【どーしょーるん】新聞社を辞めた宮崎園子「ジャーナリズム」は業界名なのか

【どーしょーるん】新聞社を辞めた宮崎園子「ジャーナリズム」は業界名なのか

  • JBpress
  • 更新日:2022/08/06
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昨年の8月6日、広島の平和記念公園で開かれた平和記念式典に出席した菅義偉首相(当時。写真:REX/アフロ)

朝日新聞広島版で連載「なにしょーるん」を執筆していた宮崎園子さん。その人気連載の続編として「どーしょーるん」の連載をJBpressにて開始します。宮崎さんが「ジャーナリズム」の視点でさまざまな問題を切り取る「どーしょーるん」第1回。(JBpress編集部)

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「のりのあとがない」で注目された1年前に抱いた疑問

会社勤めをやめて、1年が経った。25歳の頃から19年間新聞社で働き、その前に新卒で2年弱、金融機関に勤務したので、トータル21年間のサラリーマン生活に終止符を打ったことになる。新聞記者として最後の勤務地となった広島で、私はこれまで通り子ども2人を育てながら、取材したり、執筆したりということを細々と続けている。「人生の車線変更」をしたのはコロナ禍の入り口のころだったが、あっという間に、コロナ禍三度目の夏を迎えた。

去年の今頃は、忙しさにかまけてできていなかったことや、やりたくてもできなかったことなどをやりつつ、ゆるりと何かを書いていこう、ぐらいにのんきに構えていたのだ。だが、秋ににわかに忙しくなった。これまで取材をする側だった私が、取材を受ける側に、期せずしてなってしまったのだ。

昨年の夏、広島原爆の日に開かれた平和記念式典に参列した菅義偉首相(当時)が、恒例の首相あいさつの際に重要部分を読み飛ばし、その晩「のりがくっついてはがれなかった」と首相関係者が説明したとする報道が流れた。広島市が公文書としてあいさつ文を保管している事実を知った私は、原本を情報公開請求して閲覧し、のりがくっついてはがれた跡もなければ、そうなる構造でもないことを突き止め、取材結果をネット記事で配信した。それがSNSでバズったことから、在京ラジオ局などから取材を受けることになったのだ。

(参考:外部サイト)【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上)
https://infact.press/2021/10/post-13859/

そういう状況になるまで、私はあることについて、深く考えずに過ごしてきた。それは、自分で自分の肩書きをどう名乗るかという問題だった。

ジャーナリストって、ジャーナリズムってなんだ?

名刺には、「取材・執筆」とだけ記してきたが、取材を受けると、決まって「ジャーナリスト」という肩書で紹介された。そう呼んでいただけることについてはありがたいと思っている自分がいる一方で、どこか、しっくりきていない気持ちも正直あった。そして、ジャーナリストと呼ばれ出してから、ジャーナリストって、ジャーナリズムってなんだ?と考えるようになった。

なぜ、報道機関を辞めたらほぼ自動的に「ジャーナリスト」と呼ばれるようになるのだろうか。逆に、なぜ報道機関に所属している記者たちのほとんどは、自らを「ジャーナリスト」と名乗らないのだろうか。実際私自身も、単に「朝日新聞記者」というのが肩書きだと思ってきた。だが、フリーランスになると、途端に「ジャーナリスト」と呼ばれるようになる。組織ジャーナリズムの中で生きてきたので、そのように呼ばれて光栄だと受け止める一方で、自分で積極的に名乗っていないのには理由があった。

それは、「ジャーナリスト」と名乗ってしまうと、どこにも所属できないような気がしたからだ。新聞社時代、「客観・中立」こそが是であると叩き込まれ、ゆえに、地域社会にも、市民活動にも、何にも関わるべからず的な空気の中に生きてきた。そもそも、転勤続きで、地方都市に根を張って暮らし続けること自体が叶わない。

「当事者性」と「ジャーナリズム」と「市民社会の一員」と

だが私は、広島という地域社会で子どもを育てる母親であり、広島県・市に地方税を納める納税者であり、広島で選挙権をもつ有権者でもある。私が新聞社を退職することにしたのは、そういう自分の「当事者性」のようなものを自分の中で大事にし、市民社会の一員であるというスタンスを明確にした上で、その立場から見えてくる社会課題のようなものを報じていくことが、新聞社においては困難だと感じたからだった。地域社会に対して、傍観者でいたくはない、一記者である前に一生活者だと。生活者である自分を犠牲にしてまで、新聞記者でいたいとは思えなかった。

だから、退職後は放課後児童クラブの役員をやったり、市民団体の運営委員をやったり、被爆者団体の事務局の手伝いをしたり、といった地域との関わりを積極的に持ちながら、生活をしてきた。一方で、そういう自分が「ジャーナリスト」と名乗ると、どこからか横槍が飛んできそうな空気をヒシヒシと感じるから、私は自らそう名乗ってこなかった。

周りを見渡すと、ジャーナリストとは名乗っていないけれど、ジャーナリスティックな人たちはあちこちにいる。例えば、時事芸人のプチ鹿島さんや、ラッパーのダースレイダーさん。いずれも時事問題に対する解説力や社会課題の提起力、公権力に対する批判的な視点を明確に持っており、かつ現場に足を運ぶ取材者でもある。特にプチ鹿島さんは、さまざまな媒体に、精力的に記事を書いている。

そんな風にあれこれ考え続け、最近になってなんとなく見えてきたものがあった。それは、「ジャーナリズム」というのは、いわゆる一つの「スキル」であり、所属する世界といったようなものではないのではないか、ということだった。プチ鹿島さんやダースレイダーさんも、彼らのやり方でジャーナリズムを実践している人々なのではないだろうかと。そして、「ジャーナリズムのスキルを持つ一市民」あるいは「ジャーナリスティックな一市民」といった立ち位置が、私自身にとって、「そうありたい」と最もしっくりくる。

「脱サラ」「女」「地方」という視点から見えてくるもの

全国区のマスメディアは今、読者減やメディアの多様化を背景に、どんどん体力が落ちていて経営に余裕がなくなっており、その煽りで地方の取材網からどんどん人が削られている。コロナによって、リモート取材が国内外しなやかにできるようになり、一般の企業などでは、転勤を廃止したり、居住地を問わない運用を始めるところも増え、場所を選ばずに働くことができる環境がすごいスピードで整いつつあるにもかかわらず、マスメディアの多くはまるで時代に逆行するように、どんどん人員を東京に集中させている。地方に転がっている様々な話題や社会課題を、じっくり取材して掘り下げるといった環境はどんどんなくなりつつある。地方取材網は、民主主義の毛細血管だと思って仕事をしてきたが、今のままでは、毛細血管が壊死しかけているように思う。

そういう状況にあって、私は広島で、ジャーナリズムのスキルを生かしつつ、一生活者の目線でものを書いていきたい、と考えている。何でもかんでも、「中央」の理屈で物事が決められて、進められていく社会に対して、小さく抗いつつ、子どもたちの未来を見据えながら書くべきことを書いていきたい。

そういう心持ちでいる人間にとって、地方で暮らしているということ、組織に属さないフリーランスであるということ、そして、女であるということは、割とアドバンテージなのかもしれない、と昨今感じている。どの要素をとっても、力の弱い立場にあるがゆえに、一見しんどい要素ばかりに見えるかもしれないし、実際、サラリーマン時代は、悔しい思いしかしなかった。だが、弱い立場にいる方が、世の中の不条理や不公正、不具合に、元来気付きやすい。マジョリティより、マイノリティの方が、世の中の歪みは間違いなくよく見える。

コロナという想定外の事情を経て、「脱サラ」の道を選んだ私だが、果たして、19年間鍛えてきた「ジャーナリズムのスキル」を、どういうところで生かすことができるだろうか。しっかり地に足をつけて、じっくり考えていきたい。

宮崎 園子

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