
撮影=上澤友香
東日本大震災に遭い、被災者らを励ます自衛官に憧れた五ノ井里奈(ごのいりな)さん。自身も入隊を果たしたが、そこで絶望を味わう──。訓練中に起きた性暴力を五ノ井さんは告発し、組織との闘いの記録を『声をあげて』(小学館)にまとめた。
【写真】自衛官時代の五ノ井さん* * *
横浜の柔道場「小見川道場」で、五ノ井里奈は、子どもや女性たちの指導にあたっている。現在、23歳。五ノ井自身は長らく「フラッシュバック」のせいで、もともと大好きだった柔道に取り組めない日々が続いた。自衛官時代、隊員から受けた性暴力のことを思い出してしまうのだ。ひとたびそれが起こると、五ノ井は「生きている心地がしなくなる」という。
ただ、今年に入って、女性を対象とした柔道教室を開いたところ、全国から支援者が集まり、自分を支えてくれているのを彼女は実感した。それが嬉しく、五ノ井は元気を取り戻しつつある。
宮城県の沿岸部の町で生まれ育った。2011年3月11日、五ノ井が小学校5年生の時、あの津波がやってきた。自宅は暮らせる状態ではなくなり、一家は地元の公民館に身を寄せる。そこでは陸上自衛隊員が、炊き出しや入浴支援を行っており、五ノ井はある女性自衛官の姿に憧れた。
「いつか、この女性自衛官のように、ひとのために動けるようになりたい」
19年、柔道の推薦で大学に入学するも、半年で中退。故郷に戻り、母に告げた。
「自衛隊に入るわ」
20年3月29日付で、陸上自衛隊の自衛官候補生として、五ノ井は入隊する。厳しい前期教育が終わる際、班長は、「もしも、ひとりで乗り越えられない壁にぶち当たってしまった時、そんな時こそ、ここで培った絆を十分に発揮すること。たくさん頼ってほしい。決してひとりだと思うなよ。離れ離れになっても、ずっとずっとみんなで支えあって乗り越えていこう」と日誌に書いてくれた。
後期教育は、男女混合だ。東北方面特科連隊(郡山駐屯地)野戦特科X大隊Y中隊に配属。同期は5人、女性は五ノ井のみだった。そして21年6月24日、野営演習の訓練場で事件は起きる。後日、ある男性隊員は、五ノ井にこう言ったという。
「セクハラじゃなくて、コミュニケーションの一部だもんな」
性暴力はこれに留まらなかった。8月3日、北海道の演習場でも、それは起こった。五ノ井は上長に相談した。女性幹部は慰めの言葉をかけてくれたが、後日、女性幹部はこう言った。
「訓練は訓練だから」
結局は守ってもらえない。五ノ井は絶望した。訓練に顔を出せなくなり、自衛隊病院のメンタルヘルス科を受診し「適応障害」と診断された。組織の中で聞き取り調査を受け、起訴への準備を進めるも、療養中、給料は減額され、しだいに五ノ井は故郷の自室に引きこもる日々を送る。どうして被害者ばかりが、こうも窮地に立たされるのか。
22年3月16日夜、極限まで思い詰めた五ノ井は自殺を図ろうとした。ところが、死を思い留まらせる、ある天変地異が起きた。その瞬間、東日本大震災で生きたくても生きられなかった数多くの人々がいたことを、五ノ井は思い出した。
「自衛隊内の性暴力は、わたしだけが被害者ではない。(中略)
強い思いが芽生えた。
闘わなきゃ。あいつらを絶対に許さない」(『声をあげて』より)
五ノ井は語る。
「この時のことを本にまとめながら、『生きていて良かった』って改めて強く感じました」
6月2日、検察庁から一通の封筒が届く。嫌疑不十分により「不起訴処分」。同月28日、五ノ井は自衛隊を退職する。翌日、ネット上に、自身が受けた性被害を告発する動画が2本、配信された。大きな衝撃をもって、瞬く間に拡散。メディアも飛びついた。そのうち、五ノ井のもとまでいち早く足を運んでくれた記者がいた。岩下明日香氏。のちに五ノ井の自著『声をあげて』の構成を手掛けることになった。本の執筆作業は慎重に進められたという。五ノ井は振り返る。
「岩下さんは私に合わせてくれて、メンタル不調の時は『今日はやめようか』。痛みを分け合って、言葉を丁寧に引き出し、一緒に考えてくださいました」
事態は加速していく。8月末には、厳正な対処を求める署名が10万5296通集まり、防衛大臣政務官に提出した。9月9日、驚きの知らせが五ノ井のもとに舞い込んだ。
「不起訴不当」。五ノ井が巻き込まれた事件は、自衛隊内部と、検察によって、再捜査されることに。さらに、一人の隊員が性暴力の事実を認め、「直接謝りたい」と申し出た。同月29日、防衛省で幕僚長が謝罪。10月17日には、加害者4人の直接謝罪を五ノ井は受けた。
■憧れた自衛隊 今でも好き
加害者による謝罪の様子は非公開だったが、自著には克明に綴られている。12月15日、防衛省は計5人を懲戒免職に。同省はハラスメント被害の実態調査結果を公表、隊員(元隊員含む)からの申告制で1414件の申し出があった。五ノ井側も、オンライン署名サイト「Change.org」で同様にアンケートを実施したところ、性別・性的指向を問わず、酷い内容が多々集まった。五ノ井は言う。
「ずっと、自分の部隊だけが酷かったと思いたかった。いろんな部隊で被害があり、男性隊員の方も遭われていて言葉を失いました。でも、ものすごく勇気を出して言ってくださった」
23年1月30日、五ノ井は元隊員5人と国を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を横浜地裁に提起した。そして3月17日、福島地検は、元隊員3人を強制わいせつ罪で在宅起訴した。五ノ井は語る。
「女性隊員を増やすことも勿論大事だと思うんですけど、全部の男性隊員が悪いわけではない。上の人たちの(意識)改善が必要だと思います。もっと隊員を守ってほしい」
そしてこう付け加えた。
「自衛隊に対して強い憧れを持っていました。今でも、自衛隊のことを好きです」
裁判が始まる。あの日のことを、もう一度、法廷の場で蒸し返される。それでも闘いをやめない。
「記録として残すことによって、誰かが救われるとか、背中を後押しできればと思います。最終的には、ひとのためになる生き方をしたい。本当は、こんなに勇気を出さなくても、そこにいる環境で皆が声をあげていけばいい。その場で言える勇気を持ってほしい。『私は、今いる環境で何ができるだろう』っていう考え方に変わってほしい」
尊厳を取り戻すため、五ノ井の闘いは続く。(ライター・加賀直樹)
(文中一部敬称略)
※週刊朝日 2023年6月2日号
加賀直樹