内藤哲也から見たオカダ・カズチカ前編「焦りが生じましたね」...新日本プロレス歴史街道50年(64)【週刊プロレス】

内藤哲也から見たオカダ・カズチカ前編「焦りが生じましたね」...新日本プロレス歴史街道50年(64)【週刊プロレス】

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  • 更新日:2023/01/25
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2012年2月12日、新日本マットに衝撃が走った。オカダ・カズチカが2010年代後半からエースの座を確固たるものにしていた棚橋弘至を破り、初挑戦でIWGPヘビー級王座を奪取したのだ。初挑戦で新日本の至宝を手にしたことも異例なら、中邑真輔に次ぐ史上2位の最年少王者となったのも特筆すべきこと。ただ、その時点ではラッキーな勝利との見方が強かった。そのままエース路線を突き進むのか。そこに待ったをかけたのが内藤哲也だった。その瞬間、両者のライバル闘争の火ぶたは切って落とされた。

◇     ◇     ◇

2012年の1・4東京ドーム。その日、1年10カ月にわたる海外修行を終えて“レインメーカー”となったオカダ・カズチカが凱旋マッチをおこなった。ただ、タイトルを獲得することもなく帰国したことで、凱旋試合と銘打たれながらも、さほど注目を集めることはなかった。しかし、ここから新日本マットは大きく動く。YOSHI-HASHIに勝利した1勝だけで新日本の頂点であるIWGPヘビー級王座への挑戦をぶち上げたのだ。

なんの実績もなく“絶対エース”とのタイトル戦が実現しただけでも異例。ちょうど棚橋がV10を果たし、主なトップクラスひと通りの挑戦を退けたタイミングだったことがオカダに味方した。しかもベルトを奪ったのだから、50年に及ぶ新日本の歴史においては、藤波辰巳が雪のニューヨークでWWWF世界ジュニアヘビー級王座(当時)を獲得したと並ぶほどの衝撃。この事件は“レインメーカー・ショック”の名で歴史に刻み込まれた。

そして、新王者の初防衛戦を相手に名乗りを挙げたのが内藤哲也だった。この瞬間、両者の“10年闘争”の幕が切って落とされた。前年の10・8両国で初挑戦したものの敗退していた内藤。オカダに先を越された形になったが、当時の心境をこう語る。

「オカダが1・4でああいう行動を起こして挑戦することになりましたけど、普通に棚橋が勝つと思ってました。だったら勝った棚橋に挑戦表明しようと考えてたんですけど、ああいう結果になって。当時のチャンピオン棚橋に勝ったというのは確かにすごいことだけど、俺がオカダに負けることはないなと。棚橋弘至からベルトを取るってイメージしてたので、理想が崩れてしまったのは残念だけど、これで逆に取りやすくなったなと。20代のうちにIWGPチャンピオンになるんだろうなって思いました」

そして40周年となる「旗揚げ記念日」(同年3・4後楽園)で挑戦。しかし返り討ちにあった。試合後、内藤は「生え抜きじゃないオカダに負けた。その現実はしっかり受け止めます」との言葉を残したこの敗北から、オカダのことを強烈に意識するようになった。

「思い描いていたのと違う現実を突きつけられたときに、焦りが生じましたね。それまでは甘く見てたっていうか」と振り返ったが、それまではオカダの凱旋を心待ちにしていたという。
「当時の自分には世代交代っていうのがテーマにあって。でも初挑戦で棚橋さんに負けた。1人だけじゃ時代を変えるのは難しいなって感じましたね。そういう意味で、あくまでも自分の後ろにいる存在として、“新しい新日本を作っていこうぜ。だから早く帰ってきてくれ”っていう思いでいました」

(この項、つづく)

橋爪哲也

週刊プロレス編集部

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