
街中を行くタクシーのイメージ(画像:写真AC)
運転手が受ける「厳重注意」とは
東京都内では約4万7000台のタクシーが、都心から下町、住宅街まで、まさに迷路のような道を日夜走り回っている。ここでは現役タクシー運転手の筆者が見てきた現場でのエピソードを紹介しつつ、タクシー業界が抱える課題を取り上げてみたい。
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タクシー利用客の多い駅前、病院、大型商業施設などからタクシーに乗車して、嫌な気分になったことはないだろうか。
よくある苦情の一つが「○○駅から乗ったが、近距離だったせいか運転手に嫌な顔をされた」と、当該の会社や業界の監督機関である東京タクシーセンターに通報されるケースだ。
嫌な顔だけで済めば、もちろん良くはないがそれほど大きな問題にならない場合が多い。ただし「ため口」でも使ってしまった際には、その運転手は厳重な注意を受けることとなる。それほど大きな問題なのだ。
“注意”の内容とは、どのようなものなのか。

街中を行くタクシーのイメージ(画像:写真AC)
乗車拒否なら さらに重い処分が
通報のあった勤務明け、疲労した状況で半日以上は、ドライブレコーダーを基にして始末書を取られる。こんこんと説教をされる。
これが悪質な乗車拒否や途中降車ともなれば、クビも覚悟した方がいい。
無事故表彰やタクシー歴がいくら長くても接客業としてアウトだろう。
タクシー運転手にとって特に大事な客というと、支払額が大きくなる長距離客と思われがちだが、実は違う。近場の利用者ほど、毎日のように乗ってくれる大切なお客さんだ。
もちろん乗客に優劣など付けはしない。それでも「目的地が近いから」といって不機嫌になるのは、思い違いも甚だしい。
女性客からのクレームが多い理由
タクシーに関して苦情を入れるケースが多い乗客はどのような属性か。
筆者の実体験や同僚たちへの聞き取りでは、若い女性からのものが多いという印象だ。
先日はこのようなことがあった。東京随一の繁華街を抱える一角でのこと。大通りを右折したところで若い女性が手を上げた。
「お客さん、どちらまで」
すると、行き先を指示せず「真っ直ぐ行って」とだけ告げ、女性はスマートフォンとにらめっこしている。
「真っ直ぐというのは、どの辺りまで真っ直ぐでしょうか?」
「いいから真っすぐ行ってよ」

街中を行くタクシーのイメージ(画像:写真AC)
思わずため口が出てしまった瞬間
車は少し走って巨大な交差点のど真ん中まで来た。途端に女性は「あ、ここ右」と大きな声で指示してきた。交通量も多いし、急なことですぐには曲がれない。車は当然、交差点を過ぎてしまった。
あまりに突然だったので、うっかり「えー! 危ないよ、もっと早く言ってよ」とため口が出てしまった。
女性客は口を尖らせ「何やってんのよ。言った通りに走ってよ。右って言ったでしょ」と色をなす。思いがけない叱責(しっせき)に驚いたものの、ため口を使ったのは完全にこちら側の落ち度だ。
「大変に申し訳ありません。この先を回って言われた所に戻ります。その分はキャッシュバック(返金)しますから、どうかご勘弁ください」
そう平謝りして、どうにか許しを得ることができた。
こうした例などは、繁華街などのある営業エリアによっては少なからず起こりうる。苦情として通報されるかどうかは、紙一重だろう。
行き先を乗車時にきちんと聞かなかった筆者にも非がある。ただ、同僚たちからも「女性客はタクシーの接客対応にナーバスであることが少なくない」と聞かされる。
これだけ聞くとあたかも女性が悪いかのような印象を持たれるかもしれないが、別の見方をすることができる。

街中を行くタクシーのイメージ(画像:写真AC)
乗客との会話の難しさとは
女性たちは、今ほどタクシー運転手の振る舞いが厳しく指導されていなかった時代、乗車の際に横柄な態度を取られて嫌な思いをしたり、辟易したりした経験があるのではないか。
知り合いの女性も若い頃、終電後のターミナル駅から千数百円ほどの距離にある自宅までと告げたとたん「そんな近いところ乗せられないよ」と乗車拒否に遭った経験があると聞かせてくれた。
男性客には敬語で話すのに女性客にはため口、という運転手も、かつては一定程度いたようだ。
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乗客に対する態度は言わずもがな、慎重であるのに越したことはない。みずから積極的に話しかける運転手も、昨今は減っているのではないだろうか。
ただ個人タクシーを中心に、自身の珍しい体験談を面白おかしく披露する運転手もいて、乗客にとって楽しい時間となることもある。
たまたま居合わせた飲み屋さんで隣り合った者同士が、一期一会の会話に花を咲かせるようなものだろうか。打ち解けた空気が広がれば、多少のため口が混ざってもケースバイケースで許されるのかもしれない。
ただし、そのような空気をどの運転手もが常に作れるわけではない。独りよがりな態度は言うまでもなく相手を不快にさせてしまう。接客業の難しさがそこにはある。
※記事中に登場するエピソードは、プライバシーに配慮し一部編集、加工しています。
橋本英男(フリーライター)