雑に扱われている? 奔放な友人にイラっとしたら...【DJあおい】

雑に扱われている? 奔放な友人にイラっとしたら...【DJあおい】

  • ウートピ
  • 更新日:2023/05/29
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返信がしばらく来ないなと思ったら急に連絡してきて「明日会えない?」と言ってくる友人がいます。先日も急に「今夜時間あったら会えない?」とLINEをしてきたのですが、すでに予定がいっぱいだったので断りました。突然の「ご飯を食べに行こう」という誘いが迷惑なのではなく(むしろ気軽に誘ったり誘われたりする関係は楽です)、なんとなく彼女から都合のいい存在として扱われている感じがするのが嫌だなあと思ってしまいます。

彼女はよく「友達があまりいない」とぼやいているのですが、自分のことも他人のことも大事にすれば友達なんてすぐできるよと言いたくなります。彼女から連絡がくるとちょっと気が重くなってしまう自分がいるのですが、「もっと自分も他人も大事にしなよ」って伝えても良いのでしょうか?

奔放タイプと義理堅タイプ

奔放なタイプの人というのは、他者を振り回す悪癖があるのですが、その代わりに他者から振り回されることもある程度は寛容なんですよね。

返信が遅い代わりに、他者から返信がなかなか来なくても許容範囲だし、時間にルーズな代わりに、少しくらいの時間なら待たされても許容範囲だし、「他人を振り回す」という点は紛れもなく短所なのですが、その短所をひっくり返すと「他者に寛容」という長所になるので、一概に「悪」とは言えないんですよ。

一方、義理堅く他者を立てるタイプの人は、他人にも同じものを求める傾向がありますので、メールやラインなどの即レスは当たり前という長所を持っている代わりに、他者の遅レスは許さないという短所を持っていますし、時間にキッチリしているという長所を持っている代わりに、他者の遅刻は許さないという短所を持っていたりする場合が多いので、こちらも一長一短で一概に「善」とは言えないんですよね。

どちらのタイプも性質が異なるだけであって、どちらが「善」でどちらが「悪」というわけでもなく、ただ単に相性の良しあしがあるだけだとご理解ください。

ただ、日本人の国民性としてキッチリとした性質を持っている人が多いので、奔放な人にとってはなかなか理解してくれる人が少なく、若干生きづらく窮屈な環境であることは否めないのかもしれませんね。

「自分も他人も大事にする」ということ

「自分も他人も大事にする」ということは、自分が奔放である以上、他者の奔放も認めなさいよということ。

または他者に厳しくある以上は、同じ課題を自分にも課しなさいよということ。

長所と短所を表裏一体として一貫させることが「自分も他人も大事にする」ということであり、自分は奔放なのに他者の奔放は許さないのは単なるクズになってしまうし、自分には厳しいのに他者に甘いのは単なるお人好しになってしまうし、矛盾が生じないように奔放になり過ぎず、かといって厳しくなり過ぎず、自分も他者も生きやすい環境にするために調整していくことが必要かと思います。

他者を許すことは、自分自身を許すことでもあり、他者を戒めることは、自分自身を戒めることでもあるということですね。

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