知れ渡り、新しいファン層を広げる結果になったと思います」
歌舞伎界に詳しい早稲田大学の児玉竜一教授は、團子と隼人をこう評価する。
「團子と隼人の2人は見事に代役を演じました。隼人は間違いなく、猿之助が場所と役を与えて、育てた一人と言えるでしょう。猿之助が若手を育てたことが実を結んだことは、悲しい出来事が続いたなかで、ひとつの希望になったとは思います。今月の明治座のピンチを乗り切ったとしても、ずっと安泰ではありません。ここから先は、若手の人たちの自覚と精進次第だと思います」
はたして、澤瀉屋の未来やいかに。
(AERA dot.編集部・上田耕司)
上田耕司