1軍ではダメでも2軍で“無双” ファームで「えげつない成績」を残した助っ人たち

1軍ではダメでも2軍で“無双” ファームで「えげつない成績」を残した助っ人たち

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  • 更新日:2021/05/01
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2軍では大活躍した西武のポール(OP写真通信社)

2軍で“無双”と呼ぶにふさわしいダントツの成績を挙げた助っ人といえば、真っ先にコーリー・ポールの名が挙がる。

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1999年6月、西武の第4の助っ人として獲得期限ギリギリに緊急入団。これには次のような事情があった。

この年の西武は、主砲のドミンゴ・マルティネスを「守れない」という理由で解雇し、守れる内野手のアーキー・シアンフロッコと大砲候補のグレッグ・ブロッサ―を獲得したが、揃って打撃不振。緊急補強で5月に来日した第3の助っ人、アラン・ジンターも、デビュー戦で満塁弾を放ったものの、以後じり貧となり、6月には打率を1割台まで落としてしまう。

主軸を期待された助っ人勢が3人ともこのていたらくでは、スーパー・ルーキー・松坂大輔の援護もままならない。そんな切羽詰まった事情から、メジャー経験はないが、台湾・台北太陽で6月まで10本塁打を記録したポールにお呼びがかかったというしだい。

6月25日のダイエー戦(西武ドーム)、6番レフトでスタメン出場したポールは、2回に永井智浩から史上39人目の初打席初本塁打の鮮烈デビュー。同年は59試合に出場し、打率2割5分7厘、12本塁打、29打点と、そこそこの成績を残した。

ところが、翌00年、現役メジャーのトニー・フェルナンデスとレジー・ジェファーソンが入団すると、ポールは外国人枠から押し出され、開幕から不遇の2軍暮らしが続く。ジェファーソンの不振やフェルナンデスの故障時にチャンスを得たものの、1軍出場47試合にとどまった。

そのうっ憤を晴らすかのように、ポールは2軍で打率3割5分3厘、21本塁打、69打点と格の違いを見せ、77年の庄司智久(巨人)以来、史上2人目のイースタン三冠王に輝いた。

シーズン後、フェルナンデスはメジャー復帰、ジェファーソンは自由契約となり、日本にも慣れた3年目こそ、いよいよチャンス到来と思われたが、皮肉なことに、待っていたのは、さらなる不運だった。

翌01年はアレックス・カブレラとスコット・マクレーンの長距離砲2人が入団。カブレラは49本塁打、124打点、マクレーンは39本塁打、87打点と“ツイン・バズーカ”を形成したことから、ポールはまったく1軍で出番がなく、2軍で飼い殺しのままシーズンを終えた。

その2軍で、打率3割5分2厘、イースタンタイの27本塁打、イースタン新の95打点と無双し、ファーム史上初の2年連続三冠王を獲得したが、シーズンが終わると、ツイン・バズーカのとばっちりを食う形であっさりクビに。他球団からも声がかからず、寂しく帰国した。

翌02年は韓国の現代でプレーしたが、打率2割8分、18本塁打、64打点と4番の期待に応えるほど活躍できず、たった1年で退団となった。

ちなみに西武は、88年に38本塁打、90打点の好成績でリーグ優勝と日本一に貢献したタイラー・リー・バークレオも、翌89年は、途中入団のオレステス・デストラーデに押し出される形で2軍降格。イースタンで2年連続16本塁打を放ち、90年に本塁打王を獲得した。

また、ポールを2軍に追いやったマクレーンも04年4月末、故障のカブレラの代役として再入団をはたしたが、まったく活躍できず、カブレラ復帰後は2軍へ。しかし、イースタンでは、チームメートの中村剛也の20本塁打を上回る23本塁打を記録し、本塁打王を獲得。バークレオ、ポール、マクレーンの助っ人トリオで、計4度のイースタン本塁打王というのも、西武ならではの珍記録だ。

88年に“呂(ルー)旋風”を巻き起こし、オールスターにも出場した呂明賜(巨人)も外国人枠に泣いた一人。翌89年からの3年間はほとんど2軍暮らしだったが、89年にイースタンで打率3割3分3厘、15本塁打、57打点という宝の持ち腐れのような成績を残している。

“中田翔(日本ハム)の三冠王を阻んだ男”としてコアなファンの記憶に残っているのが、09年に育成選手としてロッテに入団したファン・カルロス・ムニスだ。

同年、イースタンで打率3割4分2厘、15本塁打、57打点の好成績。この結果、打率3割2分6厘、イースタン新の30本塁打、同タイの95打点と大暴れしたプロ2年目の中田が三冠王を逃す羽目に。

だが、入団時に33歳と年齢的にピークを過ぎていたこともあり、翌10年、1軍で14試合出場したのを最後に戦力外通告。「もっと若いときに来日していれば」と惜しまれる。

ムニスと同じキューバ出身のバーバロ・カニザレス(ソフトバンク)も、15年にウエスタンで18本塁打を放つなど、本塁打王2回、打点王1回を獲得。甲殻類アレルギーで「カニを“共食い”できない」というユニークな話題を提供したナイスガイも、投手偏重だった外国人枠の割を食う形で、3年間で1軍出場わずか38試合。“2軍の強打者”のまま退団となった。

そして大トリは、今後広島の中軸としても期待されるアレハンドロ・メヒアだ。

15年にサビエル・バティスタとともに練習生として入団したドミニカンは、17年にウエスタンで打率3割3分1厘、18本塁打、77打点を記録したが、先に1軍に呼ばれたのは、48試合で21本塁打を放ったバティスタだった。ライバルに2カ月遅れの同年8月に1軍デビューも、出場わずか9試合に終わった。

18、19年もウエスタンで2年連続3割&20本塁打以上(18年は三冠王)と打ちまくったが、粗削りな打撃が災いして、なかなか1軍に定着できなかった。

バティスタが退団した昨季は、開幕戦で5番に抜擢されたが、打率1割台と1軍では結果を残すことができず。今シーズンの奮起に期待したいところだ。(文・久保田龍雄)

●プロフィール

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

久保田龍雄

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