芸能界を去って20年、上岡龍太郎の「見事な生き方」に学ぶ

芸能界を去って20年、上岡龍太郎の「見事な生き方」に学ぶ

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2019/11/18
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いまもときどきあの毒舌が聞きたくなる。それまでの地位や人気に固執せず、スパッと芸能活動をやめた上岡龍太郎さん。なぜいまでも愛され続けるのか。発売中の『週刊現代』では、上岡さんの軌跡を振り返りながら、その秘密を探る。

本当に戻ってこなかった

表舞台から身を引いてまもなく20年が経つというのに、いまだに「あの人の姿をまた見てみたいな……」と懐かしがられる人がいる。

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」というキャッチフレーズで、'80~'90年代のテレビ界を席巻した、上岡龍太郎(77歳)その人だ。

ダウンタウンの松本人志(56歳)が、関西で30年以上続く人気番組『探偵!ナイトスクープ』の3代目局長に就任したと発表されたのは、10月25日のこと。

サプライズ人事に「松ちゃんが大阪のゴールデン番組に帰ってきた!」と手を叩いて喜んだファンは多いが、その一方で、ネット上ではこんな声があがったことも事実だ。

〈上岡龍太郎が初代局長を務めていたあの時代が懐かしいなあ……〉

2000年4月、突然芸能界を去った上岡さん。人気絶頂期の引退だっただけに、しばらくしたらまた復帰するのだろうと思っていた人も多いのではないか。だが、彼は自身の言葉通り、その後テレビの世界に姿を現すことはなかった。

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翻って世の中を見渡せば、いつまでも自分の地位に恋々としがみついたり、「元○○」の肩書にこだわって、引き際を失いずるずると余生を送る人が大半だ。だからこそ上岡さんの「見事な引き際」から学ぶべきことは多い。

過激さとインテリジェンス

高校卒業後、ロカビリーバンドのメンバーとして活動していた上岡さんは、1960年、横山ノックに誘われ横山フックと「漫画トリオ」を結成。正統派漫才で上方芸能界に旋風を起こした。

'68年に漫画トリオが解散すると、上岡龍太郎の名前で活動を開始。立て板に水のごとき流暢な話術と、博覧強記に支えられたユーモアと毒舌が受け、「恵まれない天才、上岡龍太郎です」の決まり文句とともに、関西芸能界のトップタレントとなる。

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毎日放送の元プロデューサー、影山貴彦・同志社女子大学教授がその魅力を振り返る。

「『芸人なんて暴力団と一緒や』『政治家になった芸人はおるけど、芸人になった政治家はおらん。だから、芸人のほうがエラい』といった、過激さのなかにユーモアとインテリジェンスがある発言で人気を呼びました。

『ナイトスクープ』の初代局長を筆頭に、笑福亭鶴瓶さんとのトーク番組『鶴瓶上岡パペポTV』、島田紳助さんと毎週実験的な企画に挑んだ『EXテレビ』など、テレビバラエティ史に残る番組のメインをいくつも務められた。

30代以上の関西人で、上岡さんの番組を見たことがないという人はほとんどいないと思います」

仕事に真摯であればこそ

ときには番組スタッフとの衝突もいとわなかった。有名なのが、『ナイトスクープ』の収録中に、企画内容に激怒し、スタジオから退席したことだ。

大学生の下宿先で心霊現象が起こるというので、現場を取材するという内容だったが、オカルト的なものを忌み嫌っていた上岡さんは、「面白がって『心霊現象はある』とテレビが言う、その責任と影響力について考えたことはあるのか」と担当ディレクターに激怒。そのまま収録現場から去ってしまったのだ。

「上岡さんの番組には、常にそういう緊張感があった。いまでも上岡さんのファンが多い理由のひとつは、こんなに真剣に番組と視聴者に向き合う人が少なくなったからでしょう」(影山氏)

その勢いは関西圏にとどまらず、'80年代後半には東京に進出。『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』『上岡龍太郎がズバリ!』など名前を冠した番組を何本も抱え、全国区でもその人気を確立する。

「当時の東京のテレビ業界にはあまりいなかったタイプの、厳しさと怖さをもった方でした。

一方で、自分の持っている話芸やテクニックについては隠すことなく教えてくれる。上岡さんとの日々は、勉強の日々。私は『上岡学校』の生徒の一人を自負しています」

こう話すのはTBSのゴールデン番組『上岡龍太郎がズバリ!』で共演したフリーアナウンサーの梶原しげる氏だ。

関西人気ナンバーワンの司会者と東京で番組をやることになったと聞いたときは嬉しさの反面、「下手に近づいたら切れ味鋭い視線と毒舌で、抹殺されるんじゃないか」と怯えた、と明かす。

「新番組の宣伝用のポスターを撮影したときのことです。カメラマンさんが『上岡さん、笑ってください!』とリクエストを出したら、『なんで面白くもないのに、笑わんとあかんねん』と真顔で返されて、その場に緊張が走ったことを思い出します。

番組でも、少しでも理にかなわないことがあったり、スタッフが本気を出していないとわかると、そこを見抜いて叱責されていました。その厳しさはいままで味わったことのないものでした」

ただ、怖さや厳しさはあっても、決してイヤなものではなかったと梶原氏は続ける。

「なぜなら、上岡さんの言葉にはウソ偽りがなかったからです。本気で怒ってくれる一方で、いい番組ができると、共演者にもスタッフにも『面白かった。よくやったね』と優しい言葉をかけてくれる。

上岡さんに喜んでもらえる番組を作ろうと、みんな家に帰るのも忘れて、毎晩遅くまで会議と打ち合わせを繰り返していました。いまでも上岡さんに教えてもらった『真摯に仕事に向き合う姿勢』は忘れていません」

視聴者はもちろん、業界内にも上岡ファンは着実に増えていった。ところが―。

「以前から上岡さんは『芸能生活40年を迎える2000年には引退する』と公言していたんですが、それは上岡さん特有のジョークだろうと思ってたんです。そうしたら、本当にきっぱり辞められた。

芸能界というのは定年もない世界ですし、人気がある間は長く続けるのが当たり前だった。それだけに、業界には衝撃が走りました」(前出・影山氏)

潔さの美学

58歳での早すぎる引退の理由について、本人は「ボクの芸が通用するのは20世紀まで」「落語や講談と違って、テレビの場合は年を取ったら老醜をさらすだけ」などと明かしていた。

真相は本人のみぞ知るところだろうが『ナイトスクープ』の放送作家を務めた小説家の増山実氏は「上岡さん流の謙遜で、本心は別のところにもあったのではないか」とこう振り返る。

「上岡さんの話芸と圧倒的なセンスなら、その後10年、20年と芸能界のトップに居続けることができたはずです。それでも引退を選んだのは、おそらく自分の限界ではなく、テレビの世界に限界を感じられたからではないでしょうか。

上岡さんの魅力のひとつが、視聴者や番組スタッフに媚びないストレートな物言いでしたが、いまのテレビは、局が視聴者の抗議やスポンサーのクレームを過剰に恐れて、問題を起こさないよう慎重になりました。

'90年代の終わりはそんな傾向が強まり出した頃。骨のあるテレビマンも減っていくなか、『芸能界では自分のやりたいこと、言いたいことを表現できなくなる』と敏感に感じ取ったのではないか。

窮屈さに合わせて仕事をするよりは、自分自身で引き際を選んだ。それが上岡さんの美学だったのかなと、こんな時代だからこそ思うことがあります」

地位よりも美学を選んだ

いまの地位に安住するよりも美学を優先した。その潔さが、いまも「上岡さんはすごかった」「もう一度あの姿が見たい」と懐かしむ声につながっているのだろう。

人間、高い地位につけばつくほど、引き際を決めるのが難しくなる。いまの組織から離れると、自分には何も残らないのではないかと不安になるが、かといって新しいことに挑戦する勇気はない。

結局、定年後も会社の名刺が捨てられず、外の集まりで知らない人に会ったときには、「○○社の元部長です」と挨拶してしまう……そんな人も珍しくない。

『50歳からの逆転キャリア戦略』の著者で、人材育成を行うFeelWorks代表の前川孝雄氏が解説する。

「特にひとつの組織で勤め続けた人は、定年を迎える直前になって、定年後にどう人生を過ごしていけばいいかわからなくなりがちです。他の組織で生かせる才能や経験があるはずなのに、そのタイミングを逃してしまう。

その結果、退職後も前の会社の肩書を名乗り続けたり、能力を持て余して再雇用者としてひっそりと働く人がいます。

退職の数年前から自分の引き際を考え、引退後に新しい人生のステージを楽しむための準備をすることが大切です」

いまでも義理は欠かさない

何年も前から引退を考え、その準備を進めてきた上岡さんは、引き際も一流なら「引退後の人生の楽しみ方も一流」だ。上岡さんをよく知る芸能関係者がこう明かす。

「引退後、上岡さんは奥さんと一緒に演芸や舞台を見に行くことを楽しんでいらっしゃいました。

神社仏閣にも関心をもたれていて、地方に旅行に行くこともしばしば。『戦火に見舞われた神社や寺に残っている傷を見ながら、その歴史に思いを馳せると、何時間でも平気で過ごせる』ともおっしゃっていました」

辞めると決めたことはスパッと辞めて、次はこれを楽しむと決めたものを思いっきり楽しむ。それが上岡流ということだ。

例外的に新聞や雑誌のインタビューに答えることはあったが、基本的には芸能活動はゼロ。

しかし、これまで世話になった人や、一緒に仕事をしてきた人への義理は欠かさず、友人の葬儀や知人の晴れ舞台に顔を出し、人前に出て話すことはあった。

'07年に営まれた横山ノック氏の葬儀で読み上げた「ノックさん。あなたは僕の太陽でした」からはじまる弔辞は、いまでも上方芸能界で語り種となっている。

また、前出・増山氏は、'16年に「大阪ほんま本大賞」という賞を受賞したとき、その祝いの席に上岡さんが出席してくれたと振り返る。

「壇上に上がって祝辞を頂いたんですが、これが引退して10年以上経つ人か……と本当に驚きました。表舞台から一度身を引いた人というのは、どうしても話のリズムやキレに衰えが見えるのが当然。

でも上岡さんの祝辞は、まったくブランクを感じさせない。テンポがあって笑いがあって、そしてやっぱりちょっと毒が混じっている。

『上岡さん、明日からでもレギュラー番組持てますよ』と、その場にいた人たちがみんな感じていました」

増山氏は若い頃、上岡さんに「最近、こんなことがあったんです」というと、しっかり話を聞いてくれて、別の人のところでも「この前、増山君が、こんなことあった、と言うててね」と話してくれるのが嬉しくて仕方なかったという。

「上岡さんはとても懐の深い人で、僕のような駆け出し者の話も喜んで聞いてくれた。芸人も、スタッフも、みんな上岡さんと話をしたがった。上岡さんの周りには、そんな輪が自然とできた。

いまでも、何か思いついたら、これ上岡さんやったらどう言いはるやろと思うことがあります。それが僕の指針になってます」

絶頂期に身を引いたからこそ、いまでも「あの人がいたらなあ」と思われる人生の、なんと素敵なことか。

発売中の『週刊現代』ではこのほかにも「サプリと薬 危険な組み合わせ」「首里城の火災保険 保険会社のまさか」「死ぬのが怖い人に読んでほしい大特集」などを掲載している。

「週刊現代」2019年11月23・30日合併号より

週刊現代の最新情報は公式Twitter(@WeeklyGendai)で

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