
建物跡や木棺墓が出土した甘樫丘遺跡群の発掘現場=奈良県明日香村
飛鳥時代に権勢を誇った豪族、蘇我氏の邸宅跡とされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)から7世紀後半の建物跡や石列などが見つかり、村教委などが26日、発表した。蘇我氏に関連する遺物は今回の調査では確認されなかったが、645年に蘇我氏本家が滅亡して以降の甘樫丘の様子については不明な点が多く、村教委は「蘇我氏滅亡後の甘樫丘の実態がうかがえる成果が得られた」としている。

上空から見た甘樫丘遺跡群(明日香村教委提供)
甘樫丘は、蘇我蝦夷・入鹿父子が大邸宅を築いたとされ、実態を解明しようと、村教委と関西大が令和2年度から「甘樫丘遺跡群」として発掘調査を行っている。
今回は、約240平方メートルを調査。東西4・2メートル以上、南北5・4メートルにわたって建物の跡が見つかった。格子状に柱を配置した総柱建物で、出土した須恵器から7世紀後半の遺構と推定。高床倉庫として使われていたとみられるという。
また、調査区の北側と南側から敷地の境界を区切っていたとみられる2つの石列を確認。北側は15メートル以上、南側は3メートル以上にわたって東西方向に並び、北側はクランク状に折れ曲がっていた。石列の一部を壊す形で総柱建物が建てられており、石列が先行して設けられていた可能性があるという。このほか、10世紀ごろとみられる木棺墓なども見つかり、このころには墓地として利用されていたことが裏付けられた。
史料上、甘樫丘に関する記述は7世紀半ばを最後に途絶えるが、蘇我氏滅亡後、朝廷側が周辺を開発し、公的な施設を置いた可能性も考えられるという。調査を担当した村教委文化財課の長谷川透係長は「甘樫丘の土地利用の変遷が確認できた。今後も周辺の調査を継続したい」と話している。
現場はすでに埋め戻されており、現地説明会は行わない。