記憶のなかの父には、けっして触れられない――そんなパーソナルな想いを詩的な映像に封じこめた小さな映画が、世界中で絶賛されています。タイトルは『aftersun/アフターサン』。スコットランド出身の新鋭シャーロット・ウェルズの初長編です。

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
描かれるのは、11歳のソフィと30歳の父親のカラムが1990年代のトルコで過ごした夏休みの日々。とくに何か大きなことが起こるわけではないのですが、ふたりの親密なやり取りがつねにみずみずしく描かれます。ふだんは離れて暮らすソフィとカラムは、母親のことや学校のことを話したり、アイスをいっしょに食べたりと何てことのない時間を共有するのですが、そのすべてがかけがえのないものとして見えてくるのです。
この切なさは何なのだろうと思っていると、映画の後半、ここで描かれることは大人になったソフィが過去を振り返ったものであることが明かされ、もう二度と戻ってこない時間であることがわかります。『aftersun/アフターサン』を貫く、甘くて苦い感覚の理由はそこにあります。そして、シャーロット・ウェルズの実際の経験や個人的な記憶が重ねられているため、たしかにリアルな感触が宿っているのです。
娘思いの父親カラムを演じるのは、本作でアカデミー主演男優賞にノミネートされたポール・メスカル。アイルランドを舞台とした恋愛ドラマ「ノーマル・ピープル」でブレイクし、2024年公開の『Gladiator 2』の主役に抜擢もされ、新たなスターとして注目されている俳優です。とりわけ『aftersun/アフターサン』では、端正でありながらどこか危うさを抱えた存在感を発揮していますが、それは男性や父親が内側に隠し持つ繊細さや傷つきやすさを示すものだと感じられます。これまであまり多く描かれてこなかった、優しさや弱さが複雑に絡みあう男性像をメスカルは体現しているのです。
ある特別な夏を感覚的にとらえた本作は、大切なひとにまつわる記憶を観るひとにも思い起こさせるにちがいありません。シャーロット・ウェルズ監督に話を聞きました。
自身の子ども時代の記憶がなければ、これだけの緊迫感は得られなかった

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
――デビュー長編である『aftersun/アフターサン』は世界中で高く評価されましたが、反響の大きさをどのように受け止めていますか?
自分が予想していたよりも多くのひとに作品を理解し、共感していただけたことに驚いています。というのも、これまで短編映画を作ってきたのですが、10パーセントくらいのひとにしか理解してもらえなかったので、この作品も同じくらいだろうな、くらいの気持ちで公開を迎えたんです。映画はすべてのひとに理解や共感を得るものではないとわかっているからこそ、それほど大きな期待をしていなかったのです。
それに映画を作るにあたって、人びとに明確にすべてを伝えることと、フィーリングを感じ取ってもらうことのどちらかだと、わたしは後者を選びます。だから、そこを感じ取ってもらえたのはとても嬉しいことですね。なぜこれだけ共感を得たのかは考えてもわからないのですが、とても美しい経験であることは間違いないですし、これだけ多くのひとに届けられたことを光栄に感じています。
――映画監督が自身の子ども時代の記憶を反映させた映画はたくさんありますが、本作はそのなかでも非常に感覚的なところがユニークだと感じます。なぜご自身の子ども時代の記憶が映画表現に合うと考えたのでしょうか?
はじめはわたしの記憶をもとにしたストーリーにすることは考えていませんでした。脚本を書きながらそこにたどり着いたのです。第一稿を仕上げたときに、たんにストーリーのために記憶を持ち出したのか自問しましたが、それ(自分の記憶)がないとこれだけの緊迫感は得られないですし、当時の空間と時間に遡らなければソフィが父親のことをもっと知りたいという感情は生まれませんでした。だから当時の記憶を大切にしながら脚本を書き進めていきました。
また、過去を描きつつも、“現在”という感覚で見るひとに向き合ってほしかったのです。過去を振り返る映画はすでにたくさんありますし、フラッシュバックやボイスオーバーを用いているものが多いですよね。この映画ではそうではなく、“現在”という感覚のまま記憶を立ち上がらせたかったのです。たとえば映画の終盤で現れるレイヴ・シーンは、大人のソフィの心情を観客に伝えるために取り入れたものです。脚本で書くことよりもヴィジュアルで伝えることのほうが難しいですし、不安はありましたが、そのようにして過去や記憶を映像で見せることを試みました。
父親の傷つきやすさや弱さに、多くの男性が共感してくれた

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
――わたしは多くの人と同じように、ポール・メスカルとドラマ「ノーマル・ピープル」で出会い、彼の繊細な存在感に魅了されました。彼の俳優としてのどのようなところが魅力的で、また、どのようなところが本作にフィットすると考えましたか?
わたしも「ノーマル・ピープル」を観てポールの演技に魅了されていたのですが、彼を選んだ理由はいくつかあります。まず、ひととしての温かさ。それに、安定感のある体つきですね。彼のキャラクターは精神的な病を抱えているのですが、それを少しずつ作品のなかで明かしていきたかったので、あからさまな弱々しさは避けたかったのです。
そして、このプロジェクトについて話し合ったときに、彼自身がこの作品に強く思い入れを抱いてくれたことも大きかったです。この役を演じるためならいくらでも努力をすると言ってくれました。これらすべてをひっくるめて、彼しかいないと感じました。わたしはつねに信頼できるコラボレーターを探しているので、彼がそこにピッタリとはまった感じですね。はじめに電話で話したときからすごく高揚感があったのですが、彼がいまこうして高く評価されていることは、わたしにとってもとても嬉しいことです。
――ポール・メスカルの存在感もあり、『aftersun/アフターサン』では、世間で見過ごされがちな男性や父親の繊細さや傷つきやすさが丁寧に描かれているように思います。男性の繊細さを描きたいという意識はあったのでしょうか? それとも、あくまでパーソナルな視点で描いていたら、自然に現れたものなのでしょうか?

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
それは興味深い質問ですね。そうですね、この映画はつねにソフィの視点から描かれているわけですが、これまで映画であまり見られなかったような父親を描きたいというのはありましたし、自分の父親との体験を基にした部分もあります。わたしの父親は世界に対してとてもオープンで、娘の視野を広げてくれるようなひとだったので、そういった部分をカラムという人物に取り入れたかったのもあります。そういったことを念頭に置いてカラムを描きましたが、どちらかというと意識的というよりは結果的に生まれたものではありますね。ただ、カラムの描き方に細心の注意を払ったのも事実です。脚本の最終チェックでカラムの言動をすべて並べて、不自然なところはないか確認しましたしね。
この映画を観た多くの男性から、傷つきやすさや弱さにおいても「カラムに共感を覚えた」という感想をいただいていて、それはわたしとしても意外なことでした。
――カラムの姿が現れるときに、直接彼を映さないシーンがありますよね。たとえばビデオの映像のなかだけでなく、鏡やテーブルの反射を使った画面が印象に残りました。わたしはそれらを、記憶のなかの父親との距離を示すものだと感じたのですが、それらの「反射」を使った映像はどのような意図があったのでしょうか?
脚本や映像においてカラムをどのように描くかというのは、とくに時間をかけて練り上げていった部分ですね。どのような視点で彼を映すか、撮影監督のグレゴリー・オークと話し合いました。カラムを直視している視点、幼いソフィの視点、大人のソフィの視点……というように。その結果、カラムがひとりでいる場面は、大人になったソフィが想像しているものだという結論に達しました。それをどのように描くか考えたとき、遠めに映したり、何かに反射している姿を映したり、部分的にしか見えなかったり、鏡に映っていたり。それらのピースを集めることで、大人になったソフィが父親を理解するという流れを作りたかったのです。
お互いに「触れる」シーンに込められた意味

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
――一方で、ソフィとカラムがお互いに日焼けクリームや泥を身体に塗るシーンには直接的な親密さがあります。こうした「塗る」シーンを何度も挿入したのはなぜですか?
お互いが触れるシーンについては、じつは意識的にパラレルに描いているところがあります。カラムがソフィに毛布をかけるシーンに対して、ソフィがカラムに毛布をかけるシーンが用意されているように。ただ泥を身体に塗るシーンに関しては演出ではなく、ソフィを演じたフランキー・コリオが自分でした動きなんですよ。映画化のなかでもとても大切なシーンなのですが、それは彼女がもたらしたものだったのです。
そうした触れるシーンについては、あの休暇をより現実のものとして観客に捉えてほしかったという意図がありました。それに、ふたりの親密さや距離の近さ。触ることそのものの感覚も観客に味わってほしかった。終盤のレイヴのシーンでは、大人になったソフィがカラムを抱きしめるのに対し、カラムがそれを突き放すという箇所がありますが、あの場面は「触れる」ことを映画で積み重ねていったあとに、突き放されるという効果を狙ったものです。
――映画の終盤では、大人になったソフィが同性のパートナーと暮らしていることがわかります。わたしはゲイで、クィアのカミング・オブ・エイジものの映画を多く観てきましたが、直接的に言及するのではなく、ちょっとしたカメラワークなどでソフィのセクシュアリティを示唆する本作のアプローチは稀有だと感じました。この点に関しては意識的でしたか?
そこに触れていただき、ありがとうございます! ソフィのセクシュアリティについてはわたしにとって大切な部分ではあるのですが、なかなか多くのひとには感じ取ってもらえないところなんですよ。そこを多くのクィアの人びとに汲み取ってもらえるのは、わたしにとっても嬉しいことです。ソフィのカミング・オブ・エイジの物語として、男の子とのキスへの好奇心や年上の女性への視点、それに男の子同士の情熱的なキスなどは、意図的に入れたものです。本筋からは逸れてしまうのでカットしましたが、じつは他にもそういったシーンはいくつかありました。わたしにとって大切な部分であることはたしかですね。

『aftersun/アフターサン』 5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開 配給:ハピネットファントム・スタジオ © Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
出演:ポール・メスカル フランキー・コリオ セリア・ロールソン・ホール
監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
配給:ハピネットファントム・スタジオ
5月26日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国公開
© Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022
取材・文/木津毅
構成/山崎 恵

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木津 毅