グレート・ムタが小川直也との異次元対決でアントニオ猪木レフェリーの存在を消し去る...新日本プロレス歴史街道50年(63)【週刊プロレス】

グレート・ムタが小川直也との異次元対決でアントニオ猪木レフェリーの存在を消し去る...新日本プロレス歴史街道50年(63)【週刊プロレス】

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  • 更新日:2023/01/25
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新日本プロレス内においてアントニオ猪木の発言力が増したのは、坂口征二のルートからスカウトした“柔道王”小川直也を自身の下に置いてから。そして、小川を使って新日本本体に仕掛けていった。いきなり当時のIWGPヘビー級王者である橋本真也と対戦させ、デビュー4戦目ではグレート・ムタとのシングルマッチが実現。しかも異種格闘技戦という異次元対決。それを猪木が裁くというものだった。

◇     ◇     ◇

アントニオ猪木引退前最後のレフェリングは、1997年8月10日、ナゴヤドームでのグレート・ムタvs小川直也。しかしゴング前にムタの毒霧を浴び、レフェリング不能に。そのままゴングが鳴らされ、しばらくはレフェリー不在の状態で闘いは続くなか、視界を失ってレフェリング不能となった猪木の状態を確かめたタイガー服部がリングに飛び込み、試合開始のゴングを要請した。

小川はまだ暴走王に変ぼうする前。柔道着姿の正攻法ではムタの魔界に対応しきれず一方的な展開に。最後はムタが指折り式腕十字で勝利した。反則すれすれとはいえ柔道技で敗れただけに、小川にとっては屈辱ともいえる敗戦だった。

実は武藤は新日本入門前、柔道の全日本強化指定選手にまで選ばれる実力者だった。6歳の年齢差があるといえ、そのまま柔道を続けていたら小川とオリンピック出場権をかけてしのぎを削っていたかもしれない。もう一つの顔であるムタでの闘いではあったが、このあたりの因縁を掘り下げても興味深い闘いだった。ただそれ以上に、ムタが猪木の存在を消し去ったことが印象に残る一戦。

なお、猪木最後のレフェリングは同年10月12日、両国国技館で開催された「格闘技の祭典SPECIAL」における藤原喜明vsスーパー・タイガー(佐山聡)。当初は島田裕二がレフェリーを務めていたが、エキサイトした両者は途中からナックルと頭突きのみのケンカファイトに。タイガーがロープ際で関節技を解かないためノーコンテストの裁定が下されたが、納得のいかない両者は延長戦を要求。立会人の猪木がレフェリーを買って出て延長戦。再試合はもつれあったまま両者リング下に。猪木がブレイクを命じ、さらに1分間の延長戦。そのままタイムアップとなっている。(この項、おわり)

橋爪哲也

週刊プロレス編集部

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