雪国の風物詩「横手のかまくら」をつくる本当の意味

雪国の風物詩「横手のかまくら」をつくる本当の意味

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  • 更新日:2018/02/17
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2018/02/16 08:14 ウェザーニュース

冬の秋田県横手市といえば「かまくら」が有名です。例年、2月15~16日に開催される「横手の雪まつり かまくら」は、横手市内の中心部に約100基の「かまくら」がつくられ、雪国ならではの冬の風物詩となっています。

横手市で「かまくら」がつくられる理由について、横手市観光おもてなし課の松下大佑さんに聞きました。

なぜ「かまくら」をつくるのか?

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「かまくら」には約450年の歴史がある

「横手の『かまくら』は、約450年の歴史があるといわれています。もともと民俗行事なんです。ですから『かまくら』は見るものでなく、中に入って、正面にまつられた水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するものだったのです。

水神様を祀るのは、この地方はもともと稲作が盛んな地域であったため、水不足にならないように、良い水に恵まれるようにと祈りを込めたといわれています」(松下さん)

水神様を祀っている

松下さんによると、江戸時代、武家の住んでいる横手の内町では、旧暦1月14日の夜、四角い雪の壁を作り、その中に門松やしめ縄などを入れ、お神酒や餅を供えてから燃やし、災難を除き、子どもの無事成長を祈った“左義長(さぎちょう/小正月の行事で全国各地にある)”の「かまくら」があったといいます。

一方、商人の住んでいる外町では、旧暦1月15日の夜、町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀り、良い水に恵まれるようにと祈ったとか。

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昭和47年の「かまくら」の風景

「大正の終わりごろまでは、町内ごとに『かまくら』がつくられていました。外町では水神様を祀り、内町では鎌倉大明神を祀ったそうです。かつて、雪がしんしんと降る夜、町内の「かまくら」から灯りがこぼれ、子どもたちの声が聞こえてくる情景がみられたといいます」(松下さん)

甘酒がふるまわれる

「かまくら」の内部は、大人が4~5人程度が入れるほど広く、中から子どもたちの「はいってたんせ(かまくらに入ってください)」「おがんでたんせ(水神様を拝んでください)」と声をあげながら、甘酒やお餅をふるまったのです。

現在の「雪まつり」の期間中も、「かまくら」に「はいってたんせ!」「甘酒(あまえこ)あがってたんせ!」と「かまくら」の中から声がこぼれ、甘酒やお餅などを食べながら、夜が更けるのも忘れて“話っこ”に花が咲くといいます。

横手の「かまくら」は、1936(昭和11)年に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが、その雪国の日本美に感動し、著書の『日本再発見』で絶賛したことでさらに盛んになったともいわれています。

わたしたちは「かまくら」に何を見て、何を発見できるのでしょうか。

かまくらの作り方
1959(昭和34)年に、モデルかまくらが作られてから、現在のようなかまくらになりました。横手市観光協会では、次のように指導しています。

(1)雪を積み上げる
かまくらの大きさを印す円を描き、その中に雪を積み、踏み固めながら積み重ねていきます。 高さは約3mぐらいにします。

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雪を踏み固めながら重ねていく

(2)穴掘り
正面入口部分に印(縦約1.3m、横約0.7m)をつけ、そこから掘り始めます。壁の厚さを50cm位残し、内部を大きく掘り上げます。

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正面部分を掘る

(3)仕上げ
内側と外側の壁になる部分を滑らかにまるく仕上げます。最後に内部の正面に神棚を作って出来上がりです。

※「かまくら」の語源については、竈(かまど)の形と似ているからという説や神座(カミクラ)からかまくらになった、鎌倉大明神を祀った、鎌倉権五郎景政(後三年の役において16歳で勇敢に戦った)を祀ったなど諸説があり定かではありません。

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