シリーズ読者投稿~あの時、あなたに出会えなければ~ 投稿者:Eさん(東京都・女性)
1977年、Eさんは夫と一緒に日本にやってきた。当初は日本語が上手く話せず、大変なことも多かった。
彼女はたくさんの国を訪れたことがあるが、そんな時に出会った日本の人たちのことが、一番心に残っているという。

日本に移住してきて...(画像はイメージ)
<Eさんの体験談>
1977年、結婚して間もなく夫と一緒に日本に来た。東京の、クーラーもない2DKのアパートに住んでいました。
左側に小さな公園があり、窓からそこで遊んでる子供達の姿をみるのが毎日の楽しみ。アパートの隣に住んでる大家さんはとっても親切な夫婦で、時々コーヒー豆を煎って香ばしいティータイムに招待された。営まれていた造花教室にお世話になりました。
言葉がわからない中での買い物は、大変だったけど...
まだ日本語が自由に使えない私にとって、一番たいへんだったのは買い物でした。駅近くのお肉屋さんは100グラム単位で頼めたのでなんとかなりましたが、八百屋さんと魚屋さんでは、品物の名前も知らないので困りました。いつも指をさして「これください」「それもお願いします」しか言えなかった。
それでも、お肉屋さんのおじさんは時々「はい、おまけです」と多めに入れてくれた。お魚屋さんで買ったお刺身を持って帰ってきたら、注文してないお刺身も入ってました。八百屋さんのお兄ちゃんが桃を一個おまけに入れてくれた時、後ろに並んでたおばさんが「私も!」と言って、お兄さんが「ありません!」と笑って答えていたのを覚えています。

買い物は難しかったが、周りに助けられた(画像はイメージ)
その年の夏、妊娠3か月目になった私はひどい出血をしました。大家さんに大きな産婦人科病院を紹介され、夫に支えられながら病院を探し歩きました。
到着して、2人で病院の先生に叱られました。
「どうして救急車呼ばないの?」「歩いてきた?そのまま死ぬかもしれないよ」
すぐ手術室に運ばれましたが、残念ながら流産になりました。
1人で救急車を呼ぶ勇気もなく、タクシーに乗った明け方
翌年、2回目の妊娠。夫は海外出張で留守が多く、正直、とても心細かった。軽い腹痛が続き、6か月目に入っても変わらず、医者に安静したほうがいいと言われた。
初夏の夜、腹痛が普段より強くなった。夫は不在、1人で救急車を呼ぶ勇気もありません。夜が明けるまで様子をみることにしました。屋根上のアンテナが風に揺られてギシギシ鳴る音が唯一の友でした。
やっと空が薄明るくなってきた頃、近所のタクシー会社に依頼。妊婦と気付いた運転手さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
「お腹が痛い...T病院をお願いします」と言ったら、運転手さんがタクシーを飛ばした。病院の裏口で止まった時、運転手さんが「早く行って!」とタクシー代を受け取ってくれなかった。私もお礼を言っただけでお腹を抱えて降りた。流産は避けられたが、臨月までは絶対安静と指導された。

タクシーに乗って病院へ(画像はイメージ)
後日同じ運転手さんに会えたら改めてお礼しようと思った。その後品川区に定住することになり、同じタクシー会社しか使わないと決めた。しかし、10年、20年、30年の時が経っても同じ運転手さんに会えなかった。 その時運転手さんの名札をみればよかったと後悔しました。
タクシーを使うたんびに、親切にしてくれた運転手さんを尋ねたが、見つからなかった。私できることは、一万円の札を出して「お釣りは結構です。会社にお礼を伝えてください」と言うことだけ。
沢山な国へ旅してきたが、日本でお世話になった人々が一番心に残った。「あの時、本当にありがとう!」ともう一度言いたかった。いつまでも、心から深く感謝しています。 日本の一番美しい風景は、目に焼きついた日本の「心」です。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
Jタウンネットでは読者の皆さんの「誰かに伝えたい『ありがとう』」を募集している。
読者投稿フォームもしくは公式ツイッター(@jtown_net)のダイレクトメッセージ、メール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのかなど、500文字程度~)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)、性別を明記してお送りください。秘密は厳守いたします。
(※本コラムでは、プライバシー配慮などのため、いただいた体験談を編集して掲載しています。あらかじめご了承ください)
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