シャイだったはしだのりひこさん、知られざる素顔 同志社時代は学校サボってプロモーター活動

シャイだったはしだのりひこさん、知られざる素顔 同志社時代は学校サボってプロモーター活動

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  • 更新日:2017/12/07

今月2日、パーキンソン病のため、72歳で死去したフォーク歌手、はしだのりひこさん。5日には京都市内で通夜が営まれ、多くの音楽仲間やファンが最後の別れを惜しんだ。かつて取材で知ったはしださんの知られざる素顔を、ライターの中野晴行氏が振り返る。

はしださんに直接お会いしたのは、かれこれ20年前。当時、産経新聞関西版の夕刊で担当していた「関西フォークの20年〜昨日の想い出〜」という連載記事の取材で、京都のご自宅を訪問したときだった。

連絡先などを教えてくれた知人からは「はしださんは難しい人だから」と聞かされていたが、開口一番「なんでも聞いてください」と言われて驚いた。はしださんは、奥様の入院をきっかけに「専業主夫」となった顛末を書いた『お父さんゴハンまーだ』(1986年・教育史料出版会)がベストセラーになり、教育関係の講演や取材、執筆依頼が続いていた時期。フォークについて語ることができる取材をとても喜んでいた、とのちに奥様から聞かされた。

お話をうかがって驚いたのは、「同志社時代は不良学生。学校をサボって京都で学生バンドのプロモーターみたいなことをやってました」というひとこと。大学在学中に仲間たちとドゥーディ・ランブラーズというカントリー・バンドを結成する一方、学生バンドを集めたコンサートの企画・運営・主催者として活躍していたのだ。

「そこに出演していたのがアマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズ。アメリカのコピーばっかりのほかのバンドとはどこか違うんで、いっちょフォークルを売り出したろうと頑張っていたら、『帰って来たヨッパライ』が深夜ラジオから大ヒット。メンバーはこの時点で解散するつもりやったけど、加藤和彦と北山修が残って1年間限定でプロとして続けると決めて、僕が新メンバーに加わったわけです」

大島渚監督の松竹映画『帰って来たヨッパライ』(68年)の撮影秘話や、フォークブームの殺人的なスケジュールなど、貴重な歴史をたっぷりうかがい、写真撮影となったとき、少し薄くなりかけていたはしださんの髪を、奥様がさりげなく直した。「かめへんて」と照れくさそうにカメラに向かったはしださんの笑顔がとてもチャーミングだったのを思い出した。「難しい」と思われていたのは、シャイな人だからなのだ。

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在りし日のはしださん。フォーク界のレジェンドがまたひとり、この世を去った

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