「史上最悪の暴力団抗争」80年代「山一抗争」はいかにして収束したのか 山口組対立抗争の終結に足りない“ある要素”とは?

「史上最悪の暴力団抗争」80年代「山一抗争」はいかにして収束したのか 山口組対立抗争の終結に足りない“ある要素”とは?

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/06/23

「結局はカネと人事の問題だった」 7年目を迎えた山口組対立抗争 なぜ日本最大のヤクザ組織は分裂したのか? 対立の裏にあった「名古屋支配」と「上納金」から続く

国内最大の暴力団「6代目山口組」と、そこから分裂した「神戸山口組」との間の対立抗争は間もなく7年となり、異例の長期にわたっている。

【画像】今年に入って日本で2番手の勢力を誇る住吉会の関功代表も死去。献花台には司組長をはじめ、多くの主要暴力団組長の献花と名札が

現状は6代目山口組が攻勢を強め、神戸山口組の勢力は縮小傾向にある。現在は神戸山口組組長の井上邦雄の引退と組織の解散などをめぐり、水面下で交渉が行われているとされるが6代目山口組側も決め手を欠いているのが実態のようだ。

過去にも暴力団組織内の主導権をめぐり分裂・対立抗争となったケースは多いが、いずれも収束している。山口組をめぐる対立抗争状態は過去類を見ないほどの長期間となっており、非常事態が続いている。

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神戸山口組側に離脱者が相次ぎ、勢力差が鮮明に

「命の保証はするから引退して神戸山口組を解散しろ」

警察当局によると、現在6代目山口組を実質的に運営している若頭の高山清司は、仲介者を通じて神戸山口組組長の井上にそう迫ったという。引退と組織の解散をすれば、井上の自宅の土地建物の所有や預貯金などの財産についても保証すると伝えたとされる。

6代目山口組側がこうした交渉を進める背景には、対立抗争事件を次々と引き起こすことで、神戸山口組側に離脱者が相次ぎ、勢力差が鮮明になってきていることがうかがえる。

最も衝撃的だった事件は、2019年11月に発生した神戸山口組幹部・古川恵一が自動小銃で数十発の銃弾を浴びて殺害された事件だった。古川の全身は蜂の巣のような状態だったという。この事件後、神戸山口組の有力傘下組織が相次いで離脱していく。勢力縮小が加速を始めたのだ。

6代目の構成員約4000人に対し、神戸は約510人

神戸山口組の勢力が減少傾向となるなかで、水面下での交渉は続けられていたとされる。ただ、これまでは交渉には応じるが、結論にいたることはなかった。今年5月以降、6代目山口組側が引き起こす対立抗争事件が続発している背景には、分裂問題収束に向けた6代目山口組側の「いら立ちではないか」(指定暴力団幹部)との見方や、「焦りを感じていることがうかがえる」(警察当局の幹部)との見解もあり、憶測を呼んでいる。

2021年末時点で、警察庁が全国の暴力団構成員数の集計を取りまとめたところ、6代目山口組は約4000人。対して神戸山口組は約510人となっている。勢力差は歴然としているのが実情となっている。

そもそもの出発点を振り返れば、神戸山口組を結成した中心組織は山健組だった。山健組は5代目時代には組長を輩出し、山口組内の最大派閥として君臨していた。関東で活動している指定暴力団幹部は、「関西どころか全国の暴力団社会に山健組の威光は伝わっていた。ヤクザ社会の金看板といって差し支えない」と解説する。

「すべてカネが問題」神戸山口組組長の井上を非難

2015年8月の分裂以降、当初は神戸山口組に加入する暴力団組織が相次ぎ、勢いがあったのは事実だった。2015年11月、6代目山口組の直系組織である熊本組が加入。直系組織の移籍は驚きのニュースとして伝わった。さらに12月には同じく直系組織の古川組も移籍した。さらに、暴力団業界では重鎮とされた、太田守正が率いた太田興業の加入も明らかになり勢力は増強されていった。

しかし、2017年4月、勢力縮小の始まりとなる出来事があった。

神戸山口組最高幹部の織田絆誠が一部勢力を引き連れて離脱。織田を代表とする任侠団体山口組が結成された。同組は結成時に異例の記者会見を開き、神戸山口組を痛烈に批判した。上納金を低く抑えるはずだったが、臨時徴収などが始まり異常な金銭の吸い上げがあったと明かした。

2度目の記者会見では神戸山口組結成について、「山口組史上例を見ない『大型分裂詐欺事件』であった」と暴露。「大義も志もない、上に立ってはならない人物が上に立ってしまった」と、名指しはせずとも神戸山口組組長の井上を非難した。当時、警察庁幹部は、「6代目の分裂も問題はカネ。神戸山口組の再度の分裂も問題はカネ。すべてカネが問題」と指摘していた。

分裂状態が流動性を増すなか、2019年11月、前出のように古川が射殺された。

神戸山口組から中核組織の山健組、池田組が離脱

2019年の12月、太田は突然引退を表明。熊本組も解散することとなった。この年は、さらに神戸山口組から中核組織の山健組、池田組が離脱することが明らかになり、暴力団業界に衝撃的なニュースとして伝わった。

山健組をめぐっては2019年4月、若頭の与則和が刺されて負傷する事件が発生。後に組長の中田浩司が報復のため自らヒットマンとなり、逮捕される異例の事態となる。池田組では2016年5月と2020年5月に2代続けて若頭が銃撃される事件が起きていた。中田は報復に乗り出したが、事前にはいずれも神戸山口組として報復を許すことはなかった。

「報復を許さなかった理由は不明だ」(警察庁幹部)とされているが、こうした事情もあり山健組と池田組は神戸山口組を離脱。山健組は6代目山口組に復帰、池田組は独立組織となった。

現在、分裂をきっかけとして6代目山口組、神戸山口組、絆会、池田組と4組織が暴力団対策法に基づき指定暴力団とされている。国内の指定暴力団は25組織のため、このうち4組織を山口組系が占めるという奇妙な事態となっている。

一和会の弱体化…会長自らの引退と組織の解散

山口組をめぐってはかつて4代目組長の座をめぐり史上最悪の暴力団抗争とされた「山一抗争」が起きた。4代目組長に竹中正久が就くことを不満としたグループが離脱して1984年6月、一和会を結成したが、分裂したことで対立抗争状態となった。

分裂後、最も暴力団としての暴力性がむき出しになった事件が1985年1月に発生した。竹中と若頭・中山勝正ら3人が大阪府吹田市で一和会系のヒットマンらに一度に射殺されたのだ。被害の大きさに山口組側の巻き返しは激しく、猛反撃を受けて一和会は衰退を始めた。

一和会の勢力は当初、約6000人とされたが、途中で有力な組長らが組織を離脱するなど弱体化し、最後はごく少数となった。いつ襲撃されるか分からぬ状態となり、一和会会長の山本広は自宅軟禁同然だった。山口組に対抗することを断念した山本は1989年3月、自らの引退と組織の解散を兵庫県警に届け出た。

対立抗争の終わりはいつなのか?

その後、山本は神戸市内の山口組総本部を訪れて謝罪した。仲裁には稲川会などの有力組織が活動したとされている。山口組はこうした経緯をたどり5代目体制となっていく。山本は引退から約4年後の1993年8月に68歳で死去した。警察庁によると、山一抗争では317件の事件が発生し双方で25人が死亡するといった事態を招いた。

山一抗争当時の事情を知る指定暴力団の古参幹部は、今回の6代目山口組分裂抗争と比較して次のように指摘した。

「山一抗争の際には最終的に有力なほかの組織の大幹部が仲裁に動いた。今回は、巨大になり過ぎた6代目山口組と神戸山口組の双方に収束に向けて強力に仲裁に入る人物がいないのだろう」

混沌を極めた現在の対立抗争。終わりが見えるのはいつなのだろうか。(文中敬称略)

(尾島 正洋/Webオリジナル(特集班))

尾島 正洋

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