単なる陰謀論ではなかった...? 武漢ウイルス研究所「流出説」を再燃させた“匿名専門家集団”の正体

単なる陰謀論ではなかった...? 武漢ウイルス研究所「流出説」を再燃させた“匿名専門家集団”の正体

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/07/21

「新型コロナウイルスが武漢ウイルス研究所から流出した可能性は陰謀説ではなく、検証するに値する」――2021年5月17日、ハーバード、イェール、MIT(マサチューセッツ工科大学)、スタンフォード大学など、米国を代表する大学・研究所に所属する17人の科学者が、サイエンス誌に「流出説」の検証を呼びかける公開書簡を発表した。

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「流出説」は、当初から一部で可能性が指摘されていたが、中国当局だけでなく、西側メディアによっても、そうそうに“陰謀論”として片付けられていた。

ところが、その「流出説」に再び注目が集まっている。

米バイデン政権は、情報機関に対して「流出説」も含めた追加調査を指示し、英BBCや仏ルモンドなど西側メディアも「流出説」を排除しないようになったのだ。

有志のネット調査団「ドラスティック」

“陰謀論”と一蹴されていた「流出説」を復活させた最大の功労者は、有志のネット調査団「ドラスティック」(DRASTIC, Decentralized Radical Autonomous Search Team Investigating COVID-19)だ。

メンバーの一人、スペイン人の産業技術者リベラは、エル・パイス紙の取材に「新型コロナウイルスに関わる問題はウイルス学者が解決すべき問題だと捉えられがちだが、それは違う」と答えている。20名以上から成る匿名ネット調査団の最大の強みは、メンバーが多分野――ウイルス学、遺伝子学、微生物学、分子生物学、疫学、薬学、病理学、動物学、生物物理学、公衆衛生、情報生命科学、社会学、バイオセキュリティー、データ分析――の専門家によって構成されていることだ。

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流出疑惑のある武漢ウイルス研究所

ドラスティックの調査は、2020年7月、英「タイムズ」紙の長編特集「流出論と新型コロナの起源」で初めてマスメディアに取り上げられたが、その後も、主要メディアが後追いするような新発見を積み重ねている。

ドラスティックの調査結果を受けて、「ネイチャー」は、2020年2月3日に配信した石正麗の論文(A pneumonia outbreak associated with a new coronavirus of probable bat origin)に対して、同年11月17日に「付録」をわざわざ挿入している。英BBCも、「新型コロナに酷似したコウモリ・コロナウイルスが採取された銅鉱山」の場所をドラスティックが特定したことを受けて、同地に調査団を派遣している。バイデン政権を「流出説の再検証」へと踏み切らせた冒頭の公開書簡もドラスティックの功績だ。

武漢でコロナ感染者が出現したのは偶然か?

「新型コロナウイルスは、コウモリから他の動物に感染が起こり、そこから武漢の海鮮市場でヒトに感染した」という「自然発生説・海鮮市場起源説」が信じられていた2020年5月、「研究所流出説が充分に検証されていないのではないか」という疑問がツイッターを通じて学者や「ネット探偵」の間に広がり始めた。

「データのなかに規則的なパターンを見つけるのが得意」で、ニュージーランド銀行にデータサイエンティストとして勤めるジャイルズ・ドマノフは、「流出説は陰謀論だ」という西側メディアの論調を決定づけた、科学者27名による「ランセット」の共同署名記事について、「証拠もなく非科学的だ」と疑問を感じていたという。

「武漢の海鮮市場では、さまざまな野生動物が扱われていても、コウモリは扱われていない。本当に海鮮市場が新型コロナの起源なのか?」「コウモリ由来のコロナウイルスの世界最大級の標本コレクションを持ち、世界で最もリスクの高い実験を行なってきた武漢ウイルス研究所がある武漢で最初のコロナ感染者が出現したのは、単なる偶然なのか?」「研究所から流出した可能性もあるのではないか?」――「これはごく自然な疑問だ」と考えたドマノフは、2020年春頃から、入手できるデータを徹底的に分析し始めた。

「調べれば調べるほど、重大な疑問が湧いてきた」

同じ頃、スペインでは、コロナ感染拡大によるロックダウンで職を失った40歳の産業技術者フランシスコ・デ・アシス・デ・リベラが巣ごもり生活を余儀なくされていた。中国当局が新型コロナ関連論文の出版を制限していることをCNNで知ったリベラは、この記事をツイッターで共有し、在宅時間を利用して、新型コロナウイルスの起源についてネットで独自に調査を始めた。

「技術コンサルタントとして働いた長い経験があり、とくに数字に強い」と自負するリベラは、数千に及ぶウイルスのDNA配列、患者データ、武漢ウイルス研究所の研究員の出張記録や経路などについて、夥しい数のエクセルシートを作成した。「私にとっては巨大な数独のようなもの」というリベラの才能が、ドラスティックの調査データのインフラ設計において、威力を発揮するようになる。

またインドでは、コードネーム「@The Seeker268」で知られる建築・絵画・映画の専門家で、科学、国語、社会科学の教師でもあったインド人男性(30)が同様の疑問を抱いていた。「おしゃべり好きな夜型人間」で、「一度見たものは100%記憶できる」という鉄壁の記憶力の持ち主だ。サンスクリットを含めインドの言語だけでも4言語を自在に操る。「新型コロナウイルスの起源について、調べれば調べるほど、答えよりも多くの重大な疑問が湧いてきた。調べ続けなければいけないという使命感を感じた」という彼は、その卓越した情報収集・分析能力で、ドラスティックの調査に大きく貢献する。

「私は専門分野は持たないが、科学リテラシーは持っている」という@The Seeker268は、2020年4月末までは「自然発生説」を支持していたが、2020年5月頃、他のドラスティックのメンバーの多くと同様に、ロッサーナ・セグレト(ドラスティックのメンバー)らの記事を読んで、考えに変化が生じた。

2019年9月にPCR検査キットを入札していた

そこでまず調べたのが、武漢の海鮮市場から最も至近距離にあった武漢疾病対策センター(CDC)研究所で、ホームページを読み漁り、「武漢CDCが研究所の場所を移動させようとしていたこと」「2トンものバイオ廃棄物を処分していたこと」「2019年12月4日付の武漢の『ヒートマップ』の地図が武漢の感染状況を示しているらしいこと」など、分かったことをツイッターのスレッドに次々にアップしていった。

「まだ謎が多い」と言いつつも、@The Seeker268は、「最初のクラスターは研究所に近い場所で起こったと考えられる」としている。さらに興味深いのは、「2019年9月に武漢CDCがPCR検査キットの入札をしていたこと」だ。コロナ以外の検査もできるPCR検査キットだが、2019年9月という微妙なタイミングは、「新型コロナの発生源」との関連を疑わせるに十分だ。「さらに深く調べよう」と@The Seeker268は決意を固める。

探求心を抱く彼らは、徐々に、ツイッターのスレッド、ダイレクトメッセージ、チャットを通じて、「ドラスティック」として緩やかに互いに繋がりはじめ、「武漢ウイルス研究所流出説」を徹底検証していくことになる。

主にツイッターを用いるのは、「消去法による」としている。「フェイスブックやRedditでは新型コロナウイルスの起源を問う投稿は検閲されており、ツイッターでも多少はあるものの、相対的に自由度が高い」(リベラ)からで、メッセージング・プラットフォームに移行しなかった理由は「メンバーの多くが匿名性を保ちたかったから」だという。したがって、メンバー同士は、いまだに個人的な知り合いではない。

これまでドラスティックは、約1年にわたって調査を続けてきたが、その調査のあり方は、情報を収集し、翻訳し、中国のインターネット上に散らばる「手がかり」を集め、それぞれに得た情報やデータやメモを共有し、ディスカッションを公の場で重ねる、といったものだ。こうしたネット匿名有志集団による“調査報道”は、検索エンジン、公共データベース、科学論文への無料アクセス、ソーシャル・ネットワークといったテクノロジーによって初めて可能になった。

2012年の雲南省でのヒトへの感染事例

@The Seeker268は、「武漢ウイルス研究所流出説」に興味を持ち始めてから1週間後に、早くも「金脈(データベース)」を発見する。中国の学術論文2000本以上を検索できるウェブサイトで見つけた昆明市の修士学生の論文だ。

これによると、2012年4月、3人の鉱夫が、雲南省南部・墨江の山奥の銅鉱山の掘削路で、キクガシラコウモリのグアノ(コウモリの糞や体毛が化石化したもの)をシャベルで採取するよう命じられる。通気性が悪いなかで1日7時間にも及ぶ作業を数週間も続けた結果、3名は病に倒れて昆明医大病院に運び込まれ、新たに入った3名も同じような病に倒れる。

彼らの症状は、咳、熱、重い呼吸、血栓といった新型コロナに酷似した症状で、6名のうち高齢の3名が死亡。彼らの血液サンプルは、武漢ウイルス研究所へ送られて解析された結果、SARSの抗体が見つかったという。ところが「ヒトに脅威となる病原菌を早期に見つけ、未然にパンデミックを防ぐこと」を使命としているはずの武漢ウイルス研究所は、この感染事例をWHOに報告していない。

ドラスティックは、墨江の洞窟の正確な位置を、グーグル・アースの過去の画像なども駆使して割り出すことに成功。これを受けて英BBCの記者が、2020年10月、墨江の洞窟を訪れようとしたが、私服警官に尾行された挙句、洞窟へと続く道の途中に故障トラックを置かれ、文字通り道を塞がれている。

2013年10月、「コウモリ学者」の異名をもつ武漢ウイルス研究所のコロナウイルス研究の第一人者、石正麗は、「ネイチャー」に「コウモリ由来のウイルスには、他の動物を媒体とせずとも直接人間に感染するものがある」とする論文を発表している。石正麗らのチームは、その後も、「どのウイルスが鉱夫に感染したのか」を突き止めようと、洞窟で採取されたコウモリのコロナウイルスを分析し、SARSに最も似たゲノム配列を持つウイルスをRaBtCoV/4991と名付けている。

そして、新型コロナの流行が始まった2020年2月3日、石正麗らは、「新型コロナウイルスのゲノム配列は、SARSと80%一致し、雲南省で採取されたコロナウイルスRaTG13は96.2%一致し、新型コロナに最も近い」と発表。当然、世界中の研究者が、RaTG13の起源について情報を求めたが、採取場所や時期に関する石正麗らの説明は二転三転する。

なぜウイルス名を変更したのか?

ドラスティックの最大の功績の一つは、「RaTG13はRaBtCoV/4991と同一だ」と突き止めたことだ。石正麗は、「分かりやすくするための名称変更だった」と釈明したが、おそらく「RaTG13と墨江の洞窟(2012年に感染が起きた)が関連づけられるのを避けるため」の名称変更だろう。

武漢ウイルス研究所が2010年から2015年までに採取した630ものコロナウイルスのデータを分析したドラスティックは、RaTG13に酷似したウイルスが他にも8つ(いずれも墨江の洞窟で採取)あることも突き止めた。

ドラスティックのウイルス学者のメンバーは、「RaTG13、RaBtCov/4491および雲南省南部・墨江の山奥の銅鉱山の掘削路との繋がりをあぶり出したことで、RaTG13の遺伝子解析は、『新型コロナ発生後』(『ネイチャー』掲載の石正麗の論文はそう主張している)ではなく、それ以前、すなわち2018年に行われたことが判明した(その後、『ネイチャー』は石正麗論文に「付録」を挿入)」としている。

いまや「武漢ウイルス研究所流出説」を検証するための重要情報を最も多く握るとされるドラスティックだが、有志で働くメンバーは、調査活動にどれほどの時間と労力を費やしているのか。匿名メンバーの一人(通称Billy Bostickson)は、「時給20ドルとして、昨年5月から7月だけで4万ドル分(2000時間)はつぎ込んだ」と話している。「細かく、忍耐を要する仕事で、本来なら国の秘密情報機関などがする仕事かもしれない」と話すのは、スペインの産業技術者のリベラだ。

ドラスティックの活動から今後も目が離せない。

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ドラスティックも含め、「流出説」再評価の動きを論じた近藤奈香氏の「武漢ウイルス『人工説』を追え!」の全文は、「文藝春秋」8月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

(近藤 奈香/文藝春秋 2021年8月号)

近藤 奈香

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