3兄弟の絆を描いたヒューマンな音楽映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」

3兄弟の絆を描いたヒューマンな音楽映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2022/11/26
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ビー・ジーズは不遇なバンドだ。1960年代後半から1980年代まで、長年にわたって数々のヒット曲を放っているのだが、多くの人々の記憶からは抜け落ちている。しかもほとんどが自分たちで作詞作曲したオリジナルなのに、音楽史的評価もあまり高くない。

途中、メンバーの出入りやバンドの解散、ヒット曲から見放されたスランプの時期もあった。1970年代に入って、それまでの美しいバラード中心の曲から、一転、ディスコ調の曲に「転向」したのも、評価としてはマイナスに響いているのかもしれない。

ビー・ジーズは1950年代後半に、バリー、ロビン、モーリスのギブ3兄弟で音楽活動をスタートさせている。出身はオートレースで有名なイギリスのマン島だが、両親とともにオーストラリアへと移住。1963年にオーストラリアでレコードデビュー、10代の頃からヒット曲を放ち人気を得ていた。

1967年、ビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインに見出され、イギリスに渡って3兄弟に2人のメンバーを加え「ニューヨーク炭鉱の悲劇」で世界デビュー。アメリカでも「マサチューセッツ」や「獄中の手紙」などがヒットチャートの上位にランクされる。

しかし、2年余りの活動のなかでメンバーの脱退やロビンの独立などが相次ぎ、バンドは空中分解状態となる。1971年、再起を期してシングルカットした「ロンリー・デイ」がヒットを記録すると、続いて「傷心の日々」は初の全米第1位に輝く。しかし、その後はまた路線の模索が続き、低迷期を迎える。

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「サタデイ・ナイト・フィーバー」は世界中にディスコブームを巻き起こした / Bill Bernstein/Courtesy The I a Hill Gallery. London

ビー・ジーズを再びスターダムにのしあげたのが、1977年に公開された映画「サタデー・ナイト・フィーバー」だ。その2年前に発表した「ジャイヴ・トーキン」からリズム主体のディスコ調の曲を手がけ、「サタデー・ナイト・フィーバー」にも「ステイン・アライブ」や「恋のナイト・フィーバー」などを提供したのだ。映画とともに、世界的大ヒットを記録する。

弟たちに先立たれた長兄の傷心
映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」は、その紆余曲折も多かったグループの誕生から解散までを追ったドキュメンタリーだ。クイーンのフレディ・マーキュリーをモデルにした映画「ボヘミアン・ラプソディ」の成功以来、音楽アーティストを取り上げた伝記作品が次々と製作されているが、「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」もその流れでつくられたものと思われる。

「ボヘミアン・ラプソディ」とは異なり、純粋なドキュメンタリーではあるが、ビー・ジーズの足跡自体がまるでドラマのように波瀾万丈であるため、なかなか見どころも多い。作品的にもかなり考えられた構成で、ビー・ジーズのファンならずとも興味深く観ることのできる内容となっている。

冒頭、タイトルバックには、1979年のカリフォルニア州オークランドで行われたコンサートの模様が流れる。曲は「傷心の日々」、当時すでに3兄弟だけのグループになっていたが、「どうしたら傷ついた心を癒せるだろう? 降る雨を止められるだろう? 」と長兄のバリー・ギブが未来の自身を暗示するような歌詞を歌っている。

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グループのリーダー的存在でもあった長兄のバリー・ギブ / Liz Patterson

本編の始まりは、2019年のフロリダ州マイアミからだ。ビー・ジーズが再びスターダムに返り咲くきっかけとなった所縁の地であり、現在もこの地に住むバリーが、海を眺めながら次のように述懐する。

「このごろ思う、真実なんてものはない。受け取りかたは人それぞれだ。肉親の死は人生の一部だ。最後に誰かが残される。でも僕にはすばらしい思い出がある」

このバリーの言葉は、3兄弟に訪れた皮肉な運命を指している。弟のロビンとモーリスは双生児で、バリーとは3歳違い。しかし2003年にモーリスが53歳で急逝、2012年にはロビンも癌によって62歳で逝去している(ビー・ジーズとしての活動はこの時点で終了した)。

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美しい歌声を持っていたロビン・ギブ / Chris Walter/Photofeatures

実は、3兄弟には10歳ほど年の離れたアンディ・ギブという弟もいて、バリーのプロデュースのもと、アイドルシンガーとして全米ナンバー1ヒットも飛ばしている。しかしそのアンディも、ビー・ジーズへの加入が発表された直後、兄弟のなかではもっとも早く1988年に30歳で亡くなっている。

作品は、その弟たちに先立たれたバリーの回想という形式をとっている。もちろん全編に流れるビー・ジーズの名曲の数々を楽しむこともできるが、時に近親者であるがゆえの諍いや、とはいえ音楽で結びついた堅い絆など、彼らの人生が色濃く反映されており、兄弟をめぐるヒューマンなドラマとしても観ることができる。

転機のきっかけはクラプトンの助言
作品中のロビンとモーリスのインタビューは、彼らがこの世を去る前の1999年に撮影されたものだが、その他のシーンのほとんどは、バリーも含め現存のアーティストや音楽関係者たちが登場する。

オアシスのノエル・ギャラガー、コールドプレイのクリス・マーティン、モーリス・ギブの元妻でもあった歌手のルル、エリック・クラプトン、ジャスティン・ティンバーレイクなどによるビー・ジーズの音楽に対する正当な評価や貴重な証言などが散りばめられている。

なかでもエリック・クラプトンの発言は出色で、ビー・ジーズがストリングスをバックにバラードを歌うボーカルグループから、リズムに重きを置いたバンドに戻るきっかけは、自分だったと明かしている。

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ビー・ジーズ、左からロビン、バリー、モーリスの3兄弟 (C)1978 Shutterstock/Photo credit:Lennox Mclendon/AP/Shutterstock

1974年、クラプトンは自身の転機ともなった名盤「461オーシャン・ブールヴァード」を発表するが、これを録音したのがマイアミのクライテリア・スタジオだった。同じ人物がマネージメントをしていた縁で、バリーと交流のあったクラプトンは、創作の壁にぶつかっていた彼に次のようにアドバイスしたという。

「君たちも英国でなく、米国で録音しろ。環境を変えたほうがいい。彼らの本質はR&Bだと僕は思っていた。開花するためには米国の空気に触れるべきだと」

このアドバイスでビー・ジーズはマイアミへと向かう。クラプトンと同じ家を借りて住み、同じクライテリア・スタジオで、のちに再ブレークのきっかけとなるリズムに重きを置きファルセット唱法を取り入れた「ジャイブ・トーキン」を録音する。

結果的には、これが「サタデイ・ナイト・フィーバー」の音楽にも直結し、ビージーズは再びヒットチャートをにぎわすアーティストとなる。クラプトンはこの復活について、「きっかけが僕だったら、人生最大級の偉業になるだろうね。僕の功績だ」とも語っている。

ビー・ジーズはほとんどすべての曲を自分たちで作詞作曲したオリジナルで勝負していたが、曲づくりに関してはスタジオにこもって3兄弟で意見を出し合いながら進めていたという。さらに彼らの特筆すべき才能は、その兄弟ならではの絶妙のハーモニーにもあった。

「(ビー・ジーズの曲は)王道のポップだが、それだけじゃない。兄弟の声だ。兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ。楽器を買えば、バディ・ホリーの音は真似できる。だけど誰もビー・ジーズのようには歌えない」

オアシスのロリー・ギャラガーが作品中でこう絶賛するように、「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」では、その美しいハーモニーもふんだんに聴くことができる。まさに素晴らしい音楽に彩られた天才ミュージシャンたちの伝記映画となっている。

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「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」は11月25日からヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにて公開 (C)1970 Shutterstock/Photo credit:South Coast Press/Shutterstock

ビー・ジーズがつくった曲は1100曲を数え、そのうちナンバー1ヒットが20曲、トップ10入りした曲に至っては70曲とも言われている。また彼らがつくったオリジナル曲を歌ったアーティストには、バーブラ・ストライザンド、ケニー・ロジャース、ディオンヌ・ワーウィック、ダイアナ・ロスなど、スーパースターが顔を揃える。

冒頭で「不遇なバンド」と書いたが、バンドとしては紆余曲折を繰り返してきているものの、振り返ってみれば音楽を創り出すアーティストとしては素晴らしい業績を残している。そして、それを支えてきたのは、オーストラリアから世界に飛び立った3兄弟の確かな絆であることを「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」は描いている。

言わばこの映画の「主役」でもあるバリー・ギブは、次のように語っている。

「僕たちは兄弟でなかったら30分ももたなかっただろう」と。

連載:シネマ未来鏡
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