岸田首相は「資本主義の本質」をわかっていない

岸田首相は「資本主義の本質」をわかっていない

  • 東洋経済オンライン
  • 更新日:2022/01/15
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(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

岸田文雄首相がキャッチフレーズとして掲げる「新しい資本主義」について、「いったい何を言っているのかわからない」という声が少なくない。

岸田氏は、首相に就任した直後に有識者を集めて「新しい資本主義実現会議」を作った。彼は何もわかっていないけれども「新しい資本主義」と言ってみたかったのだろう、という推測にはリアリティがある。

当面は空っぽの「新しい資本主義」

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企業の世界では、能力的な「器」が足りない人物が社長になった場合に、それらしい問題をテーマとした「○○委員会」のような組織(会議をするだけなのだが)をたくさん作るのはよくあることだ。

岸田氏の周辺は(あるいはご本人が)、さすがにこれでは格好が悪いと思ったに違いない。『文藝春秋』の2月号に、「私が目指す『新しい資本主義』のグランドデザイン」という寄稿記事が載った。

同誌のこの種の記事は、本人が話して、文春の記者ないし、ライターが原稿を書いて、本人がチェックする形で作られる。多忙な首相でもあり、今回の記事は、岸田氏の側近が「話す」と「チェック」を主に行ったのではないかと推測するが、最終的に岸田氏が目を通していないということはなさそうだから、岸田首相自身の見解なのだと思っていいだろう。

では、岸田首相が掲げる「新しい資本主義」とはどのようなものなのだろうか。詳しくは『文藝春秋』2022年2月号を見てほしいのだが、岸田氏の大まかな認識は以下のようなものだ。

「資本主義は、市場を通じた効率的な資源配分と、市場の失敗がもたらす外部不経済、たとえば公害問題への対応という、2つの微妙なバランスを常に修正することで、進化を続けてきました。そして、長きにわたり、世界経済の成長の原動力となってきました。20世紀半ばの福祉国家に向けた取り組み、その後の新自由主義の広まりは、いずれも、そうした資本主義の修正、そして資本主義の進化の過程の1つです」と、まず語る。

そして、「新自由主義の拡がりとともに資本主義のグローバル化が進むに伴い、弊害も顕著になってきました」と述べて、気候変動の原因と考えられる自然環境への負荷、さらに経済的格差の拡大、短期利益指向の企業経営が経済のレジリエンス(強靱性)を損なったことなどの問題を指摘する。

岸田氏は、これらの問題に対して、「成長と分配の好循環」を作りつつ、「人への投資」「官民連携」「スタートアップの支援」「官民での投資の実現」「デジタル田園都市国家構想」「気候変動への対応」「若者・子育て世代の所得引き上げ」などに対応すると語っている。

「新自由主義」は過剰なのか、不足なのか

総理大臣だから、あれこれ細かな話にも言及しなければならなかったのだろうが、議論の大筋に話を絞ろう。

まず、市場の活用と外部不経済のバランスに問題の構造を絞った点は、経済の議論として納得的だ。岸田氏の側近には、経済学用語に詳しい人がいるのだろう。ただし、岸田論文では「新自由主義」の何が問題で、どう修正したいのかがよくわからない。

今度は、「新自由主義」という言葉を使ってみたかっただけではないのだろうか。実は、筆者の密かな観察によると、日本経済を論じる際に「新自由主義」という言葉を使う人の議論はほとんど的外れだ。資本主義システムが、福祉国家、新自由主義と流行を変えてきたという、経済学説史的知識に頼って、それらしく議論をしているつもりなのだろうが、日本が新自由主義の段階に達したことなど一度もないからだ。

日本の経済が残念な状況にあることの根源には、資本主義的というよりはむしろ縁故主義的な社会・経済運営の閉塞性があり、その結果、成長が乏しく、企業の従業員への支払いが貧乏くさく、社会のセーフティーネットが貧弱であることに問題が波及している。

「福祉」を企業の負担にすることは非効率的だ。ちなみに、岸田論文によると、国民総所得に対する雇用者報酬はアメリカが52.8%(2019年)で、日本は50.5%だ。何と、日本のほうが低いのだ。

例えば、生産のグローバル化を進めすぎて生産プロセスがレジリエンスを弱体化させたことは、市場や資本の論理が悪いのではなくて、企業がリスクに正しく気づかなかっただけだ。これを素早く修正できるのは、政府ではなく、企業の側だろう。

脱炭素など環境問題に対処する方法で有効なのは、炭素税や排出権取引の仕組みを早急に作って、環境の費用を「市場」に取り込むことだろう。資本主義をやめて、非効率的な熟議に時間を費やす耐乏生活をすることが解決方法ではない。加えて、共同体による経済運営は非効率的であるため、権威主義的な仕組みに取って代わられるリスクが大きい。

また、株主が「短期の利益」にばかり注目して企業がそれに適応することに弊害があるのだとすると、実は、そうした企業に投資する投資家は損をするのだから、この弊害を修正するためには、「市場」をむしろより積極的に活用することが重要になる。

岸田氏は「四半期単位の情報開示を止めることを検討する」などとピントの外れたことを言っているのだが、男女を問わず「鏡を見る回数を減らすと容姿や身だしなみがよくなる」というようなことはない。企業も同じだ。

日本経済が新自由主義的であったことなど一瞬もない

岸田論文は、民間企業の設備投資額を2000年から2019年で比較すると、アメリカは1.45倍、日本は1.1倍だという。それだけが原因だというつもりはないが、この時期にあって、より「新自由主義的」(≒市場経済重視)だったのは明らかにアメリカのほうではないか。

はっきり言って、正社員をスムーズに解雇することさえできない(解雇には明確な金銭補償のルールが必要だが)日本の経済が、新自由主義的であったことなど一瞬もない。

岸田首相がしばしば言及する、「成長」と「分配」について言うならば、成長を求めるためにわが国の経済に足りないのは、むしろ新自由主義的な自由と市場の尊重なのではないだろうか。

そもそも実現していない「新自由主義」から脱却するというのはまったくピント外れだし、日本には、むしろ「新自由主義」が足りていないのが真相ではないか。ただし、「新自由主義」という「薬」には、服用上重要な注意事項がある。

「新自由主義」と呼ぶのが適切か否かは別として、市場経済に任せた社会運営で経済力の格差が拡大することは否めない。トマ・ピケティ氏が指摘したように、資本の収益率は経済成長や賃金の成長率を上回るので、資本を持っている金持ちとそうでない人との間の経済力格差は広がる傾向がある。そして、人は社会の中で経済力の格差が大きく広がることをよいことだと思っていない。

一方、能力主義的な社会運営を徹底させると、生まれながらの才能や教育の格差に大きな「運」のリスクが生じる。仮に、人が生まれる前に意思を持っていたら、能力が乏しく生まれたり、貧乏な家に生まれたりする「不運」が怖くて、安心して生まれることができまい。

「新自由主義」的な経済運営を実現するためには、こうしたリスクに対する強力な保険が必要だ。さまざまな理由で経済的に困窮状態に陥った人が、社会的な保険で手厚く救われることが好ましい。

この点について、新自由主義者は反対するものではないし、主唱者としてよく名前が挙がるミルトン・フリードマンは、経済格差の修正と困窮者へのサポートになる効率的な仕組みとして「負の所得税」(その実質的な効果は今で言う「ベーシックインカム」に近い)を提唱した(新自由主義全般の中身については、『資本主義と自由』村井章子訳、日経BP社を参照)。

「大きな政府」の定義を見直せ

少なくともフリードマンは「格差の拡大を放置せよ」とは言っていないし、その修正の方法として効率的に最善に近い方法を提案していたのだ。
1つ重要なのは、「大きな政府」の定義を見直すことだろう。

例えば、国民1人に1カ月当たり7万円のベーシックインカムを支給するためには、105兆円の財政支出が必要だが、この105兆円は国民の間で再分配されるだけで、政府が公共事業への支出のように資源配分の決定にかかわるわけではない。

両者を単純に足したものをGDP(国内総生産)で割って「政府の大きさ」として定義することには問題がある。古くから議論されているように、政府の支出は民間経済よりも非効率的である場合が少なくない。

「大きな政府」が問題だとされるのは、この文脈による。ベーシックインカムのような再分配のマネーフローは、政府の意思決定による資源配分を意味しない。使うのは国民であり、民間だ(だから、ベーシックインカム的なバラマキ政策は官僚に嫌われるのだろう。予算を食うのに権限がない)。

つまり、政府の資源配分へのかかわりを減らすという意味での「小さな政府」は、大きな富の再配分による「大きな福祉」「大きなセーフティーネット」と両立する。これからの「新自由主義」者が掲げるべきキャッチフレーズは「小さな政府で、大きな福祉を!」ではなかろうか。

まず、社会的に強力なセーフティーネットを作る。そのうえで「新自由主義」を徹底することが、日本経済の閉塞性を打破する処方箋になるのではないか。

公的な教育費支出を少なくとも2倍以上に

加えて政府の追加的役割として重要なものを挙げると、公的な教育費支出を少なくとも倍増することだろう。教育による人的資本の充実こそが生産性を高める源になるし、教育にはそれ自体が経済格差を拡大する効果があるので、格差の拡大を阻止するうえでも教育の多くを公費で賄うことが有効だ。

今のように「高度な学問は外国の一流大学に行って学んでください」と言わんばかりの「教育のアウトソーシング」をしていると、経済も活性化できないし、国力もやせる。

日本国内での教育水準を頂点・底辺両面で大きくレベルアップすることが何としても必要だろう。教育は効果が出るまでに時間がかかるから、国が投資にかかわっていい。「10兆円」が大学「ファンド」であるというようなケチな話ではなく、毎年の追加的な教育費「支出」だ、というくらいのスケールで教育投資にかけることが必要ではないだろうか。

岸田首相にもそのような「臭い」があることが残念なのだが、「資本主義」とか「新自由主義」といった言葉を使って、何かを考えたかのように勘違いしている人が多いことが残念だ。おそらくは、十分に考えていないか、言葉を発したこと自体に酔っている。

それにしても、「資本主義」というもっともらしい言葉を発明した人はつくづく偉い。筆者も含まれるのかもしれないが、いったい何億人がこの言葉とかかわることで飯を食えたのだろうか!

(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

1月16日、日曜日に中京競馬場の芝2200mで行われるハンデ戦のG2レース、日経新春杯(第11レース)を予想したい。

日経新春杯の本命はクラヴェル

競走馬の超一流どころは厳冬期に出走しないことが多いのだが、有馬記念で小差の4着で、「強い4歳世代」のトップ戦線を戦ってきたステラヴェローチェが出走する。おそらく人気になるだろう。

しかし、有馬記念からの間隔が詰まっていること、ハンデが明け4歳には重く、有馬記念からプラス2キロとなる57キロとなることに不安がある。実力は認めるとしても、取りこぼす可能性が十分ある。

本命はクラヴェルとする。前走のエリザベス女王杯では、1着馬とは少し差があったが、レイパパレ、アカイトリノムスメなどG1タイトルを持った一流馬に先着しており、しかも今回の斤量は2キロ減だ。

対抗にステラヴェローチェ、単穴にヨーホーレイク、以下、トラストケンシン、フライライクバード、モズナガレボシを押さえる。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(山崎 元:経済評論家)

山崎 元

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