【イタリアのデザイン・ラボラトリー】Gストゥディオ : コンセプトカーを支える“影のマジシャン”

【イタリアのデザイン・ラボラトリー】Gストゥディオ : コンセプトカーを支える“影のマジシャン”

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  • 更新日:2021/05/03
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2006年サーブ・エアロXコンセプト

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●はじめに

イタリアのカーデザイン会社と聞いて、日本人で多くの人が思いつくのはピニンファリーナ、イタルデザイン、そして2008年まで存在した旧ベルトーネであろう。

しかし、この国にはカーデザインを手掛ける数々の企業が存在する。そして彼らは、先行開発やコンセプトカー・メイキングを含むあらゆるコラボレーションを自動車メーカーと展開している。本連載では、一般には広く知られていないものの、優れた活動を続けている企業を紹介してゆく。

近年、世界のモーターショーはその在り方の見直しを迫られていた。そこに新型コロナ感染症が重なり、開催中止や順延が相次いでいる。そのため、彼らが手掛けた作品を鑑賞したり、実際に携わった人と出会う機会は極端に減ってしまった。それらを補う意味でも、本連載は有意義なものになると筆者は考える。

第1回はGストゥディオ(G-STUDIO)を紹介する。

◆M. ガンディーニとともに創業

Gストゥディオは、ピエールアンジェロ・マッフィオード)以下敬称略)率いるコンセプトカー製作会社である。トリノ旧市街から西に約20kmの街ブッティリエラ・アルタに本拠を置いている。

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マッフィオードは1951年トリノ県カプリエ生まれ。父親のコルネリオ・マッフィオード(1923-2012)は、第二次世界大戦後の伝説的自動車メーカー「チシタリア」のワークス・ドライバーとして数々の戦績を上げたのち、草創期のアバルトでチーフメカニックとして数々のレースや速度記録車に携わった、トリノ自動車界の名士であった。

マッフィオード本人は1973年ベルトーネ社に入社。当時デザインダイレクターだったマルチェッロ・ガンディーニ(1938-)のもとで数々の車両開発計画に参画した。1974年トリノモーターショーのコンセプトカー、ランボルギーニ『ブラーヴォ』や、同じくトリノショーで1976年に発表したフェラーリ『レインボー』が、その代表例である。現在もマッフィオードの応接室には、当時彼がキャンソン紙上にハイライト・レンダリングで描いたブラーヴォのスケッチが飾られている。

上司であったガンディーニは1979年末に独立し、自身のストゥディオ「クラマ」を設立した。同社はルノーとの専属契約により、試作・量産コンサルティングをするものであった。

いっぽう、ガンディーニとほぼ同時期にベルトーネを後にしたマッフィオードは、1980年に自身の会社を設立する。それが「Gストゥディオ」であった。

当初はガンディーニがルノー以外の業務を手掛ける際の支援であったが、まもなくフェラーリ、フィアット-ランチア、BMW、プジョー、フォルクスワーゲン、ルノー、ボルボ、サーブ、インフィニティなど名だたるブランドの開発をサポートするようになった。コンペティションカーの世界では、ランチアの世界耐久選手権用グループCカーのボディ開発および組み立てを担当した。

得意とするのはコンセプトカーの製作だが、その他の工業デザイン分野の制作にも携わっている。

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トリノの自動車産業で長年の経験を積んだモデラー、板金工、塗装工、そしてレザー職人との緊密なネットワークが、Gストゥディオのセリングポイントだ。

◆デザイナーたちの夢を実現して41年

Gストゥディオが開発に協力したコンセプトカーは、著名ブランドが次期量産車のデザインランゲージを人々に問うたものから、新興国が世界進出を窺うべく展示したものまで幅広い。今回写真で紹介するコンセプトカーは、いずれもマッフィオードとGストゥディオが手掛けたものである。

パトリック・ルケマンがデザインチーム率いていた時代の2001年ルノー『タリスマン』コンセプトでは、厚さ僅か70mmに対して長さが2500mmもある大型ガルウィング・ドアを実現した。同じくルノーの2009年ルノー『ゾエZEエレクトリック』コンセプトでは、ルーフから吊り下げるバックレストで人々を驚かせた。

Gストゥディオが参画した仕事は、とくにジュネーブモーターショーで発表される機会が多かった。筆者がマッフィオードに、歴代ジュネーブ・コンセプトカーのなかで最も印象に残る仕事を聞いてみると、いずれも2006年のルノー『アルティカ』とサーブ『エアロX』を挙げた。

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アルティカは当時ルノーのデザイン担当副社長であったパトリック・ルケマンのディレクションによるもので、シューティングブレーク形状による広大な室内スペースと、良好な空力特性を実現していた。

いっぽうエアロXは、当時アンソニー・ローが率いていたゼネラルモーターズ・ヨーロッパのアドバンスドデザイン開発室が手掛けたものであった。広大なグラスエリアをもつキャノピーは、航空機メーカーを発祥とするサーブのヘリティッジを見事に現していた。

ただし、そのキャノピーにはオリジナリティが隠されていた。それがスライドして開閉するアイディアは従来型コンセプトカーに数々存在したが、エアロXは左右ドアも絶妙なアクションを伴ってキャノピーとともに開いたのである。その動きはまるで「トランスフォーマー」を見るようであった。そのアイディア実現の影には、Gストゥディオが存在したのである。

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「ライバルメーカーのデザイナーたちから、過去20年に見たコンセプトカーのなかで、最も印象的な1台だと称賛されました」とマフィオード氏は証言する。同業者が見ても称賛される仕事だったのである。筆者が長年知るマッフィオード本人は常に穏やかで、かつ自身から過去の功績を語るようなことはない。それだけに、作品に向けられた賛辞が彼にとってさぞ光栄であったことが窺える。

◆いつも静かに見守っていた

同様にその道のプロたちは、彼の存在を見逃さなかった。2011年「ルイ・ヴィトン・クラシック・コンセプト・アウォード」だ。同賞は、前年に世界各地で開催された著名コンクールデレガンス優勝車から最も優秀な、いわばベスト・オブ・ベストを選ぶ企画であった。

例年どおり審査員の著名カーデザイナーたちが議論を重ねたが、その年は該当車を決めることができなかった。そうしたなかで「デザイナーの夢を実現してきたバックグラウンド・マジシャンとして(同賞のリリースより)」Gストゥディオとマッフィオードに賞が贈られることが決定したのだった。

ところで冒頭で記したように、近年は世界でコンセプトカーが公開される機会が減少している。それに関する対応は? 質問に対して、マッフィオードは古典車のレストレーション(修復)への意欲をみせる。

「私自身はヒストリックカーの大ファンであり、エクスパートです。父のおかげで生まれたときから車とレースの世界にいましたから。コンセプトカーで培った近代的技術の知識をもって、私たちは多くの因習に基づいたレストアの世界を刷新することができます」

いっぽうで、レストア業界に参入する難しさも指摘する。「ほぼすべての著名コレクターは経済力こそあっても、プロトタイプ製作を手がけたことはなく、経験的知識も持っていません。彼らは非常に保守的で、品質水準よりも誰がレストアを行ったかを重視することが多いのです」。

加えて、自身が携わってきたコンセプトカー開発の業界に対しても改革を促す。「高度な機器および人材ばかりに注目が集まりがちです。しかし、実は非常に閉鎖的な世界であり、ときにあまり正しくなく、残念ながら真の改革に積極的ではないといえます」。

モーターショーでマッフィオードがステージに上がることはない。実際彼は、自分が開発に協力したコンセプトカーが自動車企業のトップやデザイン・ダイレクターによって紹介されるのを、ギャラリーに混じっていつも静かに見守っていた。

プライベートでは長いこと、毎年5月にはブレシアに赴くのが常だった。晩年の父コルネリオにミッレミリアのスタートを見せるためだった。

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マッフィオードは2021年で70歳。華やかなコンセプトカーは、物静かでも熱い彼のような人物によって支えられているのである。

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大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

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