米津、ボカロ人気の背景をなす...「BUMP OF CHICKEN」その本当の魅力

米津、ボカロ人気の背景をなす...「BUMP OF CHICKEN」その本当の魅力

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/10/18
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いま、何故バンプか

やはり、BUMP OF CHICKENが重要だ。そのような声を聞く機会が多くなった。何故だろうか。

単純に、今や日本の音楽シーンを代表する存在となった米津玄師に、強く影響を与えたバンドだからかもしれない。もしくは、現代の日本発ポップカルチャーを捉える上で、欠かせない存在だからかもしれない。彼らの音楽は日本のマンガやアニメやボーカロイド作品(米津玄師も元々は「ハチ」名義でボカロ作品を発表していた)と、相互影響の関係にある*1。2014年の初音ミクとバンプとのコラボレーションは、そのことを象徴的に表している。

あるいは、彼らの表現における「孤独」と「つながり」の両立が、今の生活感性とシンクロしているからかもしれない。コロナ禍以降、自宅で孤立しつつ同時にZOOMで人とつながる関係性が強く意識されるようになったが、BUMP OF CHICKEN(以下「バンプ」と表記)はそもそもそういう音楽を作ってきたバンドである。

リスナー、特に青春期の若いリスナーの孤独感を前提としながら、彼ら一人一人に音と思いを伝えていくその表現は、ひとりぼっちの部屋の中でも感じられる「つながり」となり、多くの怯えた心を癒やしてきただろう。

バンプがバンド音楽だけでなく、ボカロをはじめとするインターネット発の文化に対しても影響力を発揮したのは、孤独な人間につながりを与えるという構造が、ネット環境と相性が良かったからだ。曲の中では孤独感を表現しながら、メンバー4人は幼稚園時代からの幼なじみとして強い絆で結ばれている(少なくともそう見える)という、彼らの逆説的な特徴も見逃しがたい。

その関係性をファンも共有しているが故に、彼らのプライベートな事件がよりシリアスに受け止められるわけだが…。

バンプは1999年に最初の作品を発表して以来、9枚(編集盤を含めれば12枚)のアルバムを世に送り出してきた。丁寧に音楽とメッセージを伝えることで、20年以上にわたり、多くのオーディエンスの心を掴んできた。しかしながら、彼らの表現は「まっすぐ」伝わるわけではない。 彼らの魅力は〈斜め〉に届くこと、その〈斜め〉性にこそある。

〈斜め〉の〈色気〉

バンプの音楽を考える上でなにより欠かせない要素は、ギターボーカルの藤原基央の声だろう。歌声に含まれるザラつきと倍音の豊かさ。低音から高音へ駆け上がる時の、かすれ声の艶やかさ。

彼の声は強さを印象づけるが、決して太くはない。実際、藤原の身体は細く見える。特に二の腕は明らかに細い。にもかかわらず、彼の喉にはタフネスがあり、負担の大きいハスキーな歌声を維持できる。たくましい筋肉のイメージとは別の、貧弱にも見えかねない身体に宿された強さ。それは、新たな〈色気〉の発明ではなかったか。

そう、バンプには色気がある。しかも、真正面から性の匂いを濃厚に漂わせるものではなく、〈斜め〉の角度で伝わってくる〈色気〉だ。

たとえば、藤原基央には左足を前に出した姿勢で歌う癖がある。ギターを左前方にかたむけて、マイクに顔を向ける。前に向けて放たれる声は、藤原の身体の中で左寄りに、斜めに響いている。彼の歌唱法自体に〈斜め〉の作用がある*2。ストレートではない、鋭角に響く色気。声の出だし部分に真正面から力を込めるのではなく、声が途切れる直前にブレスでわずかにアクセントをつける藤原の歌唱法も、その色気の発露に加担している。

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(画面中央、左足が前に出る藤原)

こうした鋭角的特質は、藤原基央の顔が有するいくつかの特徴と呼応している。たとえば、藤原の切れ長の、一重の目の鋭さ。あるいは常に長めにキープされている、前髪から横髪への斜めのライン。彼の顔にも鋭角的特徴があり、それが声の特質と重なるが故に、他に類をみない個性と魅力が発揮されることとなる。

MVとコード進行の〈斜め〉

ミュージックヴィデオ(MV)においても、彼らの〈斜め〉性は見て取れる。MVで、バンプの四人の演奏は斜めから撮影されている場面が非常に多い。まっすぐに映されるのはまれで、特に藤原が視線をカメラに返すことはほとんどない。

バンプの知名度を飛躍的に高めた初期のヒット曲『天体観測』のヴィデオを観てみよう。演奏シーンと、メンバー四人の面影を重ねた少年達が天体観測の計画を練って実行するストーリーで構成された、4分31秒の映像。

全150カット中のうち84カットが演奏シーンにあてられているのだが、斜め横、斜め上、斜め下からの構図はあっても、メンバーを画面の真ん中でまっすぐ捉えたカットは皆無だ。

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『天体観測』MVより引用

途中、藤原がアップで映されるシーンでは、彼の顔はカメラの左上方に向けられていて、視線をこちらに返すことは一切無い。

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『天体観測』MVより引用

この特徴は初期の『Sailng Day』や『オンリーロンリーグローリー』から、最近の『宝石になった日』、『話がしたいよ』まで、多くのMVに共有されている

『Butterfly』は例外的にシンメトリーにバンドを少し遠くから映した構図を多用しているが、アップになると横や斜めの構図になるし、バンドメンバー四人の動きをパステルカラーのアニメーションで再現した『望遠のマーチ』では、斜めからのアップ、上や下からの構図といったこれまでのヴィデオの特徴が、確実に踏襲されている。映像において、まっすぐの視線は周到に回避されている*3。

まっすぐではないといえば、コード進行についても同様のことが言える。ほとんどの曲の作曲を担当している藤原基央は複雑なコード進行を志向するタイプではないが、シンプルな中に変則的なコードや転調を配置させることで、バランスをとっていく作曲家である。

彼の作曲の特徴に、分数コードを多用する点が挙げられる。分数コードというのは、ひとつのシンプルな和音の低音部に別の音を置いたもので、藤原は特にD♭(レのフラット)のメジャーコードの下にF(ファ)を置いたコード、同じくD♭のメジャーにA♭(ラのフラット)を置いたコードを多用している。

これらのコードは緊張と緩和が混ざり合った曖昧な響きを有しており、ストレート一歩手前で斜めにずらす、バンプの音楽の特徴を形作っている。『天体観測』『ギルド』『メーデー』といった曲に、これらの特徴が顕著だ。

また、通常のポップソングセオリーであれば展開の途中にくるはずの、ドミナントと呼ばれる途中経過感の強いコードを、バンプはコーラス(サビ)の冒頭に持ってきたりする。新曲の『Gravity』が正にそのような曲で、どこか足が宙に浮いたような浮遊感をサビで漂わせている(曲名はGravity=重力なのに!)。

藤原は以前ラジオで「Cのコードは偽善者っぽい感じがして嫌い」と発言したことがある*4。Cのコードはギターを覚えるときに最初にならう基本中の基本のようなもので、ここにも彼のひねた〈斜め〉の感覚が表れている。

張りぼての抽象性

このように、〈斜め〉に構えた要素をいくつも抱えている一方で、彼らに「まっすぐ」な印象を持つ人は多いだろう。それは藤原基央の書く詞が感情に対して実にストレートだからだ。

バンプの曲には、キャリア全体を通じて「涙」「泣く」という言葉が頻出する。現在までの公式音源126曲(歌なしのインストゥルメント曲を除く)中、およそ半分の59曲に「涙」および「泣く(の活用形)」が使われており、『Gravity』にも「泣きそうになったよ」というリリックが登場した。

藤原基央は「涙」という、感情の高まりと意味的に結ばれた分泌物の名を多用し、そこに「心」「夢」「希望」といった言葉を繋げていく。逆に「迷い」や「孤独」、「恐怖」といった言葉も多く書き記す。つまるところ、青春期の感情の不安定さを、藤原は言葉では実直に表現している。

そのような藤原の言葉が、バンプの表現全体の足かせになっている場合が多いことも否めない。特に2011年以降(それは東日本大地震のタイミングと重なる)の作品に対してはそうだ。以前は明確な状況設定や物語構造を持っていた詞の世界が、状況のはっきりしない抽象性の高い言葉に変わっていった。その抽象性は、「光」「空」「星」といった、口当たりのいい名詞のメタファーによって担われている。ここに、具体的な現実を綺麗な看板で隠してしまう類いの、欺瞞性が感じられる。

たとえば、このような言葉。

夜明けよりも手前側 星空のインクの中落として見失って 探し物心は眠れないまま 太陽の下 夜の中つぎはぎの願いを 灯りにして『月虹』

その声は流れ星のように次々に耳に飛び込んでは光って魚のように集まりだして冷たかった胸に陽だまりができた『ファイター』

なんらかの喪失感や歓びを描いているのは理解できるが、「星空のインク」や「声は流れ星のように」や「胸に陽だまりができた」といったメタファーが具体的な情景に結びつかず、かつそれぞれの単語は紋切り型のイメージの羅列であるため、聴いていると張りぼての看板を次々と見せられているような気分になってくる。自分の生理感覚が無視されているような、歯がゆさを覚える。

『ファイター』に関しては、MVに現れる透明なガラス瓶や一輪の花といったアイテムのあからさまな象徴性も、看板めいた印象を強めている。バンプが優れた音楽家集団であることに間違いはないが、彼らの音楽に深く潜っていこうとするとどこかで張りぼての連なりにぶつかって、落胆を抱えて戻ってくる。そんな経験を、筆者は何度も繰り返して、その後でふと気づいたことがある。藤原基央は、言葉に対して強い不信感を抱いているのではないか。

言葉へのおそれ

藤原の詞には、以下のような表現が多発する。

羽根のない生き物が飛べたのは羽根がなかったから『beaautiful glider』寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから『ray』お揃いの気持ちで離れながら お揃いの気持ちで側にいた『ほんとのほんと』

安心すると不安になるね『時空かくれんぼ』

今並べた詞はどれも語義矛盾を含んだレトリックであり、「羽根」や「寂しくなる」という言葉の意味を無効化している。このようなフレーズの多用からわかるのは、藤原が「言葉だけでは何も表現できない」という想いを抱いていることだ。言葉への不信感を、直にリリックに焼き付けた曲も存在する。

人と話したりすると気づくんだ伝えたい言葉が無いって事適当に合わせたりすると 解るんだ伝えたい気持ちだらけって事『Supernova』言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ『宇宙飛行士への手紙』

「伝える」に達するには言葉はあまりに役立たずで、だからこそ歌や音楽に意味がある。藤原基央の基本姿勢が、ここに如実に表れている。

当然ながら、音楽家は言葉でなく音楽を中心に表現する存在であり、言葉ですべてを語ろうとしない姿勢に間違いはない。だが、音楽の機能を「伝える」ことへ集約させた結果、バンプの表現は、生理感覚を欠如した抽象性の中へ逃げ込んでしまう。言葉の持つ異物感を恐れるが故に、安易なメタファーとイメージに安堵するのだ。

バンプはキャリアを通じて、演奏は正確に、音はクリアにビルドアップさせてきた。サウンド面でのポジティブな変化が、複雑な表現を実現するための武器ではなく、欺瞞を温存する固定イメージの量産に繋がってしまうこと。そうした結果がもたらされるのは、「伝える」ことへの意識が、言葉と音と映像が織りなす放埒なステップに歯止めをかけるからだ。

リスナーに「伝える」ために、言葉はごつごつした具体性を避けて抽象性の安心を選び、映像は理解可能な象徴性を選ぶことで不可解さを逃れ、音と演奏は正確なリズムにのって、揺れやノイズをキャンセリングする。声や和音進行の複雑な質感も、「伝える」という意志の重力が強すぎれば無力だ。象徴化できない生理感覚の残響は、表現の過程で消去されていく。その響きを表すのが、音楽の持つ力であるはずなのに。

結果、バンプの表現から不安的な〈生理〉がこぼれ落ち、リスナーとの間に「正しく」閉じられた、心理的な結びつきが優先される関係を築くことになる。関係性を更新させていくために必要な、〈失敗〉を排除しながら。

〈失敗〉の魅力

バンプの蠱惑性が発揮されるのは、むしろ楽曲が〈失敗〉を抱え込んだ時だ。

たとえば、2016年発表の「BUTTERFLY」。派手なシンセやサウンドエフェクト、高揚感を与える反復のビートが特徴的なこの曲は、2010年代初頭から中盤に、欧米の音楽シーンで隆盛の中にあったEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージックの略)というジャンルの意匠を取り込んでいる。ボルテージの高いサウンドの中で、藤原はこのように歌っている。

明日生まれ変わったって結局は自分の生まれ変わり全部嫌いなままで 愛されたがった量産型

高音部で「a」の音が幾度も韻を踏んでおり、高揚感はより強調される。しかし、「量産型」というポップソングでは馴染みのない言葉の異物感は、個人としての尊厳を見失ったときの重苦しい感情と繋がっている。

「誰よりも綺麗なこと 本当はもっと知っているずっと」という結末部の歌詞も、「量産型」を救う言葉としてはあまりに軽い。MVにおける光の演出の多用も含めると、軽々しさはより顕著になるだろう。

ネガティブからポジティブへの転化を狙った楽曲において、伝わるのは「量産型」の重たい響きと、EDM由来のやけにハイエナジーなサウンドとの齟齬であり、言葉から伝えようとしているメッセージは音楽全体では伝わらない。

けれども、伝わらないもどかしさの中で、藤原の歌声の艶やかさはより際立って聞こえる。『Butterfly』のボーカルの最高音部(F#)はルート音(C#)に対して4度という緊張感の高い音だが、その鋭さが声のツヤを強調している。メロディの鋭角性と伝えることの〈失敗〉が、ここでは〈色気〉の発露に繋がっているのだ。

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『BUtterfly』のパッケージ

バンプが持つ〈斜め〉の色気。その鋭さは温存された欺瞞に切れ目をいれるような、生理感覚を帯びているはずだ。にもかかわらず、彼らが「伝える」という意志を貫徹するとき、現れる音の切れ味は鈍くなり、匂いや気配の欠いた平板さが幅をきかせる。具体的な異物感を除去したコミュニケーションの輪が、自家中毒を起こす。皮肉にも、このバンドが自らの美質を発揮できるのは、彼らの目指す、「伝える」ことの「正しさ」が失敗するときだ。

もちろん、これはバンプが時代にそぐわない表現に身を投げていることを意味しない。彼らはリスナーや時代に丁寧に向き合ってきただろう。彼らのキャリアは、インターネットの普及期とちょうど重なっている。メッセージが迅速に伝わる世界において、安易に抽象化できない複雑な表現は忌避され、人々の生理的不能感はむくむくと膨らんでいく。

バンプはメッセージを正しく伝えようとするあまり、「正しさ」の中で何も変えられない私たちと、同様の問題を抱えることになった。だからこそ、バンプにおける〈失敗〉の魅力を紐解くことは、今を生きる人々にどのような変化が起こり得るか、どのようなイメージを紡いでいけるかを、感受することに繋がっている。

私たちは「正しさ」に溢れたこの世界から、どのような〈生理〉を、どのような〈色気〉を、感じ取ることができるだろうか。

*1 バンプは初期に『新世紀エヴァンゲリオン』や『ONE PIECE』を題材に曲を作っており(『アルエ』、『グングニル』)、後に『Sailing Day』が映画版『ONE PIECE』の主題歌となっている。その他『三月のライオン』『からくりサーカス』『進撃の巨人』『寄生獣』など、アニメ、あるいはアニメ原作の映画への楽曲提供も多い。また、米津玄師におけるバンプの影響は、以下の記事などで米津本人が直接語っている

*2 余談だが、筆者は藤原の歌声を真似して歌っていたときに、口の中の左側を意識して歌うと響きが近づくのを発見して、一人興奮した経験がある。

*3 他のミュージシャンのMVをみると、真ん中からの構図が多くの確認できる。バンプと世代の近いELLE GARDENやASIAN KUNGFU GENERATION、後続の[Alexandros]、ゲスの極み乙女、SHISHAMOといったバンドに至るまで、ボーカリストが画面のまん中で目線をカメラに向ける場面がヴィデオに現れる。

*4 TOKYO FM『MOTHER MUSIC RECORDS』2005年6月22日放送分 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)との対談

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