九州大から初のプロ野球選手へ..."異色すぎるサウスポー"芦谷汰貴が追いかけた夢

九州大から初のプロ野球選手へ..."異色すぎるサウスポー"芦谷汰貴が追いかけた夢

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/11/25

プロ野球界は日本シリーズ、ドラフト会議、秋季キャンプを終えて、完全にオフシーズンに入った。野球ファンとして、冬は何だかぽっかり心に穴が開いたような気持ちになる。それは大好きな野球の試合がないから、だけではない。選手の退団、戦力外通告、トレード、引退……と別れの季節でもあるからだ。

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プロ野球の世界で長い間活躍出来る人はほんのひと握り。入ることすら難しい世界だ。この時期になると改めてそう思う。

そんなプロの世界を夢見て、死ぬ気で戦ってきた熱い男がいた。

でも、彼はその世界に足を踏み入れることが出来ぬまま、ユニフォームを脱ぐ決断をした。

寂しさが拭えぬ秋になった。

火の国サラマンダーズ 芦谷汰貴投手。今年の独立リーグNO.1を決めるグランドチャンピオンシップで火の国サラマンダーズを初優勝に導く熱投を見せた左腕だ。今季、芦谷投手は九州アジアリーグで投手3冠、MVPにも輝くなど、文句なしの成績を収めた。やれることはやり尽くし、希望を持って迎えた10月20日のプロ野球ドラフト会議。最後の最後まで指名を待ったが、名前を呼ばれることはなかった。

ドラフトを終えてすぐの芦谷投手は、悔しさや戸惑いで落ち着かぬ様子だった。必死に言葉を紡いで報道陣の取材に対応していた。当然、これからのことは白紙。NPBでプレーすることだけを目指して1年間駆け抜けてきたため、それ以外は全くイメージしていなかった。

まだまだやれる自信はある。もっともっと伸びる手応えも感じていた。挑戦し続けたい気持ちも消えてはいなかった。

しかし、独立リーグで“1年勝負”と覚悟を決めて戦ってきた芦谷投手は、この秋ユニフォームを脱ぐ決断をしたのだった。

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火の国サラマンダーズで奮闘してきた芦谷汰貴投手 ©上杉あずさ

私自身、この芦谷汰貴という選手にはすごく思い入れがある。彼が戦ってきた軌跡を忘れたくないという思いでこのコラムの筆を執らせて貰う。

自分から“営業”してくる「面白い子」

出会いは3年前に遡る――。

キッカケはインスタグラムのコメントだった。私は、福岡のRKBラジオ『ホークス&スポーツ』という番組で、未来のスター候補たちにスポットを当ててエリアの様々なアスリートを紹介する“ミラスタ”というコーナーを担当している。中でも、福岡の大学野球にフォーカスすることが多く、当時から九州共立大や福岡大を初めとする県内の名門大学の野球部を取材してきた。ある時、インスタでそのコーナーの告知をした時のことだった。

「九州大学の2年で投手してます! 僕も取材して下さい」

「次の春、活躍するので頭の片隅にでも入れといて頂けたら嬉しいです」

突然の売り込みに驚いた。

彼の名は九州大学硬式野球部の芦谷汰貴。もちろん、面識もなかったし、申し訳ないが当時は知らなかった。しかも、難関国立大学の選手からというのにも驚いたし、自分から“営業”してくるなんて「面白い子だな」と思った。その時は「機会があれば」というような当たり障りのない返事をした覚えがあるが、気付けば私も自然と芦谷投手の登板をチェックするようになっていた。投げっぷりのいいサウスポーで、スライダーも光っていた。そして、そのラジオ番組でネタを探していた時、「あ! あの子、本当に取材に行ってみようかな」。そう思って九州大学の野球部に連絡させてもらい、取材が実現。それが始まりだった。

九州大学のグラウンドに足を運ぶと、その芦谷汰貴という人物は、想像通り変わっていた(笑)。もちろん、良い意味で。めちゃくちゃ練習するし、めちゃくちゃ喋る。そして、とにかく貪欲。番組で紹介しきれないほどたくさん自身の話をしてくれたが、こちらへの“逆取材”も積極的だった。普段、福岡ソフトバンクホークスの取材をしている私に「ホークスの選手はこういう時、どうしていますか?」「ホークスの選手はどんな練習をしていますか?」とプロ選手の姿を学ぼうと質問してきた。さらには、取材に行った他大学の選手たちのことも気になるようで質問攻め。とにかく、学ぶ意欲が凄すぎた。

さらに凄いのは、その話した内容が全て頭に入っているところだ。未だに初めて取材に行った時に話した内容を彼はハッキリと覚えている。「上杉さんはあの時こう言いましたよね」というように。記憶力オバケ。「お会いする前に相手のことは調べておかないと失礼ですよね」と言って、私のWikipediaに書いてあるプロフィールも丸暗記していた(笑)。

当然、それは野球でも生かされていて、「何年何月何日にどこどこで試合があって……」と過去を回想する時にもとんでもなくとんでもないのだ。学業優秀な九大生という枠には収まらない、特殊能力を持った人だと思った。

「人生一度きりなんで」 “1年勝負”のNPB挑戦

そんなキッカケで知った選手だったが、知れば知るほど唯一無二な魅力を持った人物で、プロ野球選手になるまでを見届けたいと強く思った。学びの意欲が凄すぎて、情報を入れ過ぎて迷子になることもあったし、助言を受けたことは「これでもか」と言う程やっていた。トレーニングも食事も身体のために徹底していた。ここまでできる人はなかなか見たことがなかった。それでいて、ちょっと不器用なところもあったからより一層、応援したくなった。マウンド上でも気持ちが溢れる投手で、見ていてとても心を震わされた。何とか報われて欲しいなという思いで、その後も取材させてもらった。

そんな芦谷投手が一躍注目を集めたのは大学4年生になった昨年秋。それは、全国大会に出場したり、好成績を収めたからではない。難関国立大学の九州大学の学生として初めてプロ志望届を提出したからだった。福岡県内のメディアの取材が殺到。九州大学史上初のプロ野球選手誕生なるかと注目は集まった。

しかし、ドラフト会議で名前は呼ばれず。退路を断って、大学院進学の勉強も就職活動もしていなかった芦谷投手は、考えた末に独立リーグから“1年勝負”でNPBを目指すことに。九州大学という学歴を捨てるに等しい決断に、反対する声もあった。しかし、「変わってる」と言われることさえ粋に感じる性格の芦谷投手は、この厳しい環境に飛び込んでいくことさえ楽しんでいるようだった。「変わり者だねって言われる方が嬉しい。人生一度きりなんで、もっともっと挑戦していきたい」と言っていたことを思い出した。“あと1年”の挑戦で夢を掴む姿を私も楽しみにした。

しかし、先にも記したように、2度目のドラフト会議でも“芦谷汰貴”の名が呼ばれることはなかった。火の国サラマンダーズのトライアウトでも、受験した投手約40人の中で唯一合格を勝ち取った芦谷投手は、プロ野球界でも実績のある馬原孝浩監督の下で日々課題をクリアし続けてきた。相当な覚悟で挑み、相当な取り組みをしてきて、しっかり結果も出した。それでも、指名されなかった。本当に厳しい世界だと改めて思った。

あとどうしていたら、NPBのプロ野球選手になれたのか。年齢的なことがあるのかもしれないという人もいた。彼は1浪して九州大学に入学しているから24歳。でも、社会人から入団する人だっている。九州アジアリーグがまだ新しいリーグだから? プロスカウトにしか分からない伸び代的な部分に引っ掛かるものがあるのか? 理由を探っても仕方がないが、私も彼が指名されなかったことが悔しかった。ご縁がなかった……と言って片付けるには切なすぎる。「彼を獲らなかった球団側の見る目がなかったんだよ」と自分に言い聞かせた。

そして、ドラフト会議から約1ヶ月が経った先日、悩んだ末に「引退」を決断したと芦谷投手から連絡を貰った。勝手ながら、心のどこかで“もう1年”を期待してしまっていたからか、心にぽっかりと穴が開いたようだった。いろんなことを思い出して、ちょっぴり涙が出た。でも、本人が悩んで考えて決断したこと。お疲れ様、ありがとうという気持ちでいっぱいになった。

芦谷投手は常々言っていた。

「夢を与える存在になりたい」

「自分も誰かの頑張るキッカケになれたらいいな」

NPBでプロ野球選手になるという夢は叶わなかったが、彼が口にしていた“その夢”は叶っているのではないかと思う。少なくとも私はその夢を、頑張るキッカケを貰った1人だ。芦谷汰貴という選手を応援出来たこと、取材出来たことを誇りに思う。

現在は次のステージを模索して、就活中だという。こんな人材はなかなかいない。どの世界に飛び込んでも、芦谷投手らしく目標に向けて突き詰めて突っ走って行く姿が想像出来る。これからの未来に幸あれ。芦谷汰貴が野球選手として駆け抜けた軌跡を忘れない。

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(上杉 あずさ)

上杉 あずさ

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