【二十歳のころ 山中慎介(4)】打つスタイル確立で貧乏生活から脱出

【二十歳のころ 山中慎介(4)】打つスタイル確立で貧乏生活から脱出

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  • 更新日:2017/08/11

プロ入り後も生活費を稼ぐため、アルバイトを始めるしかなかった。選んだのはラーメン店とか弁当店とか、飲食店ばかり。まかないがあるから、食事にはありつける。当時としては当然の選択だった。

最も長く勤めたのは新宿のラーメン店で、4年ぐらい働いたかな。最初は何もできなかったけど、働いているうちにいろいろなことを身につけて、最後の方は仕込みやラーメン作りまで任されるようになった。その店はもう閉店してしまったけど、当時のバイト仲間の数人は今でもチケットを買って、試合を見に来てくれている。貧しかったけど、楽しい思い出の一つだね。

とはいえ、必死に働いても稼げるのは1カ月に15万円ぐらいだった。ギリギリの生活で食事やファッションなどにかけるお金はなかった。飲食店は朝の仕込み時間から店に出なければならず、バイトの時間が長くなったしわ寄せで練習時間が足りなくなる。次の試合もなかなか決まらない。“ないない尽くし”で、いつもイライラしていた。

そんなとき、また大学時代のようにパチスロでストレスを発散することがあった。負けが続くと熱くなってしまい、生活費までつぎ込んでしまうことがしばしば。5万5000円の家賃を2、3カ月滞納することもあった。「そのうち追い出されるかもしれない」と戦々恐々としていたが、昔ボクサーだったという高齢の大家さんは「まあ、しようがないな」と言って許してくれた。

3、4カ月に1回入るファイトマネーで滞納していた家賃を支払って、何とか追い出されずに済んだ。本当に助かった。今はもう交流がないのだけど、もし大家さんにお会いできるのなら改めて感謝の気持ちを伝えたいくらいだ。

当時の担当トレーナーからのアドバイスもあり、朝のロードワークの時間を確保できるようにアルバイトの時間をずらしてもらった。2年目以降は食事面を見直し、野菜、肉、炭水化物をバランスよく食べるよう心掛けた。ロードワークをしっかりできたことで下半身に安定感が出て、食生活の改善で減量中でも体調を崩さなくなった。

別人のような生活のおかげもあって、下半身との連動から左ストレートを打つ自分のスタイルを確立できた。9戦目から6戦連続のKO勝ちで日本王者となり、その勢いのまま2011年11月、世界チャンピオンになった。ベルトを手に入れて、ようやく貧乏生活からも脱出できた。

大学4年間、ボクシングに励んで結果を出していたら、プロに進むことはなかったと思う。若いころの失敗や挫折が、その後の人生を大きく変える可能性がある。二十歳のころの“ダメ人間”から世界チャンピオンになった自分が、それを証明できた。こんな人生が、これからボクサーを目指そうとする人の参考になれば、この上ない喜びだ。 (おわり)

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子供のころは野球少年だった山中。紆余曲折を経て、ボクシングで頂点に立ち続けている (本人提供)

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